いろんなタイミングが重なって、ここ一ヶ月に連続して3本も映画を見てます。
『プリキュア・オールスターズ New Stage』、『ストライクウィッチーズ劇場版』、『BATTLE SHIP』というラインナップ。
気づいたら「女の子」→「女の子+ミリタリー」→「ミリタリー」という、なんとも頭の悪い3連コンボを決めていました。
プリキュアは、最近ではすっかり恒例の年2作体制の1本で、オールスター総出演のお祭り映画。今回は過去のプリキュアたちの一部にセリフがまったくないという、オタ的にはちょっとした物議をかもした作品ですが、28人もいればやむを得ないかなという感じもあります。ストーリー的にも、ちょっとホラー風味があったりして、今までとはちがう作風。
でも熱い展開は毎回、安心して楽しめます。自宅をブルーレイ再生環境にしたのもプリキュアのためだったし。今回もソフトが出たら買わなくては。
ストライクウィッチーズは「パンツじゃないから恥ずかしくないもん」。これまた熱い展開で、ミリオタ的には思わずのけぞってしまうようなサプライズも。劇場でのわたしは、さぞかし気持ち悪い笑顔を浮かべていたにちがいありません。
ちなみに見ていて「おっ!」と思ったのは、主人公の宮藤芳佳が「金鵄勲章」を貰っていたこと。ほんの一瞬しか映りませんが、リボンの形から察するに功五級か? これってすごいことですよ。あの年から、もう終身年金がもらえますよ。えーと…1943年だとすると350円か? 公立学校の教員の初任給が55円という時代に!
そして最後はBATTLE SHIP。シナリオのバカっぷりは、3本の中で一番です。いかにもハリウッド的な、アメリカンテイスト満載の「よいこの怪獣映画」です。つーか、敵メカがほとんどネウロイで、いつウィッチたちが登場するのかと思ってしまいましたわ。
劇中には日本の海上自衛隊も登場し、浅野忠信扮するナガタ艦長が結構な見せ場をもらっています。そしてラストには、こちらも勲章のシーンが。地球の危機を救った英雄たちに「Navy Cross」(海軍殊勲十字章)やら「Silver Star」(シルバースター勲章)が授与され、ナガタ艦長にも「旭日中綬章」が授与されたことがわかります。
でも、なんとなくケチくさいなあ…とも思ったり。せっかく宇宙人から地球守ったんだから、出し惜しみせずに、ここは「Medal of Honor」(名誉勲章)とか、「桐花大綬章」を授与したってバチは当たらないんじゃなかろーか。
それ以外の個人的なポイントとしては、映画に登場する海上自衛隊の記章類を、知人がすべて手配していたという点でしょうか。もちろん仕事として引き受けたわけですが、無償提供していればハリウッド映画にクレジットされてたかも?
まぁ、他にもツッコミどころ満載のバカ映画ですので、ポップコーン片手に気楽に見るのがよいでしょう。
でわでわ~。
2012年4月16日月曜日
2012年4月1日日曜日
今日のソ連邦 第7号 1985年4月1日 その3
よく見たらオリジナルは4月1日の発行日。ちょうど日付も合ってますし、せっかくなので華やかなカラーページを紹介しようと思います。
てなわけでソ連料理の特集。別にソ連の料理がエイプリルフール並の冗談という意味ではないですよ。
ソ連というと、現在でも深刻なモノ不足や食料不足、それにともなう長い行列が語り種になっていますが、食料調達の方法は他にもありました。多くの市民が郊外にダーチャ(別荘)を構え、小さいながらを畑を作って自前で野菜を育ててたのです。
さらに日本ではほとんど触れられたことがないシステムに、パヨーク(特配)があります。これは企業や工場が特定のコルホーズなどと契約し、毎月、申し込んだ食品を届けてくれるというもの。日本だと生協のようなものでしょうか(つーか、生協がパヨークにヒントを得たのだと思いますが)。
特配のトラックが到着すると、みんな仕事そっちのけで(おいおい)、楽しく分け合ったそうです。ちなみに数ある特配でも質・量ともに最高レベルは、言うまでもなくクレムリン(クレムリョフスキー・パヨーク)です。
決して失業のない労働者の天国。それがソ連なワケですが、それでも優良企業や人気の企業というのがありまして、そうした判断基準のひとつに、この特配システムの充実度がありました。逆にいうと企業としても「うちの特配は他とはちがうぜ」というのがセールスポイントで、優秀な人材を集めることにもつながったわけです。もちろん年金生活者など、特配を利用できない人たちがいたのも事実です。さらにソ連崩壊前後には、この特配システムそのものも機能不全を起こし、ソ連社会全体を大混乱に陥れたのでした。
いい加減、本題に入りましょう。
万博ソ連館のレストランの宣伝も兼ねたであろう、ソ連料理の紹介ページです。むふ~。
さて、市民レベルならなんとか知恵と工夫で食事にありつけるソ連ですが、観光客となると話は別です。今のロシアは外食産業もすさまじい勢いで発展してますが、ソ連時代のレストランはモスクワでも少なく、一部の有名店を除くとガイドブックにも載っていません。しかも看板の類が見当たらないのがほとんど。注意して見るとハガキぐらいの大きさの木の板にそっけなく「КАФЕ(カフェ)」とか書かれたものが壁にくっついてるだけ、というありさまです。

もちろんそれなりにおいしいのですが、ツアーじゃない個人旅行者がホテル指定の食事時間をうっかり外してしまうと大変なのでした。まぁ、公園とかではシャシリク(羊肉の串焼き)なんかを売ってるので、それを食べればいいのですが。
そんな中、特筆すべきが政府機関や軍の食堂でした。何度か食事に招かれたことがありますが、そのレベルはかなりのもので、日本の一流ホテルのメインダイニングにしても通用するおいしさでした。日本では、まだまだカジュアルな扱いのロシア料理ですが、もっと高く評価されてもよいのではと思います。
最後はロシアの民芸品からタルサという刺繍の紹介ページ。なんかモデルさんのポーズがぎこちなくて、わざとらして可愛らしいというか、微笑ましいというか。他にもキルギスの絨毯とかダゲスタンの銀細工、ティムコボ(キーロフ州)の素朴な粘土人形などが紹介されておりました。
でわでわ~。
2012年3月23日金曜日
今日のソ連邦 第7号 1985年4月1日 その2
気づいたら、思いの外、時間が空いてしまいました。
まぁ、更新をあまり義務化しても苦痛なので、これがウチのペースということで。
さて、今日のソ連邦「つくば科学万博特集号」のその2です。
この時のソ連の展示は、建築とか住宅とか都市計画というものに妙なこだわりがあったようです。日本人は住宅問題に関心が高いから、こういう話題が興味を引くだろう、と思ったのでしょうか?
そんなわけで、今回は「新居に引っ越した一家」と「「宇宙建築の芸術的問題点」の二つの記事を拾ってみようと思います。
34歳の夫「ウラジーミル・アニケーエフ」と28歳の妻「ナターシャ」。息子はふたりで、6歳の「サーシャ」と4歳の「アリョーシャ」。彼らが新しい住宅を手に入れた経緯が語られています。
アニケーエフはモスクワの工作機械工場「赤いプロレタリアート」の工具工場の職長。ナターシャは区立図書館の司書。ふたりはモクスワ市のクラスノグバルジェエイスキー区にあるソビエト執行委員会を通じて、国家から無料で、無期限で、さらに将来、子供たちに居住権を相続させる権利も含めてアパートを受け取ります。
新しい住居はオレホボ・ポリソボ地区。モスクワっ子たちからは辺鄙な場所と言われていますが、ふたりはそこに地下鉄の新路線が開業することを知っていて、受け取りを即座に承諾したのでした。
さて、ソ連ではアパートのことをフラットと呼びますが、フラットの受け取りは生易しいことではないと、今日のソ連邦の記事でも認めています。無償とはいえ順番待ちが大変なのですね。ちなみに協同組合方式で資金を集めて、自分たちで家を建てることもできますが、モスクワでそれができる人は10%にもなりません。まぁ、当たり前ですね。
ちなみにソ連にはソ連住宅基本法とロシア連邦共和国住宅法という二つの法律があります。家族ひとり当たりの居住面積が12㎡を超えてはならないという規制です。これには玄関ホール、廊下、キッチン、浴室、トイレなどは含みません。
アニケーエフ一家が受け取ったのは3DKのフラット。記事によると居住面積47.2㎡で、4人で割ると確かに12㎡以下です。それ以外も含めた総面積は70.3㎡。日本の東京の基準でも、まぁまぁな広さですね。
部屋は17階建ての4階部分。建物は入り口が9か所あり、垂直方向に9つの区画に分かれています。各区画には1フロアごとにフラットが4戸。これが一家のお隣さんということになります。
一ヶ月の家賃は夫婦の月収の2%と決められており、熱湯、水道、集中暖房、電気、電話などの公共料金はこれまた月収の2.1%。合わせて月収の4.1%が居住にかかる費用となります。でもガス料金が含まれてないのはなぜ?
ま、いずれにせよソ連の一般的な市民生活の資料というのはありそうでないので、これは貴重な記事です。
さて、次はガラリと変わって「宇宙建築の芸術的問題点」というキテレツな記事です。論文の転載ということですが、幸い見開きで収まる分量なので、まるごと載せておきます。
とはいうものの、中身を読めとは言いにくいです。
ロシアやソ連に限らず、建築家という人種は、どうして揃いも揃ってわけのわからん文章を書くのでしょう。
(みなさん先刻承知と思いますが、画像をクリックすると拡大します。別ウインドウで開くを選択すると、より大きなサイズで見ることができます)

でもってカラーページには、件の建築家の先生の作品が載っているのですが、なんというか……とんがった論文の割には、特にどうということもない抽象芸術のようにも思えるのですが……。
とりあえず、今回はこんな感じで。
まぁ、更新をあまり義務化しても苦痛なので、これがウチのペースということで。
さて、今日のソ連邦「つくば科学万博特集号」のその2です。
この時のソ連の展示は、建築とか住宅とか都市計画というものに妙なこだわりがあったようです。日本人は住宅問題に関心が高いから、こういう話題が興味を引くだろう、と思ったのでしょうか?
そんなわけで、今回は「新居に引っ越した一家」と「「宇宙建築の芸術的問題点」の二つの記事を拾ってみようと思います。
34歳の夫「ウラジーミル・アニケーエフ」と28歳の妻「ナターシャ」。息子はふたりで、6歳の「サーシャ」と4歳の「アリョーシャ」。彼らが新しい住宅を手に入れた経緯が語られています。
アニケーエフはモスクワの工作機械工場「赤いプロレタリアート」の工具工場の職長。ナターシャは区立図書館の司書。ふたりはモクスワ市のクラスノグバルジェエイスキー区にあるソビエト執行委員会を通じて、国家から無料で、無期限で、さらに将来、子供たちに居住権を相続させる権利も含めてアパートを受け取ります。
新しい住居はオレホボ・ポリソボ地区。モスクワっ子たちからは辺鄙な場所と言われていますが、ふたりはそこに地下鉄の新路線が開業することを知っていて、受け取りを即座に承諾したのでした。
さて、ソ連ではアパートのことをフラットと呼びますが、フラットの受け取りは生易しいことではないと、今日のソ連邦の記事でも認めています。無償とはいえ順番待ちが大変なのですね。ちなみに協同組合方式で資金を集めて、自分たちで家を建てることもできますが、モスクワでそれができる人は10%にもなりません。まぁ、当たり前ですね。
ちなみにソ連にはソ連住宅基本法とロシア連邦共和国住宅法という二つの法律があります。家族ひとり当たりの居住面積が12㎡を超えてはならないという規制です。これには玄関ホール、廊下、キッチン、浴室、トイレなどは含みません。アニケーエフ一家が受け取ったのは3DKのフラット。記事によると居住面積47.2㎡で、4人で割ると確かに12㎡以下です。それ以外も含めた総面積は70.3㎡。日本の東京の基準でも、まぁまぁな広さですね。
部屋は17階建ての4階部分。建物は入り口が9か所あり、垂直方向に9つの区画に分かれています。各区画には1フロアごとにフラットが4戸。これが一家のお隣さんということになります。
一ヶ月の家賃は夫婦の月収の2%と決められており、熱湯、水道、集中暖房、電気、電話などの公共料金はこれまた月収の2.1%。合わせて月収の4.1%が居住にかかる費用となります。でもガス料金が含まれてないのはなぜ?
ま、いずれにせよソ連の一般的な市民生活の資料というのはありそうでないので、これは貴重な記事です。
さて、次はガラリと変わって「宇宙建築の芸術的問題点」というキテレツな記事です。論文の転載ということですが、幸い見開きで収まる分量なので、まるごと載せておきます。とはいうものの、中身を読めとは言いにくいです。
ロシアやソ連に限らず、建築家という人種は、どうして揃いも揃ってわけのわからん文章を書くのでしょう。
(みなさん先刻承知と思いますが、画像をクリックすると拡大します。別ウインドウで開くを選択すると、より大きなサイズで見ることができます)

でもってカラーページには、件の建築家の先生の作品が載っているのですが、なんというか……とんがった論文の割には、特にどうということもない抽象芸術のようにも思えるのですが……。
とりあえず、今回はこんな感じで。
2012年3月3日土曜日
今日のソ連邦 第7号 1985年4月1日 その1
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右上:炭素質素材を医学(器官や組織の移植)に
利用する可能性を示すディスプレイ。 左下:ソ連館のシンボルマーク。 右上:原子力研究、原子力平和利用におけるソ連 の科学者たちの成果を物語るディスプレイ。(原子 の独特の模型になっている) 右中:炭素質素材の利用範囲の広さを示す「未来の 都市」の模型。右下:バイカル湖のユニークな模型。 |
さて、こういう大規模な国際イベントに関わると、ソ連大使館も俄然はりきるようです。
これがきっかけで新しい読者を増やせば、外交的にもプラスというものです。ですから、この号ではソ連の基本情報のおさらいみたいな記事も目につきます。そういう意味では、創刊号のような雰囲気なのでしょうか。今回の表紙は、会場に作られたパビリオンの展示物です。
実際のソ連館のパンフレットも持っているのですが、書庫からの発掘に成功したら、いずれご紹介したいと思います。そういえば1970年の大阪万博のソ連館のパンフレットもなぜか家にあったっけ。

で、肝心の中身ですが、今回はなかなか見どころが多いので、何回かに分けてご紹介したいと思います。
まずはソ連館のレイアウトを示した模型。
おそらくソ連の外務省内部での検討用に使われたものだと思います。日本だったら実物に忠実な模型をキチンと作りそうなものですが、こちらはアクリルを多用した抽象的なイメージモデルです。
細かいところは現場ですり合わせるということなのかもしれませんが、なんとなくセンスがいいなあと思ったり。

内容はといいますと、やはり宇宙と原子力、自然科学や医学などがメイン。まぁ「科学万博」と銘打っているイベントですから、ソ連の得意分野をぶつけてくるのはある意味当然です。
てなわけで、まずは原子力から。
見開きでドーンと見せつけてくれちゃってます。
本文にある黒鉛沸騰チャンネル型というのは、言うまでもなくチェルノブイリでも採用されていた原子炉のこと。注目すべきは文中で触れられている「長所」で、運転したまま燃料の入れ換えができるとある点です。
ウラン燃料を原子炉で燃やすとプルトニウムができます。
これは当然、核兵器の重要な原料なわけでして、このタイプの原子炉は電力供給をストップさせることなく、核兵器の材料を生産できる、まさにソ連のエネルギー政策と軍事戦略にぴったりの原子炉だったわけですな。
でも、ごめん。とりあえず本文は長いので割愛。
ソ連の原発がいかに安全で信頼性が高いのかが述べられています、とだけコメントしておくことにしましょう。ここでは写真のみで。
透明素材の防護服はソ連では一般的で、ソ連版ランボーと呼ばれた「デタッチドミッション」にも似たタイプのものが登場します。
ずらりとならんだ線量計はペンのようにポケットや襟に差しておきます。自分も軍用のを持ってますが、ここに紹介されてるものとは違うなあ。なんか、こっちの方が高級そう。
興味深いは、音で原子炉の状態を把握してしまうベテランの人。グツグツと沸騰する音が聞こえるのでしょうけど、なにがわかるのかしら?
あと水質検査室の奇妙なガラス瓶は試料の入ったフラスコでしょうか? 検査室といいつつ、機器類が一切写ってないのがミソです。これでフラスコまでタダの花瓶だったら吹きます。
職員が女性ばかりなのは、いかにもソ連です。白いピロトカは病院とか食品工場の写真でも見かけます。妙におしゃれなレースのカーテンも、検査室という言葉に不釣り合いで面白いです。
次回もこの号の続きをやります。
でわでわ~。
2012年2月18日土曜日
艦船模型の展示会
「ミンダナオ会」というサークルの主催で、同団体のメンバーでもある軍事評論家の
斎木伸生さんからのお誘いです。
今回は駆逐艦の今昔を模型で振り返るという趣向で、展示総数はなんと900隻!
そのほとんどすべてが駆逐艦で、古今東西、あらゆる艦が一堂に会してます。
並べるだけで8時間もかかったとか。
そりゃそうだ。
| まずは大日本帝国海軍。 同型艦でも細部が微妙にちがうので すべての艦が揃っています。 |
| 海上自衛隊の護衛艦。 戦後の日本もなんだかんだで造りまくってたんだと実感。 |
| ソ連/ロシアの艦隊。 ソ連には駆逐艦というカテゴリーはなく、 大型対潜艦と呼ばれます。 |
| 展示のメインは1/700ですが、もちろん大型模型もあります。 1/144のアメリカの駆逐艦。さすがに見応えがあります。 でもキットの出来自体はあまり良くないそうで ここまで仕上げるのは大変とのこと。 |
| 駆逐艦じゃないけど、ソ連の戦術航空巡洋艦「バクー」 ミサイルが凶悪です。 現在はインドが買い取り、魔改造中ですが、 予算&納期オーバーで絶賛炎上中。 |
| こんなジオラマ風の展示も。 とにかくディティールがすごいです。聞くところによると、 製作された方は現役の脳外科医だそうで。 細かい作業はお手の物というか、この程度は普通らしい。 しかも患者とちがって模型は失敗しても死なない! |
| NHKドラマ「坂の上の雲」で活躍した戦艦三笠。 ギャラリーの注目も集まってました。 日本海海戦の日露艦艇が勢ぞろいしてました。 戦艦といっても、現代の駆逐艦より小さく見えます。 つか、今の駆逐艦がデカくなりすぎたんですが。 |
| 今回、驚きの展示物が。 なんと戦艦レトヴィサンの主砲の図面です。 他にも三笠の砲身の設計図などもありました。 正真正銘のホンモノです。 紙ではなく絹の布地に描かれています。 経年変化による伸縮が紙より少なく、狂わないそうで。 |
てなわけで、軽い気持ちで顔を出す程度にしていたのに、思いのほか長居してしまいました。
自分も昔はプラモ好きで、戦車といわず船といわず、ガンプラといわず、なんでも夢中で作っていたものです。忙しいとか、スペースが無いとか、そんな風に作らない理由をつけるようになったのは、いつからだったかなー。
ところで、この際だからもう一つ白状しますが、
今回の主催団体である「ミンダナオ会」。
お名前は以前から存じあげていたのですが、まったく何の根拠もない思い込みから、
わたし、「太平洋戦争の遺骨収集団体」のことだと思っていました。
だって、いかにもありそうな名前だと思ったんだもん・・・。
いや、申し訳ありません・・・・。
ははははは。
では。
2012年2月12日日曜日
今日のソ連邦 第19号 1985年10月1日

言い忘れましたが「今日のソ連邦」は隔週刊です。毎回、必ず入手できたわけでもないので飛び飛びになるかと思いますが、とりあえず今回は続き。第12回世界青年学生祭という国際イベントが大々的に特集されています。実は1985年は国連が定めた「国際青年年」なのですが、当然のことながら、日本ではまずニュースになりませんでした。一応、本文を見てみると開催は7月27日から8月3日まで。世界157ヶ国と西ベルリンから(つーか、なんでわざわざ西ベルリンを別扱い?)2万人以上の若者が集い、交流の輪を広げたのだとか。で、中身はというと、もっぱらスポーツとかシンポジウムとかパネルディスカッションとか。変わったところでは「帝国主義弾劾法廷」なんての開かれており、アメリカの暴挙が次々と白日のもとにさらされたのであります。
面白いのはこのイベント、そんな当のアメリカ人も參加している点です、どんな人たちなのか、そしてモスクワでどういう扱いを受けたのか興味があります。とはいうものの、目次を見てもらえばわかりますが、この手の「会議」についての記事は、今日のソ連邦ではやたらとありまして、いちいち取り上げてたらキリがありません。
てなわけで、ミリタリーネタ「大祖国戦争中の文化人」です。
ソ連に限らず戦争は国家のメディアも総動員されるわけで、文化人もそこから逃れることはできません。前線の慰問、国民の鼓舞、そして敵の糾弾といったことが行われたわけです。
なかでもソ連では「詩人」が特別な地位を占めておりました。記事では戦時下の最初の冬にプラウダに載った詩が掲載されています。
待っててくれ、おれは戻る。
すべての死の面当てに、
おれを待たなかった奴、
そいつには "あの人、運がよかったのね"と言わせてやる。
待たなかった奴には分かるまい。
戦火の真っ只中で俺を救ったのは、
待っててくれるおまえだったということを。
「おれを待っててくれ」
~コンスタンチン・シーモノフ~
この詩は戦線からの何百万もの兵士の手紙に書き写されるようになり、さらにはこの言葉が、戦死から身を守る魔よけのようなものになったのだとか。
で、この記事には多くの写真も掲載されています。
どれもキャプション通りですが、ミリオタ風にコメントすると左の写真、1943年なので兵士はルバシカ型軍服を着ていますが、特派員の方はギムナスチョルカのままでピロトカには帽章もありません。でも胸に赤星勲章つけてます。
中央の写真はいかにも戦時中の女優の慰問といったところ。これまた右端の女性兵士は胸に戦傷章をつけているようです。右端の写真はゴツいカメラに目が行きますが、首を覆う白い布は包帯でしょうか。このロマン・カルメンという人、当時の有名な映画監督だそうです。記事では他にもヘルメットにホースを持って消火活動にあたるショスタコーヴィチや病院を慰問したピエロ、焼けただれたベルリンの国会議事堂で演奏する楽団などがありました。
さて、その他の記事から面白そうなもの、というとやはりこれを取り上げないわけにはいきません。自分がこの記事をネタにするのは、実は2回目なのですが、とりあえず「うわー」と思っていただければ。今日のソ連邦ではおかしなメカ系の記事がちらほら出るのですが、なぜか写真はないことが多いのです。
前回の「歩行するコンバイン」も文字だけの記事です。
「山の斜面での農作業用に開発されたもので、さまざまな農機具を取り付けることができる。前部は関節のついた一対の脚があり、運転席をはさんだ後方はタイヤ。脚具は地面の状況を把握しながら、互いの動きを監視しあい、どんな状況でも車体を水平に保つ。運転席には「前」「右」「左」の3つのボタンしかなく、エンジンをかけてボタンを押せば、すべてを自動で行う」とのこと。
2012年2月2日木曜日
今日のソ連邦 第18号 1985年9月15日
みなさん、こんにちは。まずは記念すべき第1回です。
もっと古いのもあるのですが、とりあえず80年代を中心にしたバックナンバーからはじめようかと。
といっても、さすがに中身すべてをスキャンして公開とかはアレですし(つーか、今日のソ連邦の自炊とか変態でもやらん)、そんな暇もヤル気もないので、とりあえず表紙と目次のみ。これでも十分めんどくせぇ。
で、表紙はいきなりアントノフAN-124。ルスランという愛称もこの時に知りました。 これから順次ご紹介していくとわかるかと思いますが、今日のソ連邦で、こうしたメカ系が表紙になるのは珍しい部類です。まして輸送機とはいえ、どちらかといえば軍用機の部類。よほど自慢だったのではないかと思います。事実、今でも活躍してますからね。設計局はウクライナ国籍になっちゃったけど。
ちなみにオレグ・アントノフはこの前年の1984に逝去。その後を継いだのはピョートル・バラブエフです。記事では記者がバラブエフ氏に一言インタビュー。
「テストパイロットは、機がおとなしく思うとおりに動いてくれてよいと言ってるし、この機の恩恵を受ける僻遠の土地の開発者たちもきっと満足してくれるだろう」
このもってまわった言い方はソ連時代特有のものですな。
しかし、この号でわたしが本当に興味をもったのは「外国航路で働く人々」という記事でした。貨物船クラスノドン号の乗組員へのインタビューが中心で、記者は船乗りという職業にある種のロマンチシズムを感じていたようです。
でもって、それに対するボリス・ルイブキン船長の答え
「ロマンねぇ。まぁ、結構なことさ。それはそうだが、われわれは14昼夜もかけて時化つづきの大海原を渡ってきたばかりなんだ。
~中略~
われわれ船乗りの毎日は楽でない仕事でいっぱいなんだ。この世の中をロマンチックに見るなんて、それはその人の性格で職業のせいじゃないと思うよ」
ミもフタもないというか、船長、お疲れで機嫌が悪いようです。
他にも若い四等航海士やクラスノドン号が進水して以来の先任機関士などが、それぞれの思いを語っております。この辺、いちいち書いていたらキリがないので残念ながら割愛。しかしソ連の商船隊の制服とかが規定とちがっていたりして、今から見ると写真の情報量もなかなか面白いです。
その他、
・ノーボスチ通信特派員報告
「デタントは生きている(ヘルシンキ)」。「米警察の人種差別主義(ニューヨーク)」。
・短信アラカルト
「新しい水中翼船」「エルミタージュのシュメール文書修復」「歩行するコンバイン」
などの記事がありました。
今後、どんな風に紹介していこうか、まだまだ手さぐりですが、とりあえずよろしくです。







