2012年3月23日金曜日

今日のソ連邦 第7号 1985年4月1日 その2

気づいたら、思いの外、時間が空いてしまいました。
まぁ、更新をあまり義務化しても苦痛なので、これがウチのペースということで。

さて、今日のソ連邦「つくば科学万博特集号」のその2です。
この時のソ連の展示は、建築とか住宅とか都市計画というものに妙なこだわりがあったようです。日本人は住宅問題に関心が高いから、こういう話題が興味を引くだろう、と思ったのでしょうか?

そんなわけで、今回は「新居に引っ越した一家」と「「宇宙建築の芸術的問題点」の二つの記事を拾ってみようと思います。

34歳の夫「ウラジーミル・アニケーエフ」と28歳の妻「ナターシャ」。息子はふたりで、6歳の「サーシャ」と4歳の「アリョーシャ」。彼らが新しい住宅を手に入れた経緯が語られています。

アニケーエフはモスクワの工作機械工場「赤いプロレタリアート」の工具工場の職長。ナターシャは区立図書館の司書。ふたりはモクスワ市のクラスノグバルジェエイスキー区にあるソビエト執行委員会を通じて、国家から無料で、無期限で、さらに将来、子供たちに居住権を相続させる権利も含めてアパートを受け取ります。
新しい住居はオレホボ・ポリソボ地区。モスクワっ子たちからは辺鄙な場所と言われていますが、ふたりはそこに地下鉄の新路線が開業することを知っていて、受け取りを即座に承諾したのでした。

さて、ソ連ではアパートのことをフラットと呼びますが、フラットの受け取りは生易しいことではないと、今日のソ連邦の記事でも認めています。無償とはいえ順番待ちが大変なのですね。ちなみに協同組合方式で資金を集めて、自分たちで家を建てることもできますが、モスクワでそれができる人は10%にもなりません。まぁ、当たり前ですね。

ちなみにソ連にはソ連住宅基本法とロシア連邦共和国住宅法という二つの法律があります。家族ひとり当たりの居住面積が12㎡を超えてはならないという規制です。これには玄関ホール、廊下、キッチン、浴室、トイレなどは含みません。

アニケーエフ一家が受け取ったのは3DKのフラット。記事によると居住面積47.2㎡で、4人で割ると確かに12㎡以下です。それ以外も含めた総面積は70.3㎡。日本の東京の基準でも、まぁまぁな広さですね。
部屋は17階建ての4階部分。建物は入り口が9か所あり、垂直方向に9つの区画に分かれています。各区画には1フロアごとにフラットが4戸。これが一家のお隣さんということになります。

一ヶ月の家賃は夫婦の月収の2%と決められており、熱湯、水道、集中暖房、電気、電話などの公共料金はこれまた月収の2.1%。合わせて月収の4.1%が居住にかかる費用となります。でもガス料金が含まれてないのはなぜ?
ま、いずれにせよソ連の一般的な市民生活の資料というのはありそうでないので、これは貴重な記事です。

さて、次はガラリと変わって「宇宙建築の芸術的問題点」というキテレツな記事です。論文の転載ということですが、幸い見開きで収まる分量なので、まるごと載せておきます。
とはいうものの、中身を読めとは言いにくいです。
ロシアやソ連に限らず、建築家という人種は、どうして揃いも揃ってわけのわからん文章を書くのでしょう。
(みなさん先刻承知と思いますが、画像をクリックすると拡大します。別ウインドウで開くを選択すると、より大きなサイズで見ることができます)


でもってカラーページには、件の建築家の先生の作品が載っているのですが、なんというか……とんがった論文の割には、特にどうということもない抽象芸術のようにも思えるのですが……。

とりあえず、今回はこんな感じで。


2012年3月3日土曜日

今日のソ連邦 第7号 1985年4月1日 その1

右上:炭素質素材を医学(器官や組織の移植)に
利用する可能性を示すディスプレイ。
左下:ソ連館のシンボルマーク。
右上:原子力研究、原子力平和利用におけるソ連
の科学者たちの成果を物語るディスプレイ。(原子
の独特の模型になっている)
右中:炭素質素材の利用範囲の広さを示す「未来の
都市」の模型。
右下:バイカル湖のユニークな模型。 
とりあえず古い順からと始めたら、1985年のバックナンバーは3冊しかなかったことが判明。あらら・・・。と、いうわけで、ちょいとさかのぼります。なんと「つくば科学万博」の特集号。コスモ星丸なんてマスコットがいましたっけ。

さて、こういう大規模な国際イベントに関わると、ソ連大使館も俄然はりきるようです。
これがきっかけで新しい読者を増やせば、外交的にもプラスというものです。ですから、この号ではソ連の基本情報のおさらいみたいな記事も目につきます。そういう意味では、創刊号のような雰囲気なのでしょうか。今回の表紙は、会場に作られたパビリオンの展示物です。

実際のソ連館のパンフレットも持っているのですが、書庫からの発掘に成功したら、いずれご紹介したいと思います。そういえば1970年の大阪万博のソ連館のパンフレットもなぜか家にあったっけ。

で、肝心の中身ですが、今回はなかなか見どころが多いので、何回かに分けてご紹介したいと思います。

まずはソ連館のレイアウトを示した模型。
おそらくソ連の外務省内部での検討用に使われたものだと思います。日本だったら実物に忠実な模型をキチンと作りそうなものですが、こちらはアクリルを多用した抽象的なイメージモデルです。
細かいところは現場ですり合わせるということなのかもしれませんが、なんとなくセンスがいいなあと思ったり。


内容はといいますと、やはり宇宙と原子力、自然科学や医学などがメイン。まぁ「科学万博」と銘打っているイベントですから、ソ連の得意分野をぶつけてくるのはある意味当然です。
てなわけで、まずは原子力から。

見開きでドーンと見せつけてくれちゃってます。
本文にある黒鉛沸騰チャンネル型というのは、言うまでもなくチェルノブイリでも採用されていた原子炉のこと。注目すべきは文中で触れられている「長所」で、運転したまま燃料の入れ換えができるとある点です。
ウラン燃料を原子炉で燃やすとプルトニウムができます。
これは当然、核兵器の重要な原料なわけでして、このタイプの原子炉は電力供給をストップさせることなく、核兵器の材料を生産できる、まさにソ連のエネルギー政策と軍事戦略にぴったりの原子炉だったわけですな。

でも、ごめん。とりあえず本文は長いので割愛。
ソ連の原発がいかに安全で信頼性が高いのかが述べられています、とだけコメントしておくことにしましょう。ここでは写真のみで。

透明素材の防護服はソ連では一般的で、ソ連版ランボーと呼ばれた「デタッチドミッション」にも似たタイプのものが登場します。

ずらりとならんだ線量計はペンのようにポケットや襟に差しておきます。自分も軍用のを持ってますが、ここに紹介されてるものとは違うなあ。なんか、こっちの方が高級そう。

興味深いは、音で原子炉の状態を把握してしまうベテランの人。グツグツと沸騰する音が聞こえるのでしょうけど、なにがわかるのかしら?

あと水質検査室の奇妙なガラス瓶は試料の入ったフラスコでしょうか? 検査室といいつつ、機器類が一切写ってないのがミソです。これでフラスコまでタダの花瓶だったら吹きます。
職員が女性ばかりなのは、いかにもソ連です。白いピロトカは病院とか食品工場の写真でも見かけます。妙におしゃれなレースのカーテンも、検査室という言葉に不釣り合いで面白いです。

次回もこの号の続きをやります。
でわでわ~。