2013年3月13日水曜日

今日のソ連邦 第1号 1987年1月1日

今日のソ連邦、1987年の正月号です。
すっかり季節外れですが、ご容赦ください。実際、新年のご挨拶とかその手の記事はほとんどありません。 今回の特集はレニングラード。1987年は10月革命の70周年にあたる年なので、革命の舞台を総力で特集しています。

レニングラードはかつてのロシア帝国の首都。もちろん最初はサンクト・ペテルブルグという名前があったわけですが、革命直後にペトログラードとなり、最終的にレニングラードになりました。
ロシア革命の父レーニンの名を冠した名前です。現在はサンクト・ペテルブルグに戻りましたが、レニングラードの名前は、より大きな行政単位である「レニングラード州」に名残を留めています。
記事によると、そのレニングラードにある「キーロフ工場」の新型トラクター試運転の日に、ゴルバチョフ書記長がいきなり抜き打ち訪問したとあります。ここで書記長は自らトラクターの運転席にのぼり、テストドライバーに話しかけています。

「ブレーキは大丈夫だろうね?」
「もちろんですよ」
「じゃ、どうして動かさないんだね? エンジンをかけて走ってみようじゃないか」
トラクターは敷地内を一周して止まります。
「どうかね、具合は?」と書記長はたずねます。
「すばらしいですよ。ただざっくばらんに言わしてもらえば、たまだ少し検討しなきゃならん問題が残っています」
「じゃ、ひとつ検討して、良心に恥じないものを仕上げてもらいたい。それを我々は待っているよ」

こうして書記長の電撃的な工場訪問は終わります。この頃からゴルバチョフ氏の行動は加速度的にダイナミックなものになっていきます。

さて、メインの記事はというと、もっぱらレニングラードという都市の景観の美しさに焦点が当てられています。たしかに歴史的建造物が多く、美術館なども沢山ありますから、観光案内みたいな記事になるのは当然かもしれません。

「レニングラードの24時間」という記事では、この街のとある一日がかいつまんで紹介されています。

・午前1時。「パルチカ」パン工場でパンの出荷が始まる。レニングラードには14のパン工場があり、パン屋や食堂に一括納入しているのです。
・午前4時。500台の清掃車が町中に繰り出し、道路清掃とゴミ収集を実施。
・午前5時。市電、路線バス、トロリーバスの始発が動き出す。料金はすべて一律で距離に関係なく5コペイカ。
・午前7時20分~8時。母親たちが出勤前に、自分の子供を保育園や幼稚園に預けに来る。
・午前9時。学校の始業ベルが鳴る。
・午前11時。エルミタージュ美術館が開館。観光客を飲み込みはじめる。
・正午。ペトロパブロフスク要塞で「お昼のドン」。この伝統は17世紀にさかのぼる。ちなみにこの記事の書かれた1987年の時点で正午の空砲に使われているのは、1945年のベルリン攻防戦で実際にドイツの国会議事堂に砲火を浴びせた152ミリ榴弾砲だとのこと。さすが・・・物持ちがいい。
・午後2時。各地の工場から午前の生産分の出荷が始まる。レニングラードにはカラーテレビ、カメラ、靴、時計などの工場がある。午後7時30分。市内の劇場、歌劇場、コンサートホールなどの開演時間。
・午後11時。映画スタジオ「レン・フィルム」でプーシキンの伝記映画の撮影が終了する。

こんな感じでレニングラードの1日が終わります。
ちなみに左の写真はエルミタージュへの入場待ちの行列。ソ連で行列というと即、モノ不足を連想しますが、観光名所の行列なら胸を張って紹介できるというものです。もっとも西側の報道関係者の中には、こういう写真をトリミングして「商店に並ぶソ連市民」とキャプションを付けて配信する者もいたそうで、どこにも横着者はいるんだなあという感じ。

実際、ソ連の市民生活とはどんなものだったのか?  てなわけで、この号からは「これがわたしたちの暮らしです」というコーナーが始まっています。
図書館職員で主婦のダリア・ニコラエブナを案内役に、夫のセルゲイ(43)、娘のタチアナ(16)、息子のイーゴリ(10)をの家族を通して、ソ連の一般市民の生活を知ってもらおうという趣向。まぁ、ある程度のゴマカシや宣伝は承知の上で紹介します。

第一回目は「朝食・昼食・夕食」。朝はソーセージ、サワークリームやハチミツを塗った揚げパン。そして紅茶。夫セルゲイは新聞を読みふけり、「あー」とか「うー」としか言いません。この辺、日本と大差ない感じ。息子のイーゴリは学校に遅刻しそうで、揚げパンをジャンパーのポケットに突っ込もうとして怒られてます。
娘のタチアナはダイエット中らしく「紅茶だけでいい」と素っ気ない様子。というのも学校でも午前の給食というものがあり、15コペイカ(約35円)の給食費で、サラダ、カツレツ、白パン、牛乳またはココアが供されるとのこと。なるほどスタイルを気にする年頃としては問題です。

実際、この記事。食料不足の気配はカケラもありません。昼食は職場の食堂で食べるし、そこで夕食の食材を買うこともできるのです。ソ連人の平均カロリー摂取量は、世界平均より1000キロカロリーも多いのだとか。いや、町で見かけるスコープドッグのようなオバサンを見れば納得ですが。まぁ、脂質と糖質が圧倒的に多いのでしょうなあ。
今夜のディナーはオーブンで焼いたジャガイモ料理。一日の出来事をおしゃべりしたり、テレビで刑事ドラマ(もちろんミリツィアが主人公)を見たり。特に特別なことのない一家団欒です。

しかし、ちょっと意外だったのが、夕食が終わって夜も更けたという時に、娘のタチアナがプイッと出かけてしまうこと。息子のイーゴリは「お姉ちゃんはデートだよ」とこともなげ。親たちも「ふーん、そうなのか」です。16才の娘がデートと称して夜、堂々と出かけちゃうって、ソ連じゃ普通なんでしょかね?

最後はレニングラードとその周辺都市にある宮殿の修復にたずさわる技師たちの記事。金箔の修復技師たちが、彫像に黙々と金箔を貼っていきます。
この人物、かなり凝り性のようで、ツヤの加減が違う複数の金箔を用いて、髪の毛、肌、指の爪などにそれぞれ風合いの違いを表現しているのだそう。しかし、そんな彼らの努力も金箔の厚さを確かめようとコインで引っかく不心得者がいるせいで大変だとか。
マナーの悪い見学者はソ連も例外ではないようです。
サンクト・ペテルブルグにはまだ行ったことがないので、いつか訪れて、彼らの仕事の成果を見てみたいものです。

では、今回はこの辺で・・・お知らせです。

2013年3月から、三才ブックスさまの月刊誌『ゲームラボ』にてソ連ネタのコラムを連載することとなりました。もしかすると、この酔狂なブログが一因かもしれませんです。マンガ家の速水螺旋人さんとご一緒ですので、かなり濃くなりそう。まずは3月中旬発売の4月号からスタートです。 


是非是非よろしくお願いしまーす。