いきなり宇宙飛行士が表紙ですが、今回は宇宙開発ネタではありません。詳しくは後段に讓るといたしまして、またアレコレとネタを拾い読み。
まずは「アジア平和の船」がナホトカを訪れたとの記事。
なんとなくピースボートを連想してしまいますが、代表の岩井章氏で調べると、小田実氏とか、ベ平連つながりの人たちが企画したもののようです。ソ連極東・北朝鮮・中国をめぐるというもので、230人という大所帯。
今日のソ連邦では、日本とのさまざまな交流が記事になるのですが、よほどの有名人か、要人でもからんでない限り、一般のマスコミが取り上げることはまずありませんでした。
対するソ連も、労働争議や平和団体のデモなどは、どんなに規模の小さなものでも報道していたそうで、当時のソ連の人たちの多くが「日本はデモと争議の国」と思っていたそうです。まぁ、広い意味でのイベントと思えば、当たらずとも遠からずか?
記事の集会の様子も楽しげで、どこかお祭のようです。
ハチマキ・腕章・横断幕の三点セットで「団結、がんばろう!」のシュプレヒコールは日本の労働組合の定番。
メガネのフレームとかに時代を感じてしまいます。写ってる人には悪いですが、雰囲気的に秋葉原で荒稼ぎしているカラシニコフによく似た名前のアイドル軍団のファンに見えなくもありません。
ちなみに塩とパンの歓迎はロシアの伝統。捧げられたら、ほんの少し口に入れて、お礼を言うのが礼儀なのです。
続く話題は、またしても第27回ソ連共産党大会ネタ。
トリアッチ市のボルガ自動車工場(VAZ)で働くバラショフさん一家の物語です。残念ながら一家の記事は割愛。
なかなか立派な工場の画像。レトロなゲームセンター。そして、どことなく野暮ったいマネキン。といっても、これは服を売ってるわけではなく、ホームメイドのお店。
モノ不足のソ連では、型紙の本が結構なベストセラーで、女性たちはオシャレのために腕を奮ったのです。
広い敷地に並んでるクルマは大衆車のジグリ、その輸出モデルのラーダ。在モスクワの日本人たちにも、安いジグリを愛用する人たちが少なくなかったとか。ただ、一度故障すると、困るのがスペアパーツ。これが大都市モスクワでも手に入らなくて、大変苦労したそう。
そこで編み出された裏技が、隣国フィンランド。ソ連はフィンランドにクルマを輸出していたのですが、それには一定数のスペアパーツも用意する必要があり、ソ連では手に入らないパーツも、フィンランドのディーラーにテレックスを打てば、すぐに調達できたそうです。
ちなみにキャプションにあるニーワとは「ラーダ・ニーヴァ」のこと。
右の広告は、今日のソ連邦ではなく、80年代の東京モーターショーで配布されていたものです。ニーヴァは当時のソ連車の中では例外的に評価が高く、今も日本で時々見かけます。
でもUAZやGAZとはちがい、軍とはあまり縁がないメーカーのようで。
ロイ・シャイダー主演の「対決」という映画があって、そこにソ連軍っぽく塗装したニーヴァが出てたのですが、これが似合わないなんてもんじゃありませんでした。
逆に考えると、ニーヴァはソ連の基準では垢抜けていたデザインだったのかもしれません。
次は表紙になっているキエフの電気溶接研究所の特集。
“幹線石油パイプラインは溶接部に沿って壊れた。
割れ目は超音速の速さで広がる。その結果、この区間全体がだめになり、供給が途絶し、大きな損失が出る”
“容積3000立方メートルのタンクの溶接継手が壊れた。侵食環境……タンクにはアルカリが貯蔵されていた……に耐えられなかったのだ。その結果は貴重な原料が失われ、環境に損害を与え、大きな損失が出る”
音速を超えて亀裂が走るというのはすごいですが、これらの問題を解決したのが、キエフのE・O・バトン記念電気溶接研究所。表紙のは宇宙飛行士は真空チェンバーの中で宇宙空間用の溶接機を試験している様子です。
当時のソ連は電子機器をはじめ、工作機械や土木機械などを西側から輸入することができませんでした。そんな時に直面した問題を解決したのがこの研究所で、ゴルバチョフ書記長も視察しています。
溶接機K-700-1はガンダムのビームサーベルを開発しているところにしか見えないなぁ。
最後はヤクーチア特集からカラーページを。
札幌で開催されたヤクーチア展にあわせた企画です。
あとなにげに極地発電船がカッコいい。
最後は第27回ソ連共産党大会をイメージしたロゴでも。
特に意味はありませんが、なんとなく。
それではまた~。