2012年5月31日木曜日

今日のソ連邦 第19号 1986年10月1日 その2

えーと、続きです。今回はモルダビアのコルホーズ市場の話題。モルダビアは現在のモルドバ共和国ですね。
さて、ここで紹介されているコルホーズ市場とは、別名“Рынок”(ルイノク)と呼ばれているもので、日本語では自由市場などとも訳されています。

このページに載っている豊かな食料品は当局のヤラセでも誇張でもありません。ソ連だって「ある所にはある」のです。品質もよく、新鮮で、当時のソ連が、実は肥沃な大地に恵まれていたことを物語るものです。

しかし、ここで売られてるものは、バカ高いことでも有名でした。手元の資料(80年代初頭)によると、冬場のモスクワで品薄の時期は、トマトやキュウリが1キログラムで8ルーブルから10ルーブル(2500~3000円)。ホウレンソウ一把が3ルーブル(1000円)と、日本の基準でもとんでもない値段だということがわかります。
モスクワなど都市部の住人の中には、急病人が出た時しか、ルイノクは利用しないと決めていた人もいたのだそうです。

こうした新鮮な農作物は、コルホーズで働く人々の“自由耕作地”で生産されたものです。もしかしたら…とグーグルアースで調べてみたら、ありました。
ウスリースクの近くですが、道路に沿って並んでいる家がわかりますか? その後ろに広がる小さな短冊状の土地が、自由耕作地の名残です。いや、今もあるんだなあ。

平均すると0.5ヘクタールぐらいで、一応、国家から借りている土地ということになります。ソ連全体から見たら、全耕地面積の3%にも満たない、この狭い土地が、当時のソ連人民の胃袋を支えていました。一説によるとジャガイモは総生産量の61%。野菜や肉、牛乳もそれぞれ29%、卵は34%もの比率を占めていたというからハンパじゃありません。

ちなみに国営商店は“Магазин”(マガジン)と呼ばれています。パン、肉、野菜、酒類、牛乳・乳製品といったように、カテゴリーごとに分かれていて、まとめて買おうにも一軒ずつ回らなくてはいけないという不便さ。しかも品切れ状態は当たり前で、運良くあっても品質の悪いものだったりしたそうです。
ソ連では輸送や保管の分野が制度的にも設備的にも遅れていて、どんなに豊作でも、都市部に着くころには30%が腐ってしまうという報告もされていました。

今のロシアでは、ルイノクというと株式市場とか金融市場のこと。マガジンはスーパーマーケットやショッピングセンターのことになっています。時代は変わるものですね。

次の話題は、モスクワのポクロン丘に建設が予定されている大祖国戦争戦勝メモリアルの記事です。なんと1958年から計画されていたのですが、ようやく具体化。と思ったら・・・ソ連崩壊です。

完成したのは1995年。一応、対独戦勝50周年に間に合ったからいいけど、気の長いプロジェクトだったんだなーと。

正式名称は“Мемориал победы на Поклонной горе“で、この計画がどんな風に実現したのかを見比べてみるのも面白いかと思います。ちなみにこの施設、記事で紹介されている時には無かったものが追加されています。

それはロシア正教の聖ゲオルギー教会。(金色のネギ坊主です)
大祖国戦争の英霊たちも、まさか50年目にして教会に見守られて眠ることになるとは、思わなかったでしょうね。

*   *   *

最後は画像なしですが、「ソ連自然保護の旅」という記事から。
ソ連もそれなりに環境保護には力を入れてまして、それによると「ソ連国家水質気象・自然環境監視委員会」なるものが存在するとのこと。略称“Госкомгидоромет”「ゴスコムギドロメト」って、悪の組織か怪獣の名前だぞ。

面白いのは責任の範囲で、ゴスコムギドロメトでは水と大気の状態をモニタリングしてますが、土壌汚染の監視は農業省の管轄なのだと。
出たな、お役所。
農業省は家畜の他に野生動物の保護も担当しており、絶滅危惧種を調査した「レッドデータ」も農業省が発行しているのだそうですが、ゴスコムギドロメトの担当者いわく「農業省の仕事は不十分」とチクリ。

ちなみにソ連では「自然環境」と「(自分の)周囲の環境」というふたつの用語があるそうですが、後者には「騒音」が含まれ、「この問題はゴスコムギドロメトの管轄ではない」とのこと。
ソ連の官僚機構の実体が垣間見える記事でした。

それでは、また~。

2012年5月18日金曜日

今日のソ連邦 第19号 1986年10月1日 その1

今日のソ連邦は毎号欠かさず入手できていたわけではないので、いきなり間が空いたりします。自分が発掘に失敗してる可能性もありますが、まぁ、その時はその時で。
てなわけで、通常運転。
表紙を飾るのはウラジオストクの街を颯爽と歩くゴルバチョフ書記長です。活動的な若きリーダーを印象づける表紙ですね。横には今は亡きライサ夫人の姿も見えます。このお二人、今みても垢抜けた印象です。



今回もなかなか面白い記事が多いのですが、カテゴリー的には雑多な印象もあり、一度にすべてを紹介すると、かえって散漫になるような気がします。というわけで、何度かに分けてご紹介。







とりあえず主役のゴルバチョフ書記長の記事。実際に現地を視察したのは1986年7月28日だそうです。具体的には7月25日から28日までウラジオストク、ナホトカ、コムソモリスク・ナ・アムーレ、ハバロフスクなど極東沿海州の都市を歴訪したようです。
ソ連の書記長の動向が2ヶ月足らずで外国に伝わるというのは、当時の基準からすると早い方かもしれません。


この中で書記長は、ウラジオストク市に「レーニン勲章」を授与しました。ソ連では、勲章が工場やコルホーズ、都市などにも授与されることは珍しくありません。といっても、それでなにが変わるのかはよくわかりませんが。
ちなみにウラジオストク市が、ソ連海軍の赤旗太平洋艦隊司令部のある軍港であるという点について、本誌では一切触れられておりません。


チラホラ載ってる制服組をピックアップ。
軍人や警察の資料は探せばそれなりに見つかるものですが、港湾局関係はちょっと珍しいです。
一番上の左端の人物は夏用のブルゾンを着ているようです。袖口のポタンや、裾のサイズ調整用のボタンが1つしかありません。軍や警察だと2つなのですが。
真ん中の写真は港の最高責任者のようです。こちらは夏のサービスユニフォームを着ています。4つポケットの制服は当時とはしては珍しいですね。肩章や帽章も海軍や商船隊(モル・フロート)とはまるっきり違ってて興味深いところです。

一番下の写真は博物館になっている潜水艦S-56号をバックにした一葉。この潜水艦は港に面した目抜き通りにあって、大祖国戦争に関するモニュメントが整備され、太平洋艦隊司令部のビルとも隣接しています。軍事パレードも行われる場所です。

この写真は大通りとは反対側で、博物館の出入り口があります。書記長以下の視線は、1985年に整備された新しいモニュメント群に向けられているようです。
ちなみに書記長の真後ろにいる軍服姿の人物はソ連海軍の最高司令官チェルナヴィン提督。階級章は元帥で、ネクタイの結び目にも元帥章の星が見えます。

前任者のセルゲイ・ゴルシコフは連邦元帥の階級で任期を全うしましたが、チェルナヴィンはソ連が崩壊する最後まで海軍元帥のままでした。

なお、この時の訪問の模様は、ソ連海軍の写真集「ソ連邦の大洋の盾」にも載っています。
情報公開(グラスノスチ)の始まりを実感できる時代です。

次の話題はソ連版の「鳥人間大会」。
6ページにも及ぶ特集で、写真も多いのですが、全部紹介できないのが残念です。
次のページでは、とある飛行機発明家クラブで、事故による死者が出たことに触れられており、クラブ存続の危機があったことが書かれています。
意を決して、新しいモデルがテスト飛行に飛び立ちますが、規定のルートを飛ぶだけだった予定のパイロットが、いきなり空中でアクロバットを始め、関係者が肝を冷やしたとか。
結果は無事故でクラブも存続したとはいえ、ソ連が航空ショーでムチャをやるのは、こういう土壌があったのかとも。

さて、動力飛行機となると、アマチュアの趣味という範疇からは逸脱してる気がしますが、ソ連における学生や労働者のクラブ活動というのは、もともと本格的なものが多いようです。
日本ならパソコンでもエレキギターでもオートバイでも、お金さえあれば買えますが、ソ連ではまず不可能。その代わりに、行政の支援を受けた各種のクラブが高価な機材を揃えてくれるというわけです。

以前、モスクワのラジコン同好会のクラブを見学させてもらったことがありますが、船や潜水艦の模型を浮かべる専用のプールがあるのを見て驚いたものです。コンクリートで作られた本格的なもので、全長10メートルぐらいありました。
今更ですが、ソ連という国は、ショボイとスゴイの差が極端です。

続きは次回で。
ではでは~。