言い忘れましたが「今日のソ連邦」は隔週刊です。毎回、必ず入手できたわけでもないので飛び飛びになるかと思いますが、とりあえず今回は続き。第12回世界青年学生祭という国際イベントが大々的に特集されています。実は1985年は国連が定めた「国際青年年」なのですが、当然のことながら、日本ではまずニュースになりませんでした。一応、本文を見てみると開催は7月27日から8月3日まで。世界157ヶ国と西ベルリンから(つーか、なんでわざわざ西ベルリンを別扱い?)2万人以上の若者が集い、交流の輪を広げたのだとか。
この中には当然、日本人もいて、インタビュー記事が出ていますが、肩書は「自治労」とか「社青同」とか、「総評青年部」の面々。職業が教師という人も多いです。で、中身はというと、もっぱらスポーツとかシンポジウムとかパネルディスカッションとか。変わったところでは「帝国主義弾劾法廷」なんての開かれており、アメリカの暴挙が次々と白日のもとにさらされたのであります。
面白いのはこのイベント、そんな当のアメリカ人も參加している点です、どんな人たちなのか、そしてモスクワでどういう扱いを受けたのか興味があります。とはいうものの、目次を見てもらえばわかりますが、この手の「会議」についての記事は、今日のソ連邦ではやたらとありまして、いちいち取り上げてたらキリがありません。
てなわけで、ミリタリーネタ「大祖国戦争中の文化人」です。
ソ連に限らず戦争は国家のメディアも総動員されるわけで、文化人もそこから逃れることはできません。前線の慰問、国民の鼓舞、そして敵の糾弾といったことが行われたわけです。
なかでもソ連では「詩人」が特別な地位を占めておりました。記事では戦時下の最初の冬にプラウダに載った詩が掲載されています。
待っててくれ、おれは戻る。
すべての死の面当てに、
おれを待たなかった奴、
そいつには "あの人、運がよかったのね"と言わせてやる。
待たなかった奴には分かるまい。
戦火の真っ只中で俺を救ったのは、
待っててくれるおまえだったということを。
「おれを待っててくれ」
~コンスタンチン・シーモノフ~
この詩は戦線からの何百万もの兵士の手紙に書き写されるようになり、さらにはこの言葉が、戦死から身を守る魔よけのようなものになったのだとか。
で、この記事には多くの写真も掲載されています。
どれもキャプション通りですが、ミリオタ風にコメントすると左の写真、1943年なので兵士はルバシカ型軍服を着ていますが、特派員の方はギムナスチョルカのままでピロトカには帽章もありません。でも胸に赤星勲章つけてます。
中央の写真はいかにも戦時中の女優の慰問といったところ。これまた右端の女性兵士は胸に戦傷章をつけているようです。右端の写真はゴツいカメラに目が行きますが、首を覆う白い布は包帯でしょうか。このロマン・カルメンという人、当時の有名な映画監督だそうです。記事では他にもヘルメットにホースを持って消火活動にあたるショスタコーヴィチや病院を慰問したピエロ、焼けただれたベルリンの国会議事堂で演奏する楽団などがありました。
今日のソ連邦ではおかしなメカ系の記事がちらほら出るのですが、なぜか写真はないことが多いのです。
前回の「歩行するコンバイン」も文字だけの記事です。
「山の斜面での農作業用に開発されたもので、さまざまな農機具を取り付けることができる。前部は関節のついた一対の脚があり、運転席をはさんだ後方はタイヤ。脚具は地面の状況を把握しながら、互いの動きを監視しあい、どんな状況でも車体を水平に保つ。運転席には「前」「右」「左」の3つのボタンしかなく、エンジンをかけてボタンを押せば、すべてを自動で行う」とのこと。
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