2012年2月2日木曜日
今日のソ連邦 第18号 1985年9月15日
みなさん、こんにちは。まずは記念すべき第1回です。
もっと古いのもあるのですが、とりあえず80年代を中心にしたバックナンバーからはじめようかと。
といっても、さすがに中身すべてをスキャンして公開とかはアレですし(つーか、今日のソ連邦の自炊とか変態でもやらん)、そんな暇もヤル気もないので、とりあえず表紙と目次のみ。これでも十分めんどくせぇ。
で、表紙はいきなりアントノフAN-124。ルスランという愛称もこの時に知りました。 これから順次ご紹介していくとわかるかと思いますが、今日のソ連邦で、こうしたメカ系が表紙になるのは珍しい部類です。まして輸送機とはいえ、どちらかといえば軍用機の部類。よほど自慢だったのではないかと思います。事実、今でも活躍してますからね。設計局はウクライナ国籍になっちゃったけど。
ちなみにオレグ・アントノフはこの前年の1984に逝去。その後を継いだのはピョートル・バラブエフです。記事では記者がバラブエフ氏に一言インタビュー。
「この機に満足しているか?」
「テストパイロットは、機がおとなしく思うとおりに動いてくれてよいと言ってるし、この機の恩恵を受ける僻遠の土地の開発者たちもきっと満足してくれるだろう」
このもってまわった言い方はソ連時代特有のものですな。
しかし、この号でわたしが本当に興味をもったのは「外国航路で働く人々」という記事でした。貨物船クラスノドン号の乗組員へのインタビューが中心で、記者は船乗りという職業にある種のロマンチシズムを感じていたようです。
でもって、それに対するボリス・ルイブキン船長の答え
「ロマンねぇ。まぁ、結構なことさ。それはそうだが、われわれは14昼夜もかけて時化つづきの大海原を渡ってきたばかりなんだ。
~中略~
われわれ船乗りの毎日は楽でない仕事でいっぱいなんだ。この世の中をロマンチックに見るなんて、それはその人の性格で職業のせいじゃないと思うよ」
ミもフタもないというか、船長、お疲れで機嫌が悪いようです。
他にも若い四等航海士やクラスノドン号が進水して以来の先任機関士などが、それぞれの思いを語っております。この辺、いちいち書いていたらキリがないので残念ながら割愛。しかしソ連の商船隊の制服とかが規定とちがっていたりして、今から見ると写真の情報量もなかなか面白いです。
その他、
・ノーボスチ通信特派員報告
「デタントは生きている(ヘルシンキ)」。「米警察の人種差別主義(ニューヨーク)」。
・短信アラカルト
「新しい水中翼船」「エルミタージュのシュメール文書修復」「歩行するコンバイン」
などの記事がありました。
今後、どんな風に紹介していこうか、まだまだ手さぐりですが、とりあえずよろしくです。
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