2014年4月26日土曜日

今日のソ連邦  第23号 1987年12月1日

やれやれ。4月中に更新できて一安心。
さて、今回の表紙は最初に見た時に思わず目を疑ったものです。例によってゴルバチョフ政権の「グラスノスチ(情報公開)」の一端なわけですが、さすがに化学兵器基地の公開というのは、当時のソ連の秘密主義からはにわかに信じられないレベルだったのです。

場所は「シハノフ基地」。サラトフ州の州都で同名のサラトフ市から陸路で北東方面に150キロほど進んだ高地で、ボルガ川沿いにあります。
ここは現在もロシア連邦軍の第1NBC防護機動旅団が駐屯している他、国防省管轄の研究所、臨床病院などがあり、関係者とその家族が住む街はボリスク-18【Вольск-18(シハヌイ-2【Шиханы-2】)と呼ばれる立ち入り制限区域に指定されています。いわゆる「秘密都市」です。

公開に先立ち招かれたのはジュネーブの化学兵器禁止条約交渉に参加している40ヶ国の代表団、国連代表、そしてソ連および諸外国のジャーナリストで、日本からも朝日新聞の記者が招かれています。参加者全員にガスマスクが配布される物々しさで、ソ連軍が保有する各種化学兵器の標準サンプルの公開と化学兵器を実際に解体・破棄する一連いの作業のデモンストレーションが行われました。

展示された兵器は野砲用とロケットランチャー用の化学装薬。戦術ミサイル用化学弾頭。航空機搭載用の化学爆弾。各種の化学薬品散布装置、それに化学手榴弾など。大きなものでは重量1500キログラム、小さいものでは250グラムと様々な種類です。

基地の将校たちは各種兵器の詳細な戦闘目的、爆弾のゲージ、爆弾の中に装填された各種有害物質のコード名や化学式、特性、信管のタイプ、充填されている化学物質そのものの総量などを説明したとありますが、残念ながら記事には載っていません。

解体デモンストレーションでは「サリン」を充填した250キロの航空爆弾がサンプルに使われ、サリンの無毒化と爆弾そのものの解体が公開されました。この一連の作業で使われたのが「化学兵器解体・廃棄用の移動式コンプレクス」なるもの。コンプレクスとは一連のシステムを構成する各種機材をまとめたもので、ソ連の科学技術分野では頻繁に登場する名称です。

コンプレクスは何台もの軍用車両に牽引されるトレーラーとそこに載せられたコンテナ群で構成されています。各種コンテナには実験室、有毒物質を無毒化するニッケル製の化学反応装置、1000度の高温で廃棄物を焼却する装置などが搭載され、これからの部隊の展開・稼働には3時間あれば十分とのこと。

作業は表紙にも写っている作業台で行われます。化学部隊の専門家がドリルで爆弾に穴を開け、特殊な注射器を装着して中の化学物質を抜き取ります。数十分後、中和反応機の中でサリンは致死性を失い、別の物質に変化します。
ただし、一滴だけは有毒のまま残されました。
取材陣に「解体した爆弾が本物の化学兵器であることを証明する」ために、密閉空間に閉じ込められた哀れなウサギに注射するためです。もちろんウサギは即死。続いて別のウサギが持ち込まれ、今度は反応中和機の内部で無毒化された液体が注射されます。こちらは少なくともデモンストレーション中に死ぬようなことはありませんでした。

ウサギの尊い犠牲に哀悼の意を表しつつ、次のコーナー。モクスワの創建840周年のイベントです。見開きのパノラマは位置関係から見てロシア・ホテルの最上階にあったバーからの撮影でしょうか。現在は取り壊されてありません。
この日はモスクワのあちこちでイベントやパレードが行われ、様々な時代の衣装で着飾った人々が街をねり歩きます。もちろん軍装の人々も。仮装行列のようなものですね。

ちなみにこのイベントを企画したのはソ連共産党モスクワ市委員会第一書記。名前をボリス・エリツィンと言います。後にロシア連邦初代大統領になる酔っぱらいです。

さて、モスクワつながりで他の記事を見ますと「赤ちゃんの名付け式」というタイトルがありました。モスクワに限りませんがソ連では行政区ごとに「ザークス(身分事項登録機関)」という役所があります。戸籍を扱う部署です。「赤ちゃんの名付け式」というのは、新生児と両親、その他の家族が集まって地区ソビエト代議員立ち会いのもと、厳かな雰囲気で出生登録をし、新しいソビエト市民の誕生をお祝いするというもの。いかにも社会主義国家らしいお祝いのやり方です。

ソ連にはそれぞれの共和国ごとに「共和国結婚家族法」という法律が整備されており、「出生登録は子の出生地または親の住所地のザークスで行う。ザークスは出生登録の儀式的な状況を保証する(ロシア連邦共和国結婚家族法典 第一四八条 第一項および第二項)」とあり、書類を提出してハイおしまい、というだけではなさそうです。ザークスによれば儀式形式の登録を希望するのは登録に訪れる家族のおよそ半数とのこと。

定刻の三時になるとバイオリン、ビオラ、チェロ、ハープのアンサンブルによる音楽の生演奏が始まり、ホールの扉が開いて赤ちゃんを抱いた父親、母親が入場し、後ろからぞろぞろと祖父母や兄弟などが続くと言いますから、まんま結婚式です。
ホールの中央には大きなテーブルがあり、ロングドレスに大きな胸飾りをつけた女性が立っています。この胸飾りは単なる宝飾品ではなく、15の共和国の紋章をかたどったもので、身分事項登録官の正式装備なのだとか。
ここで厳かに結婚のお祝いと身分登録の手続きが宣言され、生演奏をバックに両親が出生登録簿に署名をするという流れです。

ちなみに名付け式が終わるとお母さんには数冊の本が手渡されます。「赤ちゃんの健康を守るには」「赤ちゃんの心の発達」「離乳食の作り方」「赤ちゃん体操のさせかた」などなど。面白いのは「お母さんの美容のために」という本もあること。出産後の化粧の仕方や顔の小じわを伸ばすマッサージのやり方などが図解入りで説明されてるのだそうです。

続いての記事は「ソ連緒民族の祭り・伝統・風俗」から。東シベリアのハカス自治州の紹介です。ハカス自治州(ハカシア)はシベリア南東部に位置し、行政区分ではロシアのクラスノヤルスク地方の一部ということになります。
人口は50万人あまり。州都はアバカン。シベリアらしく冬は長く厳しい寒さが続きます。天然資源に恵まれ、様々な鉱物や建築材料を産出しているのもシベリアならでは。

特筆すべきは人口密度でハカス自治州はシベリアでもっとも高い人口密度を誇ります。なんと1平方キロメートルあたり8.6人! さすがに東京23区の14389人にはわずかに及びませんが、それでもシベリア基準では満員電車のようなものなのではないでしょうか。

ハカス人はテュルク語系の民族で、アルタイ人やショール人と同系民族です。革命以前はミヌシンスキー・タタール人とかアバカンスキー・タタール人、あるいはひとまとめにテュルク人と呼ばれていました。彼らの民族的創造性は文学とポエジー、演劇、民族音楽などです。1980年にはハカスの民間伝承をモチーフにしたオペラ「鷹の息子」が初演されています。

次の記事は「第一感ソ米子供キャンプ」のレポート。ソ連にはピオニール・キャンプが、アメリカではサマーキャンプがありますが、それを共同で行おうという企画です。正式には「社会的発明者・21世紀の創造者としての子供たち」という仰々しい名称。
 
本文の記事によると「子供たちは本来が正直で、生活苦や人生の悲劇にさらされていないので、ある意味、大人たちより物事の本質に迫ることができるかもしれないから」とのことで、「子供たちのコミュニケージョン能力で新しいものを吸収する速さなどを学ぶ必要がある」からだとか。

こう述べるのは主催者のひとりピチリム師。ロシア正教会府主教です。
彼が言うには「キリストは子供のようになりなさい。子供のようにならないなら天国に入っては行けませんと言っています。天への道、清らかで平和な天への道は、我々の未来の社会的発明者である子供たちが開いてくれる、と私は考えています」とのことで、まさか今日のソ連邦でキリストの言葉が引用されるとは思いませんでしたよ。果たして、この府主教さまも党員なのかしらん?

さて、最後は1988年度のソ連国家予算の概要です。
2ページに分かれていたのを無理矢理つなげました。国防予算も公表されていますが、ソ連の国防費は他の省庁の予算に紛れ込んでいるものも多く、その本当の予算規模を知るのは難しいと言われています。
とはいえ公式な数字を見ないことには、そんな分析もできないわけで、退屈な数字の羅列ですが、まぁ、一回ぐらいはこんな記事を載せるのも良いでしょう。



話題があちこちに飛んでチクハグな感じの紹介になりましたが、今回はこんなところで。
でわでわ~。



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2014年4月1日火曜日

2014年4月1日



曰本中央兢馬会のプレスリリースによりますと、今年の春の天皇賞は騎手全員が大礼服で騎乗するそうです。競馬には興味がないのですが、このレースは観に行こうと思ってます。



※この投稿はフィクションであり、現実に無断で存在できません。


2014年3月22日土曜日

今日のソ連邦  第19号 1987年10月1日

今回の表紙はモスクワ北西部に完成した日本庭園の様子です。1970年代に駐ソ日本大使を勤めた重光晶氏と夫人が提唱し、日本万博基金が計画した施設です。ソ連科学アカデミー中央植物園が敷地を提供し、日本の造園家・中島健氏が設計しました。

冬場、時にはマイナス20度にもなるモスクワで日本庭園が成立するのか不安ですが、元々あったシラカバやカシに、日本のエゾヤマザクラなどを組み合わせた北国仕様になっているようです。

さて、〆切の関係からか、この号には8月の話題が多いです。
まずは8月6日の広島原爆の日に合わせて開催されたモスクワの反戦集会が紹介されています。
主催はモスクワの「勤労者代表」や「ドナウ=レナ川’87調査団(科学系なのか政治系なのか、よくわからない団体です)」、そして「ソ米ボルガ平和クルーズ」の参加者。場所は「ソ連平和擁護委員会」の建物前の広場です。
わざわざソ連にやってきてアメリカの核政策を非難しているアメリカ人が本国でどういう扱いを受けてるのか、ちょっと心配ですが、ソ連側も「集会にアメリカ人が混ざっている」というだけで微妙に一般市民から隔離された集会にしているフシが伺えます。

本誌での扱いも巻頭にこそ掲載されていますが、見開き2ページのみと素っ気ないもの。あと気になったのは本文にある「平和な日本の都市に米国の原子爆弾が投下された・・・」との記述。平時にいきなり核攻撃したみたいです。原爆投下を正当化するつもりはないですが、日米が戦争状態だったことを無理に省略しなくてもいいんじゃないかしらん。まぁ、それだと文脈がおかしくなるか。

続いては「ロシアの帆船の歴史」です。
やはり8月に「平和の白い帆」というヨットレースが日本海で開催されました。オーストラリア、英国、ブルガリア、ポーランド、ソ連、そして日本から合計14隻が参加し、室蘭からナホトカまでのコースでタイムを競ったそうです。
実はかれこれ4回目になる恒例行事だそうですが、地元はともかく東京じゃニュースを見た記憶が無いなぁ。
記事はこのレースにからめてロシアの古い船を美しいカラーイラストで紹介しています。
ロシア人と海との関わりはかなり古く、7世紀には東スラブ人(ロシア人の祖先)が、黒海を通って地中海まで往復する技術を持っていたことがわかっています。9世紀、キエフ・ルーシの時代にはスラブ商人の権益を保護するために戦闘集団を載せた艦隊がビザンティン帝国沿岸まで進出したことがありました。

当時の代表的な船は「ロジャー」と呼ばれるもので、大きな丸太をくり抜き、側面に板を打ちつけて舷側を高くした巨大なボートです。13~15世紀になるとロシアはタタール・モンゴルの襲来を受け、黒海やアゾフ海、カスピ海などに通じる地域を分断されてしまいます。しかし、ボルガ川上流のノブゴロド公国の商人たちは北方ルートを切り開き、西欧との交易を続けていました。
彼らの船は甲板を備え、独立した船室や船倉を持ち、武装も強力だったため海賊に十分対抗することができました。
ノブゴロド人の船にはバリエーションがあり、「シニャーカ」は全長8~11メートル。当時としては大型の部類で甲板はなく、2本のマストを備えていました。10~20トンの積み荷を運ぶことができたそうです。それよりやや小型で1本マストの船は「ノサーダ」。近海や河川の航行に適した「ウシクーイ」も持っていました。また、彼らは氷の海を渡るための特殊な構造の船も作っています。
これは喫水線の下が丸くなっていて、海が氷結して船体が締めつけられると、氷の上に持ち上がるようになっており、潰される心配が無いというものです。

なお、イラストには別ページに詳細な説明がありますので、テキスト大盛りにて。
1番は「北方型コーチ」。全長18~19メートル。幅4~4.5メートル。通常、10~15人で操船し、32トンまでの積み荷あるいは30人から50人の乗客を運べました。2番は前述したロジャー。3番はウシクーイです。いずれも7~25メートルまで各種のサイズがあり、大型のものは100人もの人間を乗せられたそうです。
4番は1669年に建造されたオリョール号。ロシア初の2層甲板帆走戦艦です。全長25メートル。幅6メートル。喫水1.6メートル。大砲6門。乗員55名。
5番はポルタワ号。1712年に建造されたパルト艦隊最初の戦列艦です。全長42メートル。大砲54門。
6番は聖ピョートル号。1740年に極東のオホーツクで建造された郵便旅客船で同型艦に聖パーベル号があります。全長24.4メートル。幅6.7メートル。喫水2.8メートル。積載量は96トン。もともとは探検船でアジアとアメリカの間に海峡が存在するかどうかを調査するのが目的でした。この時の指揮官がビーツス・ベーリング。ベーリング海峡の元になった人物です。
7番はゴト・プレディスチナツィア号。1700年に建造されたロシア最初の戦列艦です。全長36メートル。幅9.5メートル。乗員253名。大砲58門。アゾフ海でトルコ海軍と戦いますが、結局ロシアは敗北し、この艦はトルコ側に賠償として引き渡されてしまいました。
8番目はガレー船プリンツィピウム号。1696年に25隻建造されたうちの一隻です。全長38メートル。幅6メートル。34対のオールまたは帆走で航行しました。ゴト・プレディスチナツィア号とともにアゾフ海の戦いに参加しています。
9番は戦列艦インゲルマンランド号。1715年にペテルブルグで進水。3本マストの2層甲板船で全長46メートル。幅12.8メートル。喫水5.6メートル。大砲64門。
10番は戦列艦聖パーベル号。1794年建造。全長55メートル。幅15メートル。大砲84門。ナポレオン戦争の際、地中海遠征に参加しています。
11番は1841年に建造された十二使途号。同型艦にパリ号、コンスタンチン大公号があります。排水量5500トンに及ぶ大型艦で全長63メートル。幅18メートル。大砲130門。速力10ノット。
12番はロシア艦隊の3女神と呼ばれたフリゲート。同型艦にアウロラ号、ディアナ号、バルラダ号の3隻があることが由来です。帆船時代の最後を飾る船たちです。このうちバルラダ号は1832年建造。全長53メートル。幅13メートル。喫水6メートル。大砲56門。1853年にプチャーチン率いる外交使節団が日本を訪問した時に乗っていた船です。
13番はボートですが、ピョートル1世号と立派な名前がついています。ピョートルは若い頃、納屋で偶然このボートを発見して帆の扱い方を覚えたことから、ロシアを海洋国家にする夢を抱いたと言われています。ボートはその後、ロシア艦隊の神聖なイコンとなり、現在もレニングラード(サンクト・ペテルブルク)の中央海軍博物館に保存されているそうです。全長6メートル。幅2メートル。重さは1.28トンで儀礼用の礼砲4門を備えています。

さて次は、どう見ても目が死んでる警官のドアップから始まる「交通安全のため」という記事。国家自動車監督局(ГАИ=ガイー)の特集です。
ソ連では警察を「Милиция=ミリツィヤ」と呼び、日本では「民警」と訳されます。最近のロシアでは西欧風に「Полиция=ポリツィヤ」と言うようになり、嘆かわしい限り。それはさておき、なかなか興味深い記事と写真です。

今のロシアとは、比べ物にならないぐらいクルマの数は少ないのですが、それでも事故は起こります。わたしのお気に入りは2番目の画像にある「違反は違反・・・」と冷酷無比なキャプションがついた一枚。なんというか、もう・・・キップを切られてるドライバーの絶望感がハンパないです。

ちなみに、わたしもモスクワで交通事故にあったことがあります。友人が運転するクルマが無理矢理右折しようとして直進してきたクルマとガチャン。この時は警察のお世話にならず、そそくさとドライバー同士で示談金の相談をしておりました。申し訳ないので自分も一部負担した思い出があります。3枚目の画像は本来裏表だったページを無理矢理、見開きに再構成しました。なお、今回の記事の取材先がウクライナ共和国なのはまったくの偶然です。
最後はいつものソ連の民族特集。
今回は「ヤクート自治ソビエト社会主義共和国」です。
東シベリア北東部、レナ川の流域にあります。首都はヤクーツク。面積はソ連で3番目という広大な国ですが、人口は100万人ちょっとしかいません。
厳しい自然環境なので当然といえば当然。ちなみに世界でもっとも低い気温を記録したオイミャコン村もヤクート自治共和国にあります。

ヤクート人は背が高く、色は浅黒く、髪は黒い直毛で目は黒くて細く、頬骨が突き出ています。言語的にはチュルク語系民族のひとつとされ、控えめでマジメ。落ち着いた、堅実な民族とされています。まぁ、北国の人の一般的なパーソナリティと思えなくもありません。
客もてなしのよいことで知られ、旅人の訪問は見知らぬ人であってもめでたいことだと考えられています。客はまず最初にごちそうを振る舞われ、旅の目的などを質問されるのはその後です。

ヤクートは「柔らかい黄金(毛皮)」、「ダイヤモンドの宝庫」「青い火(天然ガス)」の守護者と言われ、他にも多くの天然資源に恵まれてます。これについては帝政ロシア時代から伝わる伝説があります。

神は地球を作った時、地下資源を均等に分配することにしたのだが、ヤクーチア上空を飛んでいる時、あまりの寒さに手が凍えて、宝物が入った袋を落としてしまった。このため宝物はヤクーチア全域にばらまかれたのである。

今回はこんなところで。
でわでわ~。

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2014年2月18日火曜日

艦船模型の展示会 ~2014~ 

このブログでも人気の話題。
ミンダナオ会さまの艦船模型展示会です。
開催日の2月15・16日は大雪の影響で東京のみならず、関東の広い範囲で大変なことになっていましたが、そんな天候にもめげず、スタッフの人たちが準備を整え、大勢の人が訪れていました。今回のテーマは英国の艦船。
まずはホレイショー・ネルソン提督のコーナーから。
座乗していた戦艦ヴィクトリーは記念艦としてドライドックに保存されていますが、第一海軍卿旗艦として、今なお現役です。


1805年に起きた「トラファルガーの海戦」です。
ナポレオン戦争最大の海戦で、ジオラマではフランス・スペイン連合艦隊(左)の隊列を分断すべく、
二列縦隊で突撃する「ネルソン・タッチ」の瞬間が再現されています。

 
19世紀に入ると蒸気機関が実用化され、動力船の時代がやってきます。
いやはや、こんなものまでキット化されてるんですなぁ。
そういえばガイコツだの人体模型だののプラモもありましたっけ。
あとゼンマイで走る落ち武者の生首とか・・・ありゃ意味が違うか。
 

帆船の時代が終わり、鉄の戦艦の時代です。
さすが陽の沈まぬ帝国。とんでもない物量です。
これは第一次世界大戦を中心にした展示。

イギリスとくれば筋金入りの海軍マニアの国です。
当然、ありとあらゆるものが模型になります。
これは1/48の水雷艇。このぐらいのスケールだとインテリア感覚ですね。
 
第二次世界大戦です。大艦巨砲主義の絶頂期にして終焉の時代です。
ちなみに会場には洋書・和書問わず、さまざまな文献や写真集も置いてあり、
自由に読むことができます。資料類の充実も英国海軍が一番ではないでしょうか。


英雄の名を冠した戦艦ネルソン。主砲の配置がなんとも独特で、
英国センスの面目躍如ですが、戦艦大和でも、この配置が検討されていました。
使い勝手はあまりよくなかったようですが、終戦まで奮戦しました。

プリンス・オブ・ウェールズ(POW)です。
大日本帝国海軍の航空攻撃によって撃沈されてしまいました。
キットは1/350で、作り込まれた細部が見応え十分です。
 
当然レパルスも並んで展示されています。
POWと枕を並べて討ち死にしました。こちらも/1/350です。
老眼で1/700が作りにくくなったとは、ミンダナオ会の人の弁。

巡洋戦艦フッド。ドイツ戦艦ビスマルクの主砲斉射が直撃し、
ほとんど一瞬で轟沈した悲劇の戦艦です。生存者は1,419名中、たったの3名。

クィーン・エリザベス級戦艦パーラム。
地中海でドイツのUボートの攻撃を受けて沈没しました。
横転して凄まじい大爆発を起こす様子が記録されており、
YouYubeで見ることができます。動画のリンクはこちら。

さっきから派手にやられた戦艦ばかりを紹介してるみたいですが、他意はありません。
そもそも英国海軍は獰猛な戦術を好む面があり、戦果も損害も派手なことが多いのです。
その典型がナルヴィクの海戦。ノルウェーのフィヨルドに戦艦を突入させてドイツ海軍をフルボッコとか・・・。
四畳半のアパートでヘビー級ボクサーが殴りあうようなもんです。よくやりますわ。

精密なジオラマは今回も健在。なんか撮影しくじってピンポケなんで
白黒にして記録写真風にしてみました。

英国で沈没したフネとなると、一番有名なのは、やはりタイタニックでしょうか。
今回のテーマは「英国の艦船」で「英国の軍艦」ではないところがミソ。
民間船もちらほら展示されています。客船のキットが充実しているのもイギリスならでは。


イギリスを代表する客船といえば、やはりクィーン・エリザベス二世(QEⅡ)。
すでに新型に代替わりしていますが、乗ってみたかったのはこっちですよねぇ。
あえなくスクラップになるかと思いきや、まだ係留されていて
第2の人生をめぐる話もチラホラあるそうです。

V/STOL空母「インヴィンシブル」。フォークランド紛争に参加し、英国の勝利に貢献しました。
この戦争はハイテク兵器が激突した20世紀唯一の海戦です。

上はフォークランド紛争に参加したQEⅡ。輸送力と速力が買われて兵員輸送船として徴用されました。
きらびやかな船内にはベニア板が貼られ、船体も無粋な色に塗り直されます。
戦闘海域へ赴くわけですからアルゼンチン軍による攻撃で撃沈される可能性もありました。
下は同じく民間船のアトランティック・コンベア。
コンテナ船を応急改造して、ハリアーが離着艦できるようになっています。
こちらは攻撃を受けて炎上し、喪失。民間の船員も犠牲になっています。

現代の英国海軍。戦略原潜のヴァンガードです。
スクリューをダクトで覆ったポンプジェット推進を採用しています。
あまりメジャーにならないあたり、効果の程は不明。


英国の艦船には当然「英連邦の艦船」も含まれます。
で、感心すると同時になかば呆れた哨戒艇の一群。
「どれも一緒やんか・・・」と思いますが、ここまでやるのがミンダナオ会なんですな。

英国王室の専用ヨット「ブリタニア」。クラシックな外観の美しい船です。
香港が中国に返還される時、王室関係者を乗せて九龍湾に浮かんでいました。
現在は退役してエジンパラに保存されており、一般公開されてるそうです。

さて、イギリスと言えばSF作家の大御所H.G.ウェルズを輩出した国。
てなわけで、ありましたよ…「宇宙戦争」の1シーンを再現したジオラマが。
ロンドン市民が脱出する時間を稼ぐため、水雷衝角艦サンダーチャイルドが
火星人の戦闘機械めがけて体当たり攻撃を仕掛ける瞬間です。
スピルバーグが宇宙戦争をリメイクすると聞いた時は、
正調ヴィクトリア時代バージョンを完全再現してくれるのでは期待したのですが・・・。

展示目録を見て「なぬッ?!」となった一品。
ぶっちゃけ、最初はただのディスプレイ台にしか見えませんでしたよ。
一部でやたら有名な氷山空母「ハボクック」です。

進化論を書いたチャールズ・ダーウィンが乗っていたビーグル号。
キリスト教原理主義の敵みたいなもんでしょうか。
1/700のスケールで見ると本当に小さくて、よくこんな船で世界を巡ったと思います。

今回は「英国の艦船」と別に探査・調査船や測量艦などのミニコーナーも併設されていました。
これは日本の歴代砕氷船が勢ぞろいした図。現実には見られない光景ですが、
これはこれでワクワクしますね。他に「しんかい6500」なども展示されていました。



とりあえず、今回はこんなところです。
次回も来年の2月頃の開催で、テーマは大日本帝国海軍を予定しているそうです。
艦これブームだし、大勢の見学者で賑わうといいですね。
でわでわ~。



2014年2月5日水曜日

今日のソ連邦  第14号 1987年7月15日

どもです。
本当は1月中に更新する予定だったのですが、インフルエンザをこじらせてしまいました。ひどいもんです。皆様もご自愛ください。

さて、今回の表紙はボルゴグラード(かつてのスターリングラード)にある母なる祖国像の修復です。本文はもうちょっと後で。

この号の当時の目玉は、大型宇宙ロケット「エネルギア」の記事でした。ノーボスチ通信の記者がソ連宇宙総局のステパン・ポゴジャシ部長にインタビューしていますが、今ではより詳しい記事がネットで簡単に拾えますので割愛します。ちなみにこの時のエネルギアは「軌道投入試験用の模擬衛星」を搭載していたことになっていますが、実際にはガチの軍事衛星だったことがわかっています。

次に目を引くのは「ソ連の生活の質」という記事。隔月の連載記事で、この号で7回目になります。さまざまな分野をソ連の社会学者ビタリー・トレチャコフ氏が10点満点形式で採点するというもので、これまでを見ますと「住民の健康・7点」「食生活・8点」「衣料・6点」「教育・9点」「家庭のしつけ・8点」 などとなっています。
食生活の点数が高いのはカロリーベースや肥満の比率などから導き出されたもので、食生活そのものは決して低いレベルではないというのがトレチャコフ氏の見解です。これには多くの反響があったようで、「国営商店の品不足や行列をどう説明するのか?」との意見が多く寄せられたとのこと。

それに対する回答が今回の記事で、「サービス部門・3点」と厳しい評価が下されています。
具体的にはソ連で生産される農産物の25パーセントが輸送や保管の際に失われています。冷蔵設備のない倉庫で保管される食肉、屋根の無い貨車で運ばれる穀物などが実り多き大地の恵みをムダにしているのです。
小売店では労働意欲の低さが槍玉にあげられています。労働者たちは閉店時間近くに届いた生鮮食品を「早く家に帰りたい」という理由から陳列せずに放置し、結果、店頭に並ぶのは鮮度の落ちた翌日ということがしばしばあるとか。
そして、国民生活を台無しにしている「行列」があります。「これはソビエト社会の真の病気である」とトレチャコフ氏は述べています。食糧は十分に生産され、国民にはそれを買うだけの所得があり、現実に飢えている者はひとりもいない……にも関わらず。
経済学者の試算では、ソ連市民が行列に費やす時間は、国民一人当たり年間100時間近く。もちろん赤ん坊や寝たきり老人が行列するわけありませんから、実際には社会の中核を担う層がより多くの時間を失っているということになります。解決方法としては1987年5月1日から施行された「個人労働活動法」が期待されていますが、結果が出るまでにはまだ時間がかかるだろうとトレチャコフ氏は述べています。

次の記事は「殺菌した空気でやけどを治す」というもの。
モスクワのビシネフスキー記念外科研究所・全ソビエト火傷センターで開発されたという治療法です。原理的にはシンプルで、患部全体をポリ塩化ビニールのカプセルで密閉し、そこに殺菌された空気を送り込むというもの。気圧や温度、湿度は症状によって調整されており、フィルターによって空気内に漂う微少粒子も最低レベルにしてあります。
この方式のメリットは包帯と軟膏がいらないという点で、皮膚移植までの準備期間も1/3から半分に減らすことができるのだとか。
装置は4タイプあり、火傷面積が広い重傷患者のための一人用装置、小児用に特別に設計されたタイプ、手足など比較的小さな患部用で一度に5人に空気を送り込めるタイプ、そして持ち歩けるポータブルタイプがあります。
写真は複数患者用で、患者の足を覆う半透明のカプセルとホース、壁に取り付けられた空気を送る装置などが確認できます。
 
次は表紙にもなっている「母なる祖国像の修復」についての記事です。スターリングラード戦を記念するモニュメントのひとつとして1963年から67年にかけて作られました。高さは50メートル。しかし、鉄筋コンクリートで作られているため表面に細かなヒビが生じ、内部に雨水が染み込む事態になっていたのだとか。
そこで1972年に大規模な修復が行われ、像の全体に特殊な防水塗料を塗る作業が行われました。しかし、この方法は当時の金額で150万ルーブルもかかった上に、巨大な足場が丸一年もの間、像を覆い、観光客をがっかりさせる結果に。
そこで今回、市当局はボルゴグラード登山連盟のベテランたちに頼もうということになったのだとか。この方式なら費用は安く済み、観光客も珍しい作業を見物できるとあって、一石二鳥だったのだそうです。

次はイルクーツク300周年の記事。
シベリアのパリとも呼ばれる美しい都市だそうです。1661年から69年にかけてアンガラ川の右岸に要塞が築かれたのが始まりで、1967年にイルクーツク市となったことから300周年をお祝いすることになったようです。
1825年には「デカブリストの乱」で暴動を起こした貴族が流刑され、オホーツク海で遭難した大黒屋光太夫も滞在していたことがあります。日本軍のシベリア出兵や抑留の舞台ともなりました。

このイルクーツク。「暖かい日」と呼べるのは年間90日以下。反対に雪と極寒の季節は6ヶ月に及びます。暖房が必要な日数は約250日。この間、消費される石炭は20万トンに及びます。
イルクーツクに限りませんが、ソ連の都市は集中暖房方式で、ここでも7つの熱供給発電所が4万の住宅に熱と電力を供給しています。蒸気ボイラー方式の暖房設備も石炭から重油に切り替えられ、大気汚染が改善したそうです。2つの見開きページでは短い夏をしっかりつかもうとするソ連の人たちが大勢写っています。

最後は共和国紹介の記事。
シベリアから一転してトルクメン共和国です。現在のトルクメニスタンですね。
中央アジアの南西部に位置する砂漠の国で、カラクム(トルクメン語で「黒い砂」の意味)砂漠は国土の90パーセントを占めます。 トルクメン人はスマートで浅黒い肌、眉や髪も黒です。男性は伝統に従って頭を剃っていることが多く、年配者は髭をたくわえています。娘たちはお下げを4本に網、胸に垂らします。都市部では2本にしている子が多いのですが、それでも必ず前に垂らします。
有名なのは絨毯と羊毛。特にカラクリ羊皮(アストラカン毛皮)は特産品です。そのカラクリ羊皮には伝説があります。

昔々、わがままな娘が恋人の羊飼いに「婚礼のために黒いバラが欲しい」と言いました。しかし、羊飼いが住んでいるのは山の中で季節外れでもあったため、黒いバラどころか普通の花もありません。羊飼いは太陽に黒いバラをお願いしてみましたが、太陽は高くのぼり、遠くへ沈むだけでした。それでも羊飼いは羊の群れとともに太陽を追いかけました。
ひたすら砂漠を歩き、靴は破れ、杖は針のように細くなってしまいました。時は流れ、二度目の春、群れの羊が珍しい小羊を生みました。巻き毛のように波打った黒い毛皮は、まるでバラのようでした。羊飼いは「ありがとう! 太陽さん!」と叫びました。
カラクリはトルクメン語で「黒いバラ」という意味だそうです。

今回はこんなところで。
でわでわ~。






2014年1月1日水曜日

2014謹賀新年


新年あけましておめでとうございます。
おかげさまで、このブログもじわじわ続いております。
今年が皆様にとって素晴らしい一年でありますように。
そして、本年もよろしくお願いいたします。

С Новым Годом!

A HAPPY NEW YEAR!