2014年4月26日土曜日

今日のソ連邦  第23号 1987年12月1日

やれやれ。4月中に更新できて一安心。
さて、今回の表紙は最初に見た時に思わず目を疑ったものです。例によってゴルバチョフ政権の「グラスノスチ(情報公開)」の一端なわけですが、さすがに化学兵器基地の公開というのは、当時のソ連の秘密主義からはにわかに信じられないレベルだったのです。

場所は「シハノフ基地」。サラトフ州の州都で同名のサラトフ市から陸路で北東方面に150キロほど進んだ高地で、ボルガ川沿いにあります。
ここは現在もロシア連邦軍の第1NBC防護機動旅団が駐屯している他、国防省管轄の研究所、臨床病院などがあり、関係者とその家族が住む街はボリスク-18【Вольск-18(シハヌイ-2【Шиханы-2】)と呼ばれる立ち入り制限区域に指定されています。いわゆる「秘密都市」です。

公開に先立ち招かれたのはジュネーブの化学兵器禁止条約交渉に参加している40ヶ国の代表団、国連代表、そしてソ連および諸外国のジャーナリストで、日本からも朝日新聞の記者が招かれています。参加者全員にガスマスクが配布される物々しさで、ソ連軍が保有する各種化学兵器の標準サンプルの公開と化学兵器を実際に解体・破棄する一連いの作業のデモンストレーションが行われました。

展示された兵器は野砲用とロケットランチャー用の化学装薬。戦術ミサイル用化学弾頭。航空機搭載用の化学爆弾。各種の化学薬品散布装置、それに化学手榴弾など。大きなものでは重量1500キログラム、小さいものでは250グラムと様々な種類です。

基地の将校たちは各種兵器の詳細な戦闘目的、爆弾のゲージ、爆弾の中に装填された各種有害物質のコード名や化学式、特性、信管のタイプ、充填されている化学物質そのものの総量などを説明したとありますが、残念ながら記事には載っていません。

解体デモンストレーションでは「サリン」を充填した250キロの航空爆弾がサンプルに使われ、サリンの無毒化と爆弾そのものの解体が公開されました。この一連の作業で使われたのが「化学兵器解体・廃棄用の移動式コンプレクス」なるもの。コンプレクスとは一連のシステムを構成する各種機材をまとめたもので、ソ連の科学技術分野では頻繁に登場する名称です。

コンプレクスは何台もの軍用車両に牽引されるトレーラーとそこに載せられたコンテナ群で構成されています。各種コンテナには実験室、有毒物質を無毒化するニッケル製の化学反応装置、1000度の高温で廃棄物を焼却する装置などが搭載され、これからの部隊の展開・稼働には3時間あれば十分とのこと。

作業は表紙にも写っている作業台で行われます。化学部隊の専門家がドリルで爆弾に穴を開け、特殊な注射器を装着して中の化学物質を抜き取ります。数十分後、中和反応機の中でサリンは致死性を失い、別の物質に変化します。
ただし、一滴だけは有毒のまま残されました。
取材陣に「解体した爆弾が本物の化学兵器であることを証明する」ために、密閉空間に閉じ込められた哀れなウサギに注射するためです。もちろんウサギは即死。続いて別のウサギが持ち込まれ、今度は反応中和機の内部で無毒化された液体が注射されます。こちらは少なくともデモンストレーション中に死ぬようなことはありませんでした。

ウサギの尊い犠牲に哀悼の意を表しつつ、次のコーナー。モクスワの創建840周年のイベントです。見開きのパノラマは位置関係から見てロシア・ホテルの最上階にあったバーからの撮影でしょうか。現在は取り壊されてありません。
この日はモスクワのあちこちでイベントやパレードが行われ、様々な時代の衣装で着飾った人々が街をねり歩きます。もちろん軍装の人々も。仮装行列のようなものですね。

ちなみにこのイベントを企画したのはソ連共産党モスクワ市委員会第一書記。名前をボリス・エリツィンと言います。後にロシア連邦初代大統領になる酔っぱらいです。

さて、モスクワつながりで他の記事を見ますと「赤ちゃんの名付け式」というタイトルがありました。モスクワに限りませんがソ連では行政区ごとに「ザークス(身分事項登録機関)」という役所があります。戸籍を扱う部署です。「赤ちゃんの名付け式」というのは、新生児と両親、その他の家族が集まって地区ソビエト代議員立ち会いのもと、厳かな雰囲気で出生登録をし、新しいソビエト市民の誕生をお祝いするというもの。いかにも社会主義国家らしいお祝いのやり方です。

ソ連にはそれぞれの共和国ごとに「共和国結婚家族法」という法律が整備されており、「出生登録は子の出生地または親の住所地のザークスで行う。ザークスは出生登録の儀式的な状況を保証する(ロシア連邦共和国結婚家族法典 第一四八条 第一項および第二項)」とあり、書類を提出してハイおしまい、というだけではなさそうです。ザークスによれば儀式形式の登録を希望するのは登録に訪れる家族のおよそ半数とのこと。

定刻の三時になるとバイオリン、ビオラ、チェロ、ハープのアンサンブルによる音楽の生演奏が始まり、ホールの扉が開いて赤ちゃんを抱いた父親、母親が入場し、後ろからぞろぞろと祖父母や兄弟などが続くと言いますから、まんま結婚式です。
ホールの中央には大きなテーブルがあり、ロングドレスに大きな胸飾りをつけた女性が立っています。この胸飾りは単なる宝飾品ではなく、15の共和国の紋章をかたどったもので、身分事項登録官の正式装備なのだとか。
ここで厳かに結婚のお祝いと身分登録の手続きが宣言され、生演奏をバックに両親が出生登録簿に署名をするという流れです。

ちなみに名付け式が終わるとお母さんには数冊の本が手渡されます。「赤ちゃんの健康を守るには」「赤ちゃんの心の発達」「離乳食の作り方」「赤ちゃん体操のさせかた」などなど。面白いのは「お母さんの美容のために」という本もあること。出産後の化粧の仕方や顔の小じわを伸ばすマッサージのやり方などが図解入りで説明されてるのだそうです。

続いての記事は「ソ連緒民族の祭り・伝統・風俗」から。東シベリアのハカス自治州の紹介です。ハカス自治州(ハカシア)はシベリア南東部に位置し、行政区分ではロシアのクラスノヤルスク地方の一部ということになります。
人口は50万人あまり。州都はアバカン。シベリアらしく冬は長く厳しい寒さが続きます。天然資源に恵まれ、様々な鉱物や建築材料を産出しているのもシベリアならでは。

特筆すべきは人口密度でハカス自治州はシベリアでもっとも高い人口密度を誇ります。なんと1平方キロメートルあたり8.6人! さすがに東京23区の14389人にはわずかに及びませんが、それでもシベリア基準では満員電車のようなものなのではないでしょうか。

ハカス人はテュルク語系の民族で、アルタイ人やショール人と同系民族です。革命以前はミヌシンスキー・タタール人とかアバカンスキー・タタール人、あるいはひとまとめにテュルク人と呼ばれていました。彼らの民族的創造性は文学とポエジー、演劇、民族音楽などです。1980年にはハカスの民間伝承をモチーフにしたオペラ「鷹の息子」が初演されています。

次の記事は「第一感ソ米子供キャンプ」のレポート。ソ連にはピオニール・キャンプが、アメリカではサマーキャンプがありますが、それを共同で行おうという企画です。正式には「社会的発明者・21世紀の創造者としての子供たち」という仰々しい名称。
 
本文の記事によると「子供たちは本来が正直で、生活苦や人生の悲劇にさらされていないので、ある意味、大人たちより物事の本質に迫ることができるかもしれないから」とのことで、「子供たちのコミュニケージョン能力で新しいものを吸収する速さなどを学ぶ必要がある」からだとか。

こう述べるのは主催者のひとりピチリム師。ロシア正教会府主教です。
彼が言うには「キリストは子供のようになりなさい。子供のようにならないなら天国に入っては行けませんと言っています。天への道、清らかで平和な天への道は、我々の未来の社会的発明者である子供たちが開いてくれる、と私は考えています」とのことで、まさか今日のソ連邦でキリストの言葉が引用されるとは思いませんでしたよ。果たして、この府主教さまも党員なのかしらん?

さて、最後は1988年度のソ連国家予算の概要です。
2ページに分かれていたのを無理矢理つなげました。国防予算も公表されていますが、ソ連の国防費は他の省庁の予算に紛れ込んでいるものも多く、その本当の予算規模を知るのは難しいと言われています。
とはいえ公式な数字を見ないことには、そんな分析もできないわけで、退屈な数字の羅列ですが、まぁ、一回ぐらいはこんな記事を載せるのも良いでしょう。



話題があちこちに飛んでチクハグな感じの紹介になりましたが、今回はこんなところで。
でわでわ~。



ゲームラボ(三才ブックス)でも鋭意連載中です。こちらもよろしく~。 



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