まぁ、これがウチの平常運転ということで。
梅雨入りでテンション下がり気味なこの時期ですが、今回の表紙はなんとも晴れやかで景気いい感じです。10月革命70周年を祝う人々で埋めつくされた赤の広場です。毎年の恒例行事ではありますが、やはりキリのいい数字は盛り上げ方が違います。
基本的な部分をおさえておくと、 記念日は11月7日。これは現在の西暦がグレゴリオ歴だから。当時はユリウス歴なので日付がズレてるんですな。でも、これが事実上、ソ連最後の輝きでした。
さて、70周年の祝賀行事は11月2日にクレムリンの大会宮殿で行われた記念式典から始まります。これはペレストロイカを掲げるゴルバチョフ書記長の最初の大舞台でした。ここでの演説がソ連全土に大きな影響を与えることになるからです。その後も2日、3日にわたってソ連共産党中央委員会、ソ連最高会議およびロシア連邦共和国最高会議の共同開催による記念式典が挙行されました。もちろん他の15の共和国でも、それぞれの最高会議が主催する式典が行われています。
ここには世界各国から合計178の政党、団体、運動の代表者が参加し、さながら「世界のアカ大集合」の様相を呈しています。日本からも当然のことながら日本共産党が参加しています。
しかし、なんといっても最大のイベントは11月7日に赤の広場で行われるパレードです。当時の西側各国のソ連ウォッチャーは、レーニン廟に並ぶ閣僚の順番からクレムリン内部のパワーバランスを推測し、軍事専門家はパレードにどんな兵器が登場するかでソ連軍の実態に迫ろうとしていました。
とはいえ、今回の式典は軍事面ではちょっと拍子抜けだったようです。ゴルバチョフ書記長は準備に手間と金がかかるパレードに実戦部隊を投入することに消極的で、なおかつ軍事一辺倒のイメージを払拭したいと考えていたようです。結果、パレードは「赤軍の歴史をたどる」というソフト路線になります。
最初に登場するのは「ロシア社会民主労働党」の旗。続いて、1920年代の「国内戦」と、それに続く諸外国からの「干渉戦争」に対して功績のあった部隊や兵団およそ150の旗が続きます。行進しているのは現役の兵士たちですが、衣装は当時を再現したもの。黒い上下の革製ユニフォームに赤い腕章。ベルトにはストックを兼用した木製ホルスターにマウザー拳銃を吊り下げています。時代が第一次世界大戦になるとロングコートに毛皮帽の一団、マキシム機関銃の弾帯をたすきがけにした海軍水兵が登場。
その次はソ連邦成立の黎明期に移り、初期の赤軍が登場。ブジョンノフカと呼ばれる布製の戦闘帽に、矢印型の派手な胸飾りのついたロングコートの軍隊が現れます。中でもマキシム機関銃を乗せた四頭立ての馬車「チャタンカ」は、観衆から注目を集めていました。
次に登場するのは大祖国戦争の兵士たち。1945年にベルリンの国会議事堂に翻った「勝利の旗」の実物が博物館からわざわざ持ち出され、部隊を先導します。続く軍旗はやはり150本。兵士たちはPPsh-41短機関銃を構えて行進します。
ニヤリとさせられるのは全員がポンチョをマントのように羽織り、たなびかせていたこと。このパレードを構成した人は色々わかってる人です。ちなみに行進している彼らはクイビシェフ工兵学校の学生たち。
その後は現役部隊の分列行進が続きますが、ほとんどは軍大学や高等士官学校の学生。空挺部隊もリャザン空挺学校の候補生たちです。最後を飾るのは伝統に従い「ロシア連邦共和国最高会議記念モスクワ一般兵科指揮高等士官学校」の学生たちです。
この軍事パレードは厳密なスケジュールで管理され、時間は44分30秒、行進する兵士の歩数はきっかり226歩と決められていたそうです。赤の広場の長さ自体は700メートル近いので、これはレーニン廟の前後を特徴的なグースステップで行進する範囲のことだと思われます。ちなみに戦闘車両は26秒で横切ります。
余談ですが、中国の人民解放軍も天安門広場でパレードを行いますが、こちらは96歩だそうです。やはり閲兵のみの範囲で、前後の移動距離は含まれません。大雑把に計算してみると天安門の建物の横幅とほぼ同じ距離のようです。
ソ連ではこれまでにも色々な音楽が攻撃されてきました。「ジャズ=デブの音楽」、「ロックンロール=わざと乱暴に相手を無視する醜い踊り」、「ツイスト=健康によくない」などなど。そして今回はロックが攻撃目標に選ばれたというわけです。
記事によると、新聞にはロックを批判する投書であふれています。いわゆる学術派のプロ音楽家、学校の教師、そして親たちが「暴力的で意味不明の歌詞」「理解不能レベルの大音量」などに憤慨しているというわけです。面白いところでは「ボルガ川沿岸のある町の研究所のスタッフは人間の労働能力に対するメタルロックの影響を実験的に解明している。その結果はまことに物騒なものだ」などと「科学的視点での批判」もあったり。
ところで紙面で紹介されてるソ連のロックグループは、調べてみると今でも活動中のものが少なくないようです。もちろんメンバーは入れ替わったりしてますが。例えばデーモン閣下のようなメイクの「金属の腐食」はロシア語で【Коррозия металла】というグループ。1984年に結成され、アパートの地下室で無許可のライブをやらかして民警に踏み込まれるなど、なかなかの武勇伝を持つ
最後は「一家揃って寒中水泳」という記事。ソ連では「セイウチ式寒中水泳」なるものが普及し始めており、その是非をめぐって議論があるそうです。これは冬に川や海の氷をわざわざ割って自然のプールを作り、その中で泳ぐというもの。日本でも元旦の海に飛び込む人たちがニュースになってますが、果たして本当に健康にいいのか?というお話。
登場するのはドゥビーニン一家。夫のミハイルは42歳。職業はプロ・カメラマン。妻のタチアナは35歳の主婦。ふたりは4人の子持ちでソ連の基準でも大家族です。長男コースチャは13歳。次男マクシム12歳。一人娘のカーチャは9歳。そして三男のデニスカ1歳。お揃いのトレーニングウェアが、なんともいえない雰囲気で、「変わり者一家」に見えてしまいます。雪原で授乳するタチアナ母子の写真も芸術っぽさを意識しすぎてか、わざとらしい印象も。これダンナが撮影したんでしょうか? あとカーチャの写真は児童ポルノになるんかな? だとしても苦情はモスクワへお願いね。
一家は雨の日も雪の日も公園で朝のランニングをしています。晴れた日はたっぷり日光浴をしてから冷たい水の中で泳ぎます。しかし、少なからぬ人々が、子供たちが本当にそんなトレーニングを心から楽しんでいるのか疑っていると言います。
これに対し、記事はことのほか肯定的で「笑顔で水に入れてくれとせがむデニスカ坊やを見れば、全員が楽しんでいるのは明らかだ」と言っています。タチアナはデニスカを出産する直前まで寒中水泳をやっており、一家も5年間、医者にかかったことがないとのこと。
もちろん寒中水泳だけが一家の健康法というわけではなく、バランスの取れた食事やその他の筋力トレーニング、サウナでしっかり身体を暖めることなども重要だと言っています。
とはいえ医学界の反応はかんばしくありません。
確かにシベリアのヤクート人やオスチャク人、ツングース人などの間では、新生児を雪でマッサージしたり、幼児に冷水を浴びせる健康法が「古来からの習慣」として存在します。しかし、実際の効果は個人差が大きく、未発達の児童に行うには不適当だとの見解です。「アマチュア集団の極端な健康法の最大の欠点は、一部の成功例のみを根拠にして、それが万人に効く特効薬であるかのように錯覚してしまうことだ」と厳しいものです。
もちろん、これはドゥビーニン一家を槍玉にあげたものではなく、一般論としててのコメントですが、まぁ、医師としては客観的データのない民間療法を、おいそれと認めるわけにはいかないのは理解できます。
今回もあれこれ脈絡のない紹介ですが、気にしません。
とりあえずはこんなところで。でわでわ~。
ゲームラボ(三才ブックス)でも鋭意連載中です。こちらもよろしく~。
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