2014年2月5日水曜日

今日のソ連邦  第14号 1987年7月15日

どもです。
本当は1月中に更新する予定だったのですが、インフルエンザをこじらせてしまいました。ひどいもんです。皆様もご自愛ください。

さて、今回の表紙はボルゴグラード(かつてのスターリングラード)にある母なる祖国像の修復です。本文はもうちょっと後で。

この号の当時の目玉は、大型宇宙ロケット「エネルギア」の記事でした。ノーボスチ通信の記者がソ連宇宙総局のステパン・ポゴジャシ部長にインタビューしていますが、今ではより詳しい記事がネットで簡単に拾えますので割愛します。ちなみにこの時のエネルギアは「軌道投入試験用の模擬衛星」を搭載していたことになっていますが、実際にはガチの軍事衛星だったことがわかっています。

次に目を引くのは「ソ連の生活の質」という記事。隔月の連載記事で、この号で7回目になります。さまざまな分野をソ連の社会学者ビタリー・トレチャコフ氏が10点満点形式で採点するというもので、これまでを見ますと「住民の健康・7点」「食生活・8点」「衣料・6点」「教育・9点」「家庭のしつけ・8点」 などとなっています。
食生活の点数が高いのはカロリーベースや肥満の比率などから導き出されたもので、食生活そのものは決して低いレベルではないというのがトレチャコフ氏の見解です。これには多くの反響があったようで、「国営商店の品不足や行列をどう説明するのか?」との意見が多く寄せられたとのこと。

それに対する回答が今回の記事で、「サービス部門・3点」と厳しい評価が下されています。
具体的にはソ連で生産される農産物の25パーセントが輸送や保管の際に失われています。冷蔵設備のない倉庫で保管される食肉、屋根の無い貨車で運ばれる穀物などが実り多き大地の恵みをムダにしているのです。
小売店では労働意欲の低さが槍玉にあげられています。労働者たちは閉店時間近くに届いた生鮮食品を「早く家に帰りたい」という理由から陳列せずに放置し、結果、店頭に並ぶのは鮮度の落ちた翌日ということがしばしばあるとか。
そして、国民生活を台無しにしている「行列」があります。「これはソビエト社会の真の病気である」とトレチャコフ氏は述べています。食糧は十分に生産され、国民にはそれを買うだけの所得があり、現実に飢えている者はひとりもいない……にも関わらず。
経済学者の試算では、ソ連市民が行列に費やす時間は、国民一人当たり年間100時間近く。もちろん赤ん坊や寝たきり老人が行列するわけありませんから、実際には社会の中核を担う層がより多くの時間を失っているということになります。解決方法としては1987年5月1日から施行された「個人労働活動法」が期待されていますが、結果が出るまでにはまだ時間がかかるだろうとトレチャコフ氏は述べています。

次の記事は「殺菌した空気でやけどを治す」というもの。
モスクワのビシネフスキー記念外科研究所・全ソビエト火傷センターで開発されたという治療法です。原理的にはシンプルで、患部全体をポリ塩化ビニールのカプセルで密閉し、そこに殺菌された空気を送り込むというもの。気圧や温度、湿度は症状によって調整されており、フィルターによって空気内に漂う微少粒子も最低レベルにしてあります。
この方式のメリットは包帯と軟膏がいらないという点で、皮膚移植までの準備期間も1/3から半分に減らすことができるのだとか。
装置は4タイプあり、火傷面積が広い重傷患者のための一人用装置、小児用に特別に設計されたタイプ、手足など比較的小さな患部用で一度に5人に空気を送り込めるタイプ、そして持ち歩けるポータブルタイプがあります。
写真は複数患者用で、患者の足を覆う半透明のカプセルとホース、壁に取り付けられた空気を送る装置などが確認できます。
 
次は表紙にもなっている「母なる祖国像の修復」についての記事です。スターリングラード戦を記念するモニュメントのひとつとして1963年から67年にかけて作られました。高さは50メートル。しかし、鉄筋コンクリートで作られているため表面に細かなヒビが生じ、内部に雨水が染み込む事態になっていたのだとか。
そこで1972年に大規模な修復が行われ、像の全体に特殊な防水塗料を塗る作業が行われました。しかし、この方法は当時の金額で150万ルーブルもかかった上に、巨大な足場が丸一年もの間、像を覆い、観光客をがっかりさせる結果に。
そこで今回、市当局はボルゴグラード登山連盟のベテランたちに頼もうということになったのだとか。この方式なら費用は安く済み、観光客も珍しい作業を見物できるとあって、一石二鳥だったのだそうです。

次はイルクーツク300周年の記事。
シベリアのパリとも呼ばれる美しい都市だそうです。1661年から69年にかけてアンガラ川の右岸に要塞が築かれたのが始まりで、1967年にイルクーツク市となったことから300周年をお祝いすることになったようです。
1825年には「デカブリストの乱」で暴動を起こした貴族が流刑され、オホーツク海で遭難した大黒屋光太夫も滞在していたことがあります。日本軍のシベリア出兵や抑留の舞台ともなりました。

このイルクーツク。「暖かい日」と呼べるのは年間90日以下。反対に雪と極寒の季節は6ヶ月に及びます。暖房が必要な日数は約250日。この間、消費される石炭は20万トンに及びます。
イルクーツクに限りませんが、ソ連の都市は集中暖房方式で、ここでも7つの熱供給発電所が4万の住宅に熱と電力を供給しています。蒸気ボイラー方式の暖房設備も石炭から重油に切り替えられ、大気汚染が改善したそうです。2つの見開きページでは短い夏をしっかりつかもうとするソ連の人たちが大勢写っています。

最後は共和国紹介の記事。
シベリアから一転してトルクメン共和国です。現在のトルクメニスタンですね。
中央アジアの南西部に位置する砂漠の国で、カラクム(トルクメン語で「黒い砂」の意味)砂漠は国土の90パーセントを占めます。 トルクメン人はスマートで浅黒い肌、眉や髪も黒です。男性は伝統に従って頭を剃っていることが多く、年配者は髭をたくわえています。娘たちはお下げを4本に網、胸に垂らします。都市部では2本にしている子が多いのですが、それでも必ず前に垂らします。
有名なのは絨毯と羊毛。特にカラクリ羊皮(アストラカン毛皮)は特産品です。そのカラクリ羊皮には伝説があります。

昔々、わがままな娘が恋人の羊飼いに「婚礼のために黒いバラが欲しい」と言いました。しかし、羊飼いが住んでいるのは山の中で季節外れでもあったため、黒いバラどころか普通の花もありません。羊飼いは太陽に黒いバラをお願いしてみましたが、太陽は高くのぼり、遠くへ沈むだけでした。それでも羊飼いは羊の群れとともに太陽を追いかけました。
ひたすら砂漠を歩き、靴は破れ、杖は針のように細くなってしまいました。時は流れ、二度目の春、群れの羊が珍しい小羊を生みました。巻き毛のように波打った黒い毛皮は、まるでバラのようでした。羊飼いは「ありがとう! 太陽さん!」と叫びました。
カラクリはトルクメン語で「黒いバラ」という意味だそうです。

今回はこんなところで。
でわでわ~。






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