2014年2月5日水曜日

今日のソ連邦  第14号 1987年7月15日

どもです。
本当は1月中に更新する予定だったのですが、インフルエンザをこじらせてしまいました。ひどいもんです。皆様もご自愛ください。

さて、今回の表紙はボルゴグラード(かつてのスターリングラード)にある母なる祖国像の修復です。本文はもうちょっと後で。

この号の当時の目玉は、大型宇宙ロケット「エネルギア」の記事でした。ノーボスチ通信の記者がソ連宇宙総局のステパン・ポゴジャシ部長にインタビューしていますが、今ではより詳しい記事がネットで簡単に拾えますので割愛します。ちなみにこの時のエネルギアは「軌道投入試験用の模擬衛星」を搭載していたことになっていますが、実際にはガチの軍事衛星だったことがわかっています。

次に目を引くのは「ソ連の生活の質」という記事。隔月の連載記事で、この号で7回目になります。さまざまな分野をソ連の社会学者ビタリー・トレチャコフ氏が10点満点形式で採点するというもので、これまでを見ますと「住民の健康・7点」「食生活・8点」「衣料・6点」「教育・9点」「家庭のしつけ・8点」 などとなっています。
食生活の点数が高いのはカロリーベースや肥満の比率などから導き出されたもので、食生活そのものは決して低いレベルではないというのがトレチャコフ氏の見解です。これには多くの反響があったようで、「国営商店の品不足や行列をどう説明するのか?」との意見が多く寄せられたとのこと。

それに対する回答が今回の記事で、「サービス部門・3点」と厳しい評価が下されています。
具体的にはソ連で生産される農産物の25パーセントが輸送や保管の際に失われています。冷蔵設備のない倉庫で保管される食肉、屋根の無い貨車で運ばれる穀物などが実り多き大地の恵みをムダにしているのです。
小売店では労働意欲の低さが槍玉にあげられています。労働者たちは閉店時間近くに届いた生鮮食品を「早く家に帰りたい」という理由から陳列せずに放置し、結果、店頭に並ぶのは鮮度の落ちた翌日ということがしばしばあるとか。
そして、国民生活を台無しにしている「行列」があります。「これはソビエト社会の真の病気である」とトレチャコフ氏は述べています。食糧は十分に生産され、国民にはそれを買うだけの所得があり、現実に飢えている者はひとりもいない……にも関わらず。
経済学者の試算では、ソ連市民が行列に費やす時間は、国民一人当たり年間100時間近く。もちろん赤ん坊や寝たきり老人が行列するわけありませんから、実際には社会の中核を担う層がより多くの時間を失っているということになります。解決方法としては1987年5月1日から施行された「個人労働活動法」が期待されていますが、結果が出るまでにはまだ時間がかかるだろうとトレチャコフ氏は述べています。

次の記事は「殺菌した空気でやけどを治す」というもの。
モスクワのビシネフスキー記念外科研究所・全ソビエト火傷センターで開発されたという治療法です。原理的にはシンプルで、患部全体をポリ塩化ビニールのカプセルで密閉し、そこに殺菌された空気を送り込むというもの。気圧や温度、湿度は症状によって調整されており、フィルターによって空気内に漂う微少粒子も最低レベルにしてあります。
この方式のメリットは包帯と軟膏がいらないという点で、皮膚移植までの準備期間も1/3から半分に減らすことができるのだとか。
装置は4タイプあり、火傷面積が広い重傷患者のための一人用装置、小児用に特別に設計されたタイプ、手足など比較的小さな患部用で一度に5人に空気を送り込めるタイプ、そして持ち歩けるポータブルタイプがあります。
写真は複数患者用で、患者の足を覆う半透明のカプセルとホース、壁に取り付けられた空気を送る装置などが確認できます。
 
次は表紙にもなっている「母なる祖国像の修復」についての記事です。スターリングラード戦を記念するモニュメントのひとつとして1963年から67年にかけて作られました。高さは50メートル。しかし、鉄筋コンクリートで作られているため表面に細かなヒビが生じ、内部に雨水が染み込む事態になっていたのだとか。
そこで1972年に大規模な修復が行われ、像の全体に特殊な防水塗料を塗る作業が行われました。しかし、この方法は当時の金額で150万ルーブルもかかった上に、巨大な足場が丸一年もの間、像を覆い、観光客をがっかりさせる結果に。
そこで今回、市当局はボルゴグラード登山連盟のベテランたちに頼もうということになったのだとか。この方式なら費用は安く済み、観光客も珍しい作業を見物できるとあって、一石二鳥だったのだそうです。

次はイルクーツク300周年の記事。
シベリアのパリとも呼ばれる美しい都市だそうです。1661年から69年にかけてアンガラ川の右岸に要塞が築かれたのが始まりで、1967年にイルクーツク市となったことから300周年をお祝いすることになったようです。
1825年には「デカブリストの乱」で暴動を起こした貴族が流刑され、オホーツク海で遭難した大黒屋光太夫も滞在していたことがあります。日本軍のシベリア出兵や抑留の舞台ともなりました。

このイルクーツク。「暖かい日」と呼べるのは年間90日以下。反対に雪と極寒の季節は6ヶ月に及びます。暖房が必要な日数は約250日。この間、消費される石炭は20万トンに及びます。
イルクーツクに限りませんが、ソ連の都市は集中暖房方式で、ここでも7つの熱供給発電所が4万の住宅に熱と電力を供給しています。蒸気ボイラー方式の暖房設備も石炭から重油に切り替えられ、大気汚染が改善したそうです。2つの見開きページでは短い夏をしっかりつかもうとするソ連の人たちが大勢写っています。

最後は共和国紹介の記事。
シベリアから一転してトルクメン共和国です。現在のトルクメニスタンですね。
中央アジアの南西部に位置する砂漠の国で、カラクム(トルクメン語で「黒い砂」の意味)砂漠は国土の90パーセントを占めます。 トルクメン人はスマートで浅黒い肌、眉や髪も黒です。男性は伝統に従って頭を剃っていることが多く、年配者は髭をたくわえています。娘たちはお下げを4本に網、胸に垂らします。都市部では2本にしている子が多いのですが、それでも必ず前に垂らします。
有名なのは絨毯と羊毛。特にカラクリ羊皮(アストラカン毛皮)は特産品です。そのカラクリ羊皮には伝説があります。

昔々、わがままな娘が恋人の羊飼いに「婚礼のために黒いバラが欲しい」と言いました。しかし、羊飼いが住んでいるのは山の中で季節外れでもあったため、黒いバラどころか普通の花もありません。羊飼いは太陽に黒いバラをお願いしてみましたが、太陽は高くのぼり、遠くへ沈むだけでした。それでも羊飼いは羊の群れとともに太陽を追いかけました。
ひたすら砂漠を歩き、靴は破れ、杖は針のように細くなってしまいました。時は流れ、二度目の春、群れの羊が珍しい小羊を生みました。巻き毛のように波打った黒い毛皮は、まるでバラのようでした。羊飼いは「ありがとう! 太陽さん!」と叫びました。
カラクリはトルクメン語で「黒いバラ」という意味だそうです。

今回はこんなところで。
でわでわ~。






2014年1月1日水曜日

2014謹賀新年


新年あけましておめでとうございます。
おかげさまで、このブログもじわじわ続いております。
今年が皆様にとって素晴らしい一年でありますように。
そして、本年もよろしくお願いいたします。

С Новым Годом!

A HAPPY NEW YEAR!






2013年12月19日木曜日

今日のソ連邦  第13号 1987年7月1日

タイミング的に今年最後の更新かな?
早いものでもう2年です。訪問してくださる方々に感謝です。

さて、表紙はソ連のごく一般市民の姉妹です。
左がタチアナ(14歳)、右がエーラ(20歳)。
シベリアのブラーツクに住むムサトフさん一家の長女と次女です。父ヴィアチェスラフ(46歳)はブラーツク暖房設備工場の技師。奥さんのガリーナ(42歳)は同工場のプログラマーとのこと。エーラは地元の音楽専門学校ピアノ科に通い、卒業間近。妹のタチアナは中学8年生で、音楽学校にも通っています。それまで一家はウクライナのドネツクで暮らしていましたが、シベリアに引っ越してきたのです。

引っ越しにあたってヴィアチェスラフとガリーナ夫妻はそれぞれ基本給2ヶ月分460ルーブルと300ルーブルを受け取り、それとは別に娘ふたり分として父の基本給一ヶ月分230ルーブルを受け取りました。
なお、ドネツク=ブラーツク間の航空券代金4人分(270ルーブル)と、家財道具を収めたコンテナの輸送代75ルーブルはブラーツクの会社が負担。一家のための住居も会社が提供しました。

ちなみに一家は、ドネツクの住居をシベリア滞在中も保有する権利を持っていましたが「戻らない」と決心したらしく、地区ソビエト委員会付属の「住宅交換所」に申し出てブラーツクの同程度の住居と権利を交換。工場から提供された住宅の権利と合わせて4DKのフラットを手に入れました。

えーと、ですね。今回は、やたら「お金」の話がでてきます。
モスクワに住む30代前半の民警中尉の月給が165ルーブルですから、ヴィアチェスラフの月給230ルーブルはなかなかのものです。しかし、ブラーツクに引っ越したことで、夫婦の基本給には、さらに40パーセント分の「シベリア手当て」が上乗せされます。

シベリア手当の係数は緯度で決められており、南部では15パーセント。極北部では100パーセントとなっています。
それだけではありません。勤務開始から5年間は基本給も毎年10%ずつ引き上げられます。こちらはシベリア北部地域だけに適用される特典で、極北部ではやはり100パーセントなんて数字も設定されています。

それだけシベリアの環境が過酷というわけですが、インフレなき社会主義経済を標榜するソ連にも、実質的インフレがあり、それを反映しているのではないかとの見方もできます。
とはいえムサトフ一家はかなり生活に余裕があります。家には娘のためのピアノ。自家用車を持ち、ブラーツク郊外には2500ルーブルかけてダーチャ(別荘)も建てました。

長女には月額30ルーブルの奨学金も出るので、一家の一ヶ月の収入は970ルーブル。所得税や組合費、党費などを収めた手取りは830ルーブルとなります。
支出面では家賃が月16ルーブル50コペイカ。電話料金(市内)2ルーブル50コペイカ。電気料金は平均して4ルーブル。なお、食費は300~350ルーブルと言いますから、やはりシベリアでの生鮮食料品は割高なようです。その他には交通費や日用品の購入に50ルーブル。衣類は月に100~150ルーブル。ムサトフさん一家は毎月、服を新調してるようです。
もちろん貯金もしていて月に100~200ルーブルを貯金局に入れてます。

「シベリア的な高給取り」は年次休暇も優遇されており、年36労働日。これはソ連欧州部の人々の1.5倍です。また、ソ連政府は3年に1度、夫婦にソ連国内の好きな場所へ行ける往復旅券を支給。ウクライナの親戚の家を定期的に訪れています。

見開きのグラビアは森の中でくつろぐムサトフ一家。右に目を向けると巨大なダムがあり、社会主義リアリズム絵画をそのまま写真にしたような構図ですね。

次の特集は科学。
1年間寝たきりというトンデモ人体実験のレポートです。
これは宇宙での長期滞在が人間の肉体に与える影響を調べるもので、モスクワの医学・生物学問題研究所が行いました。この種の実験はアメリカのNASAも行っていますが、せいぜい数週間から一ヶ月程度。それでも起き上がることができなかったり、貧血で倒れる人が続出だったそうです。

1年という期間はソ連だからこそできる大胆な挑戦です。
被験者は10人の成人男性。病院の隔離施設でベッドに仰向けに寝た状態を維持します。ハミガキ・洗顔、ヒゲソリ、食事。もちろん入浴やトイレもストレッチャー上で行います。
この状態が長く続くと下半身と上半身の血流が平均化する一方、足腰の筋肉や骨格がみるみるうちに衰えていきます。まさに宇宙ステーションにいるのと同じになるわけです。

被験者は、最初から激しい運動を義務づけられた組と、最初の4ヶ月はまったく運動しない組に分けられます。ランニングマシーンを縦型にした特別な機材が用意され、寝たまま走ったり、手足の筋トレをしました。見開き右の奇妙なズボンは真空服「チビス」と呼ばれるもので、下半身に圧力をかけることができます。これはソ連の宇宙ステーションに実際に搭載されている機材だそうです。
なお、取材時はデータ収集を終えた段階で結果は出ていません。現在の国際宇宙ステーションに生かされてるといいですね。

次の特集は伝説の名機ANT-25のお話。
ANT-25とはアンドレイ・ツポレフが設計した大型航空機で、航続距離は実に13000キロ。1931年12月に開発が始まり、わずか1年後に初飛行します。
1937年にはヴァレリー・チカロフがモスクワ→北極点→アメリカのパンクーバー(カナダとは別の都市です)を結ぶルートを無着陸で飛行することに成功。チカロフはソ連邦英雄となります。

もっとも、記者の人は、ただのヒコーキ好きだったようで、話題はあちこちに脱線しております。イラストはザハロフという人が描いてますが、こちらもかなり趣味に偏った感じ。流麗なタッチの魅力的な絵です。水彩絵の具で淡い色調で塗ったら映えるでしょうね。今日のソ連邦では、かなり毛色の違う記事です。

余談ですが、チカロフの偉業を讃える銅像がニジニー・ノブゴロド市にあります。飛行服姿のチカロフが手袋をはめようとしているポーズなのですが、これって相手を睨みつけながら腕まくりするポーズにそっくりで、ロシアでは相手にケンカを売る時にする侮辱的な仕種なのだとか。アメリカでいうところの中指を立てるジェスチャーに近いものだそうで、案内してくれたロシア人が「どうしてこんなポーズにしたのか理解できない」と言っていたのを覚えています。

さて。次は恒例の共和国の紹介。今回はアルメニア共和国です。ソ連のアネクドート、いわゆるスターリン・ジョークに親しんでる人ならアルメニア放送とかエレヴァン放送などで馴染みがあるかと思います。

アルメニアはザカフカスの南端に位置しており、イランやトルコと国境を接しています。ノアの方舟が流れ着いた場所と言われるアララト山を戴く国です。酒好きならアルメニア・ブランデーの名前を聞いたことがある人も多いでしょう。

アルメニアは太陽の国と言われていますが、これは単にロシア南部にあるからだけではなく、空気が澄んでいて日差しがとても強いことも要因だそうです。アルメニア人は人類学的にはコーカソイド人種のアルメノイド型に属しており、濃い体毛、高い鼻、比較的黒い瞳と髪の毛が特徴です。言語はインド・ヨーロッパ語族の一語派で、古くから文字を持っていたことでも知られています。

アルメニアの有名人と言えば、なんといってもミコヤン。アナスタスとアルチョムの兄弟です。アナスタスはスターリン&フルシチョフ時代に副首相を務め、日本にも来たことがあります。弟のアルチョムはミハイル・グレヴィッチとともにミグ設計局を創設しました。ちなみにロシア語のМигは「一瞬」とか「瞬間」という意味で、直線番長ミグ25にぴったりの言葉です。

最後はモスクワ生活サービス企業合同「ザリャー」の特集。
ベビーシッターとハウスキーパーを合わせたような仕事をする出張サービスの会社の話です。要するに「通いのメイドさん」ですな。
共働きが当たり前の夫婦にとって育児と仕事、家事を同時にこなすのは大変なことです。そこでこのサービスの出番というわけです。しかし、ザリャーは慢性的な人材不足。申し込んでも半年待ちという有り様なのだとか。

しかもザリャーで働く乳母たちは自分たちで勤務先を選ぶことができるそうで「退役した元帥やら高名な科学者の孫の面倒を見た」とか「芸能人の家で働いた」とかが自慢になる世界。つーか、「元帥」なんて自然と絞り込まれそうな勤務先なんですが。

ちなみに記事では「乳母」とか「子守」という言葉が使われていますが、これは便宜上の用語。実際には「一回限りの委託業務の遂行者」という奥歯にICBMが挟まったような言葉で呼ばれています。「遂行者」の平均年令は23才(!)。医学的なことを除く高齢者の補助なども行います。現代の日本だと派遣のデイ・サービスみたいな感じでしょうか。

もっともモスクワの若い主婦たちのニーズは毎日やってくるお手伝いさんではなく、繁忙期に一時的に手伝ってくれる人だそうで、学生結婚&出産が珍しくないという背景もあります。母親が卒論の追い込みで忙しい間、赤ちゃんの面倒を見てくれる人に来てほしいというわけです。

ザリャーの平均賃金は月100ルーブル程度。これは新卒の技師や博物館職員の初任給とほぼ同額です。バーテンダーやネイルサロンの店員も似たような金額ですが、こちらには「チップ」があるので「同じ給料とは言えない」と冷笑されるとか。なんか、ここでも生々しいお金の話が出てきますよ。

さて、問題の人手不足解消の件に目を戻しますと、ここでもなかなかトンデモな実験が行われていました。
なんと中学生を試用してみようという話になったのです!
16才の女の子が派遣されてくるメイドサービスの会社ですよ! 
 ソ連・・・とっくに崩壊したはずなのに未来に生きてるな!

もちろん是非をめぐっては侃々諤々。特に赤ちゃんの命を社会実験の対象にするのは言語道断!というわけで、少女たちに委ねるのは食料品とクスリの買い出し。各種公共料金の支払い代行。家の掃除となりました。そりゃそうだ。
実験なので期間はたったの2日。このため国立銀行(ゴスバンク)は特別予算を編成し、さらに規則の例外規定として少女たちには即日、現金で賃金を支払うという取り決めがされました。それと不測の事態に備えて、少女たちは2人1組で行動します。
なんか、問題の本質がズレてるような気がしないでもありませんが・・・・。

で。結果は、惨憺たるもの。
少女たちがすべての買い物を終えたのは夜の10時。戻ってきた時は、悪びれもせずに楽しげにおしゃべり。「遅れちゃったけど、別に試験じゃないもんねー」という感じだったとか。
そもそも少女たちは、家事を手伝って親からお駄賃をもらっているのです。ちょっとしたおつかいで1ルーブル稼げることを知ってる少女たちは、ザリャーの仕事と賃金を計算し・・・。
1つの注文のために2時間かけて3軒の国営商店を回り、それでたったの75コペイカ!
ご冗談でしょう?
あらららら・・・・

それ以上に問題だったのは家の掃除で、少女たちは他の住人も使っている共同区画の掃除は断固として拒否したというのです。それでもザリャーと協力した学校関係者は、議論の余地はあるが、中学生を補助的に採用する意味があるとの結論に達したようです。
うむ・・・この辺のくだりはかなり率直な内容で面白いです。

そうそう。書き忘れていましたが、この号が発行された当時のレートは1ルーブル230円です。といってもモスクワあたりの物価で考えると感覚的には1000円ぐらいでしょうか。1ルーブルで社食のランチとカフェのコーヒー代ぐらいになる計算です。


今回はこんな所で。
でわでわ~。

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2013年11月23日土曜日

今日のソ連邦  第11号 1987年6月1日

年の瀬が押し迫り、すっかり寒くなりました。
なんかバタバタしだしたので、できるうちに更新。

今回は国際児童擁護デー特集。表紙はソ連の平和大使カーチャ・ルイチョワちゃん。日本からの手紙に返事を書いてるところです。
机には、ちゃっかり今日のソ連邦や日本の民芸品などが配置され、光の加減などもしっかり計算された写真です。

彼女に手紙を送ったのは静岡県に済む勝呂志保さん。小学6年生です。さすがに画像は控えますが、本誌ではカーチャと文通したい人のために彼女の住所(マジか?)が掲載されてます。手紙は英語でOKとのこと。
もっとも彼女の文通相手は世界中にいるそうで、米国の平和団体に招かれて米国訪問も実現してます。タイトルや内容は不明ですが映画にも出てるそうで、すっかりアイドルです。

国際児童擁護デーとは1949年11月にソ連で開催された国際民主女性連盟が定めた日。国連も賛同し、子供達の権利や生命、健康を守ることが宣言されています。現在のロシアでも関連するイベントなどが多く開催されてるとか。

もっとも本誌の内容は子供たちによる平和運動の紹介がメイン。国際的反戦団体「平和を作る子供たち」の企画で、「国際こども平和使節団」がモスクワを訪れたというものです。顔ぶれはノルウェー、ソ連、インド、ケニア、メキシコ、ニュージーランド、アメリカ、そして日本です。子供たちはモスクワ観光を楽しんだ他、ピオネール宮殿で同世代の子供たちと交流し、クレムリンではグロムイコ最高会議幹部会議長と会見。しかめっ面がトレードマークのグロムイコが、どんな顔で子供たちと会ったのか興味があるところですが、残念ながら写真はありませんでした。

その他、目を引いた記事は宇宙ステーション・ミールに接続される予定の新型モジュール「クワント」がドッキングに失敗したというもの。あと数十センチで完了するというところでクワントが止まってしまい、どうしてもドッキングできないとか。そこでステーションに滞在していた宇宙飛行士が船外活動でドッキング・モジュールを確認したところ、なんとユニットの軸に布製の袋が絡みついていました。
経験豊富なソ連宇宙局でも初めての事態でまさに「どうしてこうなった?」状態。結局、飛行士たちが手作業で布を除去して無事にドッキングさせたのですが、ドッキングの様子を、宇宙飛行士が肉眼で外から見たのはこの時が史上初だったそうです。

次の記事は来日したソ連原子力産業大臣の記者会見の模様。かいつまんで発言を拾いますと、

「原子力発電に対するソ連の戦略は、チェルノブイリ事故の後も変わっていない。原子力による発電と熱供給1985年を基準にして90年までは2倍。95年に3倍以上。2000年には5倍に増える」
「チェルノブイリ原発では無事だった1号機、2号機、3号機の原子炉を再稼働させ、4号炉の封鎖は完了している」
えーと・・・詳しくはページを拡大してお読みください。 


お次はモスクワの歴史。
17世紀に建てられた聖母昇天教会の壁面を彩った美しいタイルの物語です。モスクワも歴史のある街ですから、あちこち掘り返すと色々なものが出てくるわけで、それらの発掘や研究、修復はジェルジンスキー広場にほど近いモスクワ歴史・改修博物館の研究員や学芸員たちによって行われています。

聖母昇天教会が建てられた場所はゴンチャール(гончар)通りで、もともとは陶工たちの同業組合教会として計画されたのだとか。ちなみにゴンチャールとは「陶工」という意味です。
ここには70人もの陶工が暮らし、事務所と工房がありました。中でも名高い陶工は「ステパン・イワノフ」。仲間たちからのあだ名は「半悪魔」。別に邪悪な人間というわけではなく、おそらく人間技とは思えない名品を生み出していたからだろうと推測されてます。

そのステパンの窯がモスクワの中心部にあるタガンスキー丘で見つかりました。しかも、中には300個に及ぶ完成したタイルがそのまま残されていたのです。放置されていた理由は謎です。
当時は戦乱の時代でもありましたから、敵の襲撃を受けて逃げたか、殺されたか、あるいは捕虜にされたという説もあります。
その後、この地には別の陶工が工房を構え、古い窯は彼らの失敗作の廃棄場所となります。その奥深くに天下の名品があるとは誰も気づかないまま、廃棄は続けられ、そのおかげでここからはあらゆる年代や様式の装飾タイルが見つかるのだそうです。

最後は共和国の紹介。今回はキルギス共和国。現在のキルギスタンです。
ソ連中央アジアの北東、テンシャン山脈の麓・・・ではなくその上にある国です。実際、雲より高い山々の国と呼ばれています。
共和国内には標高500メートル以下の土地はありません。ソ連には7000メートル級の高山が3つありますが、そのうちの2つがキルギスにあります。レーニン峰(7134メートル)とパヴェーダ峰(7439メートル)です。これらの名前は現在も変わっていないようです。

キルギス人は中ぐらいの背丈で(これ、どういう基準なんだか)、がっちりした体格。顔は浅黒くて丸く、頬骨が張ってます。目は黒く、細くてまぶたは少し垂れ気味。髪は黒くて濃く、直毛です。
革命前には文字が無かったため、歴史や叙事詩は口伝で残されてきました。遊牧民としての暮らしや戦争の歴史などをまとめたものを「マナス」と呼びます。
主な産業は畜産と農業。ソ連では「畜産家の日」や「羊飼いの日」などを定め、祝日になっています。祭での最大の呼び物は競馬。美しく飾りたてた馬に民族衣裳でまたがり、5~6キロの距離を競います。この競馬には女性も参加します。

今回はこんな所で。
でわでわ~。

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2013年10月27日日曜日

今日のソ連邦  第9号 1987年5月1日


10月の天気は台風が何度も来て荒れ模様でしたが、なんとか更新であります。前回と号数が飛んでますが、まぁ、これが平常運転ということで。

表紙は西シベリアのケメロボ州で生産されてる装飾盆をドヤ顔で披露している職人さんです。ソ連でこの手の民芸品というと、モスクワ近郊のジョストボ村で作られている「ジョストボ塗り」が有名なのですが、こちらはそのシベリア版ともいえる製品。
実際、ソ連でも「ジョストボ塗り」と間違えられることが多いのですが、シベリア特有の植物をモチーフにするなど独自色も打ち出していて、最近はライバルとして台頭してきたのだそうです。
生産元は民芸工場「ベスナー」で、職人やデザイナーはケメロボ第65職業技術学校の卒業生が多いそうです。
今号では、このような企業製品や体制の変貌を伝える内容が目立っています。
キーワードは「経済の民主化」。
統制経済のソ連では各企業を所轄する省庁の権限が強大で、既得権益もあります。そうした省庁主導の官僚主義を「省の独裁」と批判し、企業の独立採算制を高めて、なんとしてでも経済をV字回復させようという、意気込みとも焦りともつかない熱意が紙面のあちらこちらから伝わってきます。
とはいえ、ノウハウも経験もない国営企業が、いきなり市場経済&独立採算でいけと言われても無理なわけで、ソ連の経済政策は次第に迷走していくことになります。

そんな中、特集されているのは「工場長を公募で選ぶ」というユニークな試み。品質低下にともなう業績悪化に悩まされているラトビア共和国のマイクロバス生産工場「RAF」の新たな工場長を選挙で選ぼうというのです。
これは工場で働く人だけが対象ではなく、外部の人でも応募できるというもの。コムソモリスカヤ・プラウダ紙に工場の現状を報道してもらい、記事には申込書も添付するという方式です。

フタを開けてみると立候補希望者は実に4000名以上。
顔ぶれも様々で、別の工業生産合同の総裁や技師長、博士号候補の学者や30才の若き歴史家、裁縫店に勤務する18才の女性なども。ちなみに最年少は15才の女子中学生! もしその子が本当に工場長になったら、なかなか夢があるというか、萌えるというか。

残念ながら、実際に立候補できたのはコムソモリスカヤ・プラウダ編集部内に作られた有識者&工場の代表者による選考委員会で絞られた20名で、予備選挙を経て、5人になりました。
記事には工場長の執務室の写真がありますが、これはソ連の一般的な管理職の部屋。横長の机の前に長テーブルがT字型にくっつけられ、簡単な会議スペースになるというものです。
軍や警察、KGBや共産党幹部なども家具のクオリティーや電話機の数などに差があるぐらいで、基本的には同じです。ただし、本当に偉くなると会議スペースが別に用意されるのはいうまでもありません。
で、肝心の開票の様子ですが、なんとも言えない手作り感。
どうみても黒パンとかを入れておくバスケットが投票箱です。結果は記事の中ですでに明らかになっていますが、まだ新しい工場長が決まったばかりだというのに、この企業の前途には成功が約束されているかのようなトーンで終わっています。
今、この会社がどうなってるのかは、調べてみないことにはわかりませんが、存続しているとして、このあとにどんな運命をたどったのか、興味深いところです。


次は科学技術の話題。
中央アジアのガス田で発生した火災をわずか2秒で消火する爆発技術が紹介されています。ノボシビルスク郊外にある学術研究都市アカデムゴロドクの流体力学研究所の技術です。
彼らの研究対象は幅広く、宇宙船の外壁をスペースデブリから守るための研究に役立つ人工隕石の衝突実験施設「スポロフ(稲妻)」を開発したりしています。

また、金属加工技術も重要なテーマです。
厳寒にさらされるシベリア鉄道では、レールのポイント部分にある轍叉はあっと言う間に消耗し、3~4カ月に一度というハイペースで交換しなくてはいけません。この寿命を伸ばそうと、爆発を応用した装置が開発されました。
強烈な衝撃が金属の構造を変化させ、轍叉の寿命を2倍に伸ばすことに成功したのだそうです。

具体的には爆発の熱と衝撃が異なる金属材料を結合させ、化学的強固さと耐熱性、さらには優れた熱伝導性と絶縁能力を与えるのだとか。この技術を応用すれば合金を作る時の電気炉に使う触媒の銅を節約することも可能なのだそう。
最終的に装置はセラミックスとブロンズを結合させた「メタルセラミックス」を開発するきっかけになり、新素材は航空機エンジンの部品に使用されているそうです。



でもって、次の記事も科学技術ネタ。
水中作業ロボットや電気自動車、風力や太陽熱を利用した再生可能エネルギーの利用、水耕栽培などなど。特に、水中ロボはなかなか味のあるデザインです。

こうしてみるとソ連も当時からやることはやっていたわけですが、それがどうにも実際の産業に結びつかないという問題も見えてきます。
他にも宇宙ビジネスの記事などがありましたが、共通してるのは、とにかく自国の得意分野でなんとか外貨を稼ごうという、なりふり構わぬ、それでいて不慣れでぎこちないソ連流ビジネスの黎明期の様子です。

最後はソ連の共和国紹介から「モルダビア共和国」。
現在のモルドバ共和国です。ソ連の南西部に位置し、ドニエストル川とプルート川に挟まれた小さな共和国。肥沃な土地に恵まれ、ブドウが30種類ほど栽培されており、ワイン作りも盛んです。
モルダビア人は黒い髪、浅黒い肌、黒い瞳が特徴。
男性の民族衣裳はゆったりとした長い上着に白く細いパンツを組み合わせ、色のついたウールか革製のベルトをしめると、これに小羊のなめし皮で作られた帽子をかぶります。一方、女性は飾りのついた白い上着。ウールのスカートにベルト、頭はショールかヴェールでつつみます。
ちなみに昔は男性は片方だけにイヤリングをしました。もし家族の中で死んだ子がいた場合、その後に生まれた子供には「丈夫に育つように」と、こうしたまじないをしたのだそうです。

また、ブドウの蔓をくわえた白い羽根のコウノトリは、モルダビアを代表する伝説です。
昔、モルダビアのとある城砦がオスマン・トルコ軍に包囲されていました。城砦は堅固でしたが、水や食糧が尽き、もはや敗北は時間の問題。
その時、猛烈な強風が吹き、包囲していたトルコ軍はあわてて地面に伏せます。しかし、それは嵐ではなく、数千ものコウノトリの群れだったのです。コウノトリは皆、くちばしにブドウの枝をくわえており、城砦内のモルダビア兵に次々とブドウの房を落としていきました。
飢えと渇きに苦しんでいた兵士たちはたちまち元気になり、トルコ軍をやっつけて国を守り抜くことに成功したといいます。実際のモルダビアでも料理などにギリシャやトルコの影響が見受けられ、往時をしのぶことができます。

今回はこんな所で。
でわでわ~。

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2013年9月17日火曜日

今日のソ連邦  第6号 1987年3月15日

涼しくなったことでもあり、そろそろ更新です。
今回の表紙は、前期試験が終わってモスクワ郊外のキャンプでスキーを楽しむモスクワ航空大学(МАИ)の学生ラリサ・セレブリャコワ。
ソ連の新学期は9月なので、1月が試験シーズン。それが終わって羽根を伸ばしているというわけですね。一般的に大学の休暇は1月25日から2月7日まで。後期試験は6月~7月にかけてです。
キャンプといってもちゃんとした保養地で、コテージや映画館、スポーツ施設やコンサートホールなどが併設された複合施設。モスクワ航空大学では専用のスポーツキャンプを3つも持っており、運営は学生ソビエト(評議会)と大学の労働組合が行っています。

さて、今回の今日のソ連邦では、モスクワの「区役所」の活動についてかなりのページが割かれております。ソ連の小さな行政単位の仕事というと、今日のソ連邦 第2号 1987年1月15日にも地区共産党書記さんの話を載せたのですが、こちらは「チミリャーゼフ区ソビエト執行委員会」。まぁ、党員じゃない人間が勤務できる部署にも思えませんが。

ところで、ソ連といえば「失業がない国」です。
つまり全員に仕事が用意されているというわけですが、これって具体的にどうやってるのか? 「チミリャーゼフ区職業あっせん所長」のアレクサンドル・ボズジェーエフ氏のルポが出ています。
対象となるのは大半が10年制学校の卒業生で、普通は就職、高等教育部門への進学、軍に入隊の3つのコースに割り振られます。しかし、そうじゃない人間もいるから、こういう部署があるわけで。たとえば自動車仕上げ工のグレゴリー・ニコラエフは、ボズジェーエフ氏の夢の中にまで出てくる厄介な人物。

最初にあっせんした自動車営業所を「土曜日は働きたくない」という理由で、わずか一週間で退社。2番目の工場では、「3ヶ月持ちこたえたが」工場長とケンカしてまた退社。3番目の職場では「ズル休みがバレて」クビ。4番目はボズジェーエフ氏の旧知の仲が人事課長をしている企業になんとか突っ込んだものの「きみからの贈り物には大変感謝してるよ」とイヤミを言われる始末。ちなみにコレ、わずか1年の間の出来事。結局、ボズジェーエフ氏は5番目の就職先を見つけるべく奮闘中です。過去の記事だけど、がんばれ!と応援したくなります。それとニコラエフ、マジメに働け。

次の記事は1987年度のソ連の主要な建設事業の紹介。ソ連の会計年度は現在のロシアと変わらないとすればカレンダー通りの12月なのですが、ここは日本の3月に合わせてきたのでしょう。もちろんソ連共産党大会が2~3月に開催されたこととも関係があります。

ちなみに、この記事とは直接の関係はないのですが、今日のソ連邦では「ソ連の生活の質」という連載記事が組まれています。社会学者のビタリー・トレチャコフ氏がソ連社会のさまざまな面を客観的データをもとに採点するというもので、今回は「食生活」が取り上げられておりました。

結論から言うと10点満点のうち8点という高得点。意外に思われるかもしれませんが、ちゃんと裏付けがあります。ソ連保健省が定める成人1人あたりの必要カロリーは2900キロカロリーですが、実際は3390キロカロリー。1960年には肉類の年間消費量は一人当たり39.5キロだったのが、1985年には61.4キロとほぼ倍増。タマゴや乳製品、海産物に砂糖、油脂類もほぼ倍増しています。一方、成人の2人に1人が標準体重をオーバー、さらに4人の1人が肥満に悩んでいるという指摘もあります。

ソ連では恰幅のいい人が多いのがデータの上からでも裏付けられてるわけで、それをもって食糧事情の高得点というわけのようです。もちろん、悪名高き国営商店のモノ不足や行列には言及されていません。それは後日、別の項目で取り上げることになります。

次は飾り石の芸術品。
ソ連は広い国土のおかげで地下資源にめぐまれており、ダイヤモンドや金の産出量が多いことでも有名ですが、他にも半貴石(準宝石)や飾り石(色石)が豊富です。ウラル、アルタイ、東シベリアなどが主な産地で、古いソ連映画で「石の花」なんてファンタジー映画もありました。
記事で紹介されている博物館サロンは「ソ連地質省」に創設された「全ソ生産合同“ソユーズ・クワルツサモツベティ”」という機関の所属で、展示だけでなく販売もしています。
ソ連では飾り石や半貴石の商品開発が盛んで、いくつかの鉱物については国際機関に宝石として認可するよう積極的な働きかけもしていたと聞きます。宝石に格上げされれば値段もハネ上がり、新たな外貨を獲得できると期待したわけですが、その試みはうまくいかなかったようです。

お次はガラリと雰囲気が代わって麻薬摘発の記事。
パキスタン北西部から貨物列車に積み込まれた「アフガニスタン産干しブドウ」のパッケージ。発送人名も受取人名もなし。ソ連国家税関総局とモスクワ中央税関、密輸取締局の合同チームが厳重な鉛の封印を切って、中身をあらためると出てきたのはハシーシ。乾燥大麻の塊でした。

わざわざ「最高品質」とキャッチコピーがついたラベルにはイスラムの長剣の交差したマーク。それが干しブドウの箱にまぎれて、1270キロも隠されていたというわけです。実は同様の「製品」はアメリカのサンフランシスコでも摘発されており、こちらには「アフガニスタン」の文字とカラシニコフ小銃のイラストをあしらったラベルが付いていました。

貨物はソ連国内に向けたものではなく、西ドイツのハンブルク行き。
ソ連国内を通過するトランジット貨物ルートは、ソ連にとって貴重な外貨獲得源であり、荷主の不興を買わないようにノーチェックで運ぶと言われます。対する西側の税関もソ連からの貨物には警戒心が薄く、マフィアはそこに付け込んで、新たな密輸ルートを開拓しようとしていたようでした。同様の手口は海上ルートでも摘発されており、オランダの警察がロッテルダムに入港したソ連貨物船カピタン・トムソン号から220キロものヘロインを押収したりもしています。

ちなみに記事では黒幕は、グルブディン・ヘクマティアルサイード・アフマド・ギラニだと断定し、ソ連とアフガンの友好関係を妨害し、西側への麻薬供給国としてのイメージをソ連に押しつけようとした陰謀と断じています。その影にCIAが暗躍しているのは言うまでもありません。とはいえ、ソ連憎しで支援していた彼らが、実際にはどういう人物だったのかは後日、アメリカも思い知るわけですが。


最後はソ連の共和国特集からグルジア。
険しい山々を越えてあらわれる温暖な気候、美しい景色、豊かな大地といいとこだらけ。グルジア人は天性の楽天家で、友情と信義を重んじ、客もてなしのいいことで知られています。

首都はトビリシ。その名の由来には伝説があります。
グルジアの王オフタング1世はある日、狩りに出かけ、1頭のシカを仕留めます。ところがシカは仰向けに倒れたはずなのに、すぐに起き上がって森の中へ消えてしまいました。
王は弓の名手だったのでしくじったとは思えず、シカの倒れた場所に行ってみました。するとそこには地面から熱い水がわき出ていたのです。温泉が傷ついたシカを癒し、元気にさせたと知ったオフタングは、それを神意と読み取り、都市の建設を命じました。グルジア語で「熱い水」という言葉を「トビリシ」と言います。1500年前の伝説だそうです。


今回はこんなところで。
でわでわ~。

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2013年8月12日月曜日

残暑お見舞い申し上げます。


高知県の四万十では気温摂氏41度を記録したとか。

暑い日が続きますが、皆様どうぞご自愛くださいませ。

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