2016年2月20日土曜日

艦船模型の展示会 ~2016~

新春恒例のミンダナオ会さまによる艦船模型展示会です。
今回は2月12日.13日.14日の3日間に渡る開催となりました。
今回は「第一次世界大戦の艦船」がテーマ。
というわけで早速、会場の様子をレポートしてみたいと思います。

ミンダナオ会というと会場に所狭しと並べられた圧巻の艦船模型展示が定番ですが、
今回はちょっと様子が違います。なんかスカスカ。これはもちろん手抜きではなく、
1916年5月31日午後から6月1日未明にかけて行われた「ジュットランド沖海戦」
様子を
再現したものです。
これは第一次世界大戦に行われた英国VSドイツの海戦で、主力戦艦同士がガチで
ぶつかりあった空前絶後の艦隊戦です。今年でちょうど100周年になりますが、おそらく
こんな海戦は二度と起こらないでしょう。今回の展示会では、この海戦のクライマックスを
5月31日午後6時30分と定め、その瞬間を立体的に把握できるよう心が配られています。


イギリス艦隊“グランドフリート”の旗艦アイアン・デューク。座乗するのは
ジェリコー大将。麾下に戦艦28隻、巡洋戦艦9隻を擁し、さらに20隻を
越える巡洋艦と70隻を越える駆逐艦を従えていました。


対するドイツ艦隊旗艦のフリードリヒ・デア・グローセ。率いるはシェーア中将。
麾下に戦艦22隻、巡洋戦艦5隻を擁し、さらに数隻の巡洋艦が加わっています。
イギリス艦隊に比べると数では下回っていますが、機動力に富む水雷艇が
50隻以上も参加しており、イギリス海軍の壊滅を目論んでいました。


さて、この作戦。最高司令官とは別に2人の指揮官が重要な役割を演じています。
ひとりは英国海軍のビーティー中将。巡洋戦艦だけで構成される巡洋戦艦艦隊を率いて
いました。画像では右側にある独立した薄いブルーのテーブル上の展示です。
もうひとりはドイツ海軍のヒッパー中将。こちらも巡洋戦艦5隻からなる第一偵察戦隊を
率いていました。こちらは濃いブルーのテーブル。両者はジュットランド沖海戦の前に起きた
「ドッガー・バンク海戦」でも砲火を交えた因縁の仲。ヒッパーはビーティをおびき出して
シェーア率いる主力艦隊の前に引きずり出し、壊滅することを企図していました。

この展示ではビーティーとヒッパーがそれぞれ左右に進路を変えています。両者は一旦、
離れているのですが、この時、ジェリコー大将率いるグランドフリートがシェーアの前に
あらわれ、進路を遮ります。横一列に並んだ艦隊が単縦陣の先頭に火力を集中できる
丁字戦法の型が形成され、シェーアは危機に陥ってしまいました。
これを見たヒッパーは艦隊を反転させてグランドフリートに突進。シェーアの艦隊が逃げる
時間を稼ぎます。しかし、そんなシェーアを今度はビーティの艦隊が追撃します。
一連の戦闘でイギリス艦隊は14隻を失い、ドイツは11隻を失いました。戦術的にはドイツの
勝利と言えなくもありませんが、残存艦隊では英国が優位になります。とはいえ両者の差は
それほど決定的になったわけでもなく、戦いは引き分けといったところでしょうか。



個別の艦の展示を見ていきましょう。これは1/350スケールの英国戦艦ハーキュリーズ。
ジュットランド沖海戦では第1戦艦艦隊の第6戦隊に所属していました。

こちらは1/350スケールの英国戦艦ロイヤルオーク。1916年5月1日就役といいますから、
ジュットランド沖海戦ではピカピカの新鋭戦艦です。1939年にドイツ潜水艦の攻撃を受け
多数の乗組員とともにスカパフロー軍港で撃沈されてしまいます。
船体は今も軍港内に沈んでおり、毎年10月14日に海軍のダイバーが艦尾の軍艦旗を
交換する慰霊式典が続けられているとか。これはつまり同艦が未だに除籍されておらず、
形式上は現役のイギリス海軍艦艇として扱われているということです。


第一次世界大戦では航空機が本格的に導入された戦争です。当時はまだ複葉機ですが、
それでもとてつもない破壊力を持っていることが証明されました。海軍も早速、航空機の
活用を考え、実戦投入されます。画像は左からアークロイヤル、エンガディン、アーガス、
フューリアス(1917年改装)、同じくフューリアス(1925年改装)。このうちエンディガンは
ジュットランド沖海戦に参加し、史上初の航空機による偵察を行っています。

ルシタニア号。英国キュナード・ラインの客船で、1915年5月7日、南アイルランド沖で
ドイツ潜水艦の攻撃を受けて沈没。1200人近い犠牲者が出ました。この中にはアメリカ人
128人も含まれており、アメリカの対独参戦のきっかけになったことで知られています。
この件では、とかく悪く言われがちなドイツですが、実は大使館を通じてアメリカ人に
利用しないよう呼びかけています。
また、後世の調査では127トンもの武器弾薬が積み込まれていたことが判明しており、
ドイツだけが一方的に悪いわけでもなさそうです。

イギリス海軍の巡洋戦艦タイガー。1914年10月に就役した新鋭艦でビーティ中将率いる
巡洋戦艦艦隊に所属し、ドッガー・バンク海戦とジュットランド沖海戦に参加しています。
ただ、いずれも戦果ははかばかしくなく、多数の命中弾を受けて死傷者を出しています。
言うなれば「傷だらけの虎」でしょうか。

今回はこんなものも。ジュットランド沖海戦の様子が1/3200スケールのジオラマとなって
展示されています。奥にあるのはダーダネルス海峡突破作戦のパネル展示。


近くで見ると、ちゃんと作り込まれた戦艦です。水柱も再現されていて見ていて飽きません。

もうひとつのパネル展示。ダーダネルス海峡突破作戦です。ドイツと同盟関係に
あった
オスマン帝国(オスマン・トルコ)は第一次世界大戦で連合軍と敵対。
これに対し、
首都イスタンブール占領をもくろむイギリスおよびオーストラリアなどの
イギリス連邦、
そしてフランスの連合軍が海峡の突破を試みます。
トルコ側は海峡沿岸を要塞化し、
なおかつ湾内にびっしりと機雷を敷設。連合軍側
の前ド級戦艦6隻が撃沈・大破という結果になります。しかし、これは前哨戦に過ぎず、
後に「ガリポリの戦い」として知られる上陸作戦は、双方合わせて50万とも言われる
死傷者を出すことになるのです。


このガリポリの戦い、トルコ側では「チャナッカレの戦い」と呼ばれ、歴史上きわめて
重要な戦いと位置づけられています。多大な犠牲を出しながらも連合軍の撃退に
成功したからで、この時の指揮官のひとりムスタファ・ケマルは後年、オスマン帝国
帝政を廃してトルコ共和国を建国。初代大統領に就任します。
トルコでは2012年に映画化もされているのですが、会場でどういうわけかそのDVD
上映されていました。なんというか、トルコ版の「二〇三高地」みたいな感じです。
トレーラーはこちらちなみに原題で検索すると映画が丸ごと……ゲフンゲフン!


そんなわけでダーダネルス海峡は前ド級戦艦の墓場になってしまったわけですが、
そんな古い世代の戦艦を。カノーパス、レナウン、右はダンカンです。


こちらはオーストリア・ハンガリー海軍。一番手前が戦艦ブダペスト。そのとなりが
戦艦エルク・ヘルツォーク・フルディナント・マックスです。長い! 第一次世界大戦

の敗北でオーストリア・ハンガリー帝国は解体され、内陸国になったオーストリアと

ハンガリーは一大海軍を失い、小規模な河川艦隊だけになってしまいます。



一方、海の向こうのアメリカはというと大規模な工業化をすすめて海軍も増強しています。
画像は砲塔や上部構造物が派手ですが、リサーチに基づく正確な色だそう。白い船体は
「グレート・ホワイト・フリート」の由来にもなりました。これは1907年から1909年にかけて
世界一周航海を行ったアメリカ大西洋艦隊のことです。


もっとも、そんなキレイな装いも戦争になってくるとやってられないわけで。手前は戦艦
ヴァージニアの変わり果てた(?)姿。バスケット型のマストはより遠くを見通せるように
考え出されたものです。こんな頼りない構造物の上で見張りしなきゃいかんとかイヤですわ。
ところで、その頃、われらが大日本帝国海軍は何をしていたのか?というと第一次世界
大戦では連合国の一員としてしっかり参加しております。一等巡洋艦「出雲」を旗艦とする
第二特務艦隊が編成され、当時イギリス領だった地中海のマルタ島を拠点にマルタ=
マルセイユ(フランス)、マルタ=タラント(イタリア)、マルタ=アレキサンドリア(エジプト)の
3つの通商航路で護衛にあたりました。この任務で駆逐艦「榊」が被雷。78名の死者を
出しています。

世界大戦というだけあって、戦場は世界の海へと広がります。ここでは第一次世界大戦の
その他の海域で活躍した艦艇が豊富な資料とともに展示されていました。日本だと
アオシマ……じゃない青島要塞の戦いが映画になっていますが、ここではエムデンの戦いが
注目を集めていました。

エムデンはドイツ海軍の巡洋艦。といっても全長は100メートルちょっとしかありません。
この艦はインド洋からマレー半島にかけての広い範囲で通商破壊戦に従事しました。
撃沈したり拿捕した艦船は30隻以上。最後はオーストラリア海軍に撃破されてしまいますが、
その直前に陸戦隊がイギリスの洋上無線基地を破壊するべく南の島に上陸していました。
彼らはエムデンの戦闘を見ると、島にあったオンボロ帆船を奪って脱出。途中、ドイツ商船に
拾われ、イエメンに上陸。そこからラクダや船を乗り継ぎ、時にはアラブの盗賊と戦い、
アラビア半島からダマスカス、コンスタンチノープルへと逃げ延び、最後は鉄道でベルリンに
帰還するのです。ちなみに艦長たちも捕虜になりますが、終戦後は釈放されています。


その他の展示を見てみましょう。こちらはイタリア王国の陣容。

帝政ロシア海軍からソ連海軍へと所属が変わった戦艦パリスカヤ・コンムナ。風変わりな
船首部分は増設された作業甲板らしく、砕氷機能を付与したのではないかとの話。


同じく帝政ロシア海軍の戦艦インペラトリッツァ・マリーヤ。こちらも船首に
謎のクレーン設備がついています。


ロシア=ソビエトの流れとなると避けて通れないのが二等巡洋艦アウローラ(オーロラ)。
ペトログラード(サンクト・ペテルブルク)で革命の合図となる砲撃を行ったことでソ連では
神格化された存在でした。前述したロイヤルオークのところでも触れましたが、こちらも
博物館でありながら、現役の海軍艦艇として扱われています。

ポスト・ジュトランド型戦艦。ジュトランド沖海戦はその後の海戦に大きな影響を与えました。
従来のタイプの戦艦では戦いに勝てないと実感した列強各国は火力や防御力を高めた
より大型の戦艦建造に乗り出します。今思えば、この時すでに大艦巨砲主義は終焉を
迎えていたと言えるのでしょうけど、この流れは戦艦大和の建造まで続きます。

1/350スケールで作られた馴染み深い戦艦群。


おまけ。ミンダナオ会のメンバーである斎木伸生氏。かれこれ20年以上のつきあいです。
軍事評論家としてソ連やフィンランドに造詣が深く、劇場版アニメ「ガールズ&パンツァー」で
フィンランド語の指導もしています。かくいうわたしも拙書の「ミリタリー服飾用語事典」で
フィンランド軍の監修をしていただきました。

画像はフィンランドの民族楽器「カンテレ」。ガルパンの劇中にも登場し、新宿バルト9での
トークショーでは自ら演奏も披露されたとか。ぼくもいじらせてもらいましたが、シンプルながら
奥の深い楽器です。


今回はこんな感じです。
また来月あたりに「今日のソ連邦」の紹介記事をアップしようと思います。
よろしくお願いします。

でわでわ~。










2016年1月6日水曜日

今日のソ連邦 1988年5月15日 第10号

皆様、新年あけましておめでとうございます。
そして本当にお久しぶりです。なんとか生きてますよー。
なんか忙しさにかませてダラダラしてたら(どっちだよ)、年が明けてしまいました。いや、お恥ずかしい限り。もっともソ連=ロシアでは正教会歴が浸透しており、1月7日に聖降誕祭と新年をお祝いするので、まだまだ正月気分でも良しとしましょう。

というわけで久々の更新。偶然にも新年にふさわしい雰囲気の表紙ですが、今日のソ連邦でこれほど全面に宗教色を出してくるのは珍しいことです。これもゴルバチョフのペレストロイカの影響でしょうな。

ざっと目次を見ますと、米ソ首脳会談の開催を控え、アメリカとの関係を総括するような記事が巻頭を飾っています。米ソが正式な外交関係を樹立したのは1933年ですが、その前の1918年にアメリカはロシア革命を阻止しようとアルハンゲリスクやウラジオストクに軍隊を送り込んでいます。いわゆる干渉戦争で、イギリスやフランスの他、日本も出兵しています。
まぁ、世界初の社会主義国家の成立を、帝国主義陣営が歓迎するはずがなかったわけですが、なんだかんだで記事にはアメリカへの恨み節がネチネチと書きつらねてあります。

しかし、今回のメインはロシア正教1000年祭に関する記事。
本誌が刊行されたのは1988年ですから、ロシアにキリスト教がもたらされたのは西暦988年ということになります。この年、キエフ・ルーシのウラジーミル大公は大がかりな国家改革を実行したのでした。
それ以前のロシアは、古い宗教に基づく族長制。これを当時のヨーロッパの最新国家体制であった封建制君主国へと変貌させるのが目的でした。彼はビザンチン帝国からギリシャ正教の司祭や知識人、哲学者などを呼び寄せます。ギリシャ正教が選ばれたのは、ロシア語による礼拝が可能だったからだそうです。他のキリスト教のことはよくわかりませんが、ラテン語あたりだったのかな?

ともあれ古代ロシアのすべての部族に統一された様式をもつ宗教が導入されました。ここにどんなメリットがあったのかといえば、当時の「未開国」と「文明国」を明確に分かつ基準がキリスト教だったからです。ロシアの商人たちはヨーロッパやビザンチンに出かけても、もはや野蛮人扱いされません。東方イスラム社会においても世界的な宗教の信徒として扱われ、それなりの待遇に格上げされたのです。

もちろんすべてが一夜にして変わったわけではありません。記事ではおよそ100年かかっただろうと言われています。でも、これロシアの国土面積を考えたらすごい早さであります。ほぼ同時期にキリスト教を受け入れたスウェーデンでは250年。ノルウェーでは150年かかったと記事は指摘しています。
とはいえロシアにも独自の大きな問題がありました。奴隷制度です。
この時代、特に珍しいものではありませんが、ロシアの場合、同じ民族を奴隷にして売買していることが教会から問題視されました。
ちろみに英語、ドイツ語、フランス語などで奴隷(スレーヴ)を意味する単語はスラヴ民族(ロシア人)が語源です。彼らはロシアから売り飛ばされてきた奴隷なわけですが、同じ宗教の信徒となればこれは認められないことになります。もっとも「農奴」はその後も延々と残るのですが。

ともあれキリスト教の導入はロシアに大変革をもたらしました。建築技術や芸術が発展し、金貨の鋳造も始まります。識字率が向上し、ロシア語で書かれた法典が整備され、農業においては野菜の栽培が始まりました。わたしも知らなかったのですが、それまでのロシアでは野菜や果実は採取するもので、作物ではなかったのですな。
このような輸入文化に、それまでのロシア独自の文化が混ざり合い、今日のロシア文化の基礎が出来上がります。その中心はキエフでした。ウラジーミル公は既にこの世にいませんでしたが、息子のヤロスラフ賢公ががんばります。彼はキエフをコンスタンチノープルに負けない大都会にしました。
しかし、それ以上に大きな目標は「ロシア国内で教育を受けたロシア人の知識階級」を生み出すことだったと言われます。というのも、ビザンチンはロシアの身元保証人のような地位にあり、しばしば干渉してきたからです。
ロシア正教会はギリシャ正教会の一府主教管区にすぎず、ロシアはビザンチンの属国でした。1051年までロシアでもっとも地位の高い府主教はギリシャ人が務めていたのです。彼が死ぬとヤロスラフ賢公は、ビザンチン(ローマ)皇帝にもコンスタンチノープル総主教にも相談することなく、全ロシアの主教を招集し、ベレストボ村のロシア人司祭イラリオンを府主教に据えます。かくしてロシア正教会は確固たる足場を固めたというわけでした。なるほどなぁ。


さて、写真はゴロドニャの聖母誕生教会のアレクセイ・ズロビン神父。父親は軍の将校で共産党員でもあったそうですが、祖母の影響で信仰の道に進んだのだとか。記事では一切、言及されてませんが、いろいろ苦労があったんじゃなかろうか。
ゴロドニャはモスクワの北西150キロ、カリーニン市近郊にある小さな町です。創建600年の名刹で16世紀に建てられた教会は国の保護文化財に指定されています。
修復と保存の作業はカリーニン市の宗教局(公的機関なのかは言及がありません)が資金を提供し、ソ連文化省の全ソ生産科学修復委員会が実作業を担当しました。なんでこんな大事になったのかというと、床下と地下の物置で大量のフレスコ画の破片が発見されたからです。
18世紀に食堂を増築した時、本堂との間にアーチ状の構造物が作られ、その際、不要となった壁が取り払われたのですが、その破片が捨てられずに残されていたというわけです。破片の一部は復元され、カリーニン市の美術館に保存されているそうです。
他にも面白い発見がありました。壁を修復するために劣化したモルタルを剥がすと、そこから絵があらわれたのです。画像右下の線画です。教会の壁なのに宗教とはまったく無関係な絵柄で、髭を生やした農民や馬、若い女性の絵などが描かれていたそう。職人のラクガキだったのでしょうか?

次は西ウクライナ・リボフ市の北東にある男子修道院の話題。テルノボリ州ポチェエフ市にあるポチャエフ聖母昇天祭修道院です。ごらんの通り、見栄えのよい立地に荘厳な建物。というわけで修道僧や信徒に関係なく、観光客も大勢訪れる場所だそう。
修道士は現在、50人ほどが在籍。毎朝5時に起床し、礼拝や信徒との相手の他、庭仕事や台所、ガレージ、見学者の案内などを役割分担しています。食事は日に2度。12時10分と20時15分。あとはひたすら修行の日々です。
上述したアレクセイ神父もそうですが、ソ連市民でありながら修道院に入るというのはどんな事情があるのか気になります。修道院長によれば「修道僧たちは俗世間への軽侮があるわけではなく、ソ連社会から孤立しているわけでもない。日々、全世界の平和。祖国の幸福と繁栄、そこに住むすべての人の救済を願い祈りを捧げています」とのこと。

今回の号では、ソ連の他の宗教も紹介されています。といってもざっくりとした内容ですが。
まずはカトリック。ソ連では主にバルト三国(ラトビア・リトアニア・エストニア)で信仰されています。
春の祭りというのは特定の宗教名とは思えませんが、タジキスタンの新年のお祝い。イスラム教ともまた違うもののようです。
福音パプテストはプロテスタントの一種。ソ連では1944年に誕生した宗派です。プロテスタントだからといってドイツと関わりを短絡的に結びつけるのもアレな気がしますが、1944年という時代背景や信徒が極東、中央アジア、シベリアと散り散りになっているあたり、グルジア出身のオッサンの影を意識してしまいます。
イスラム教徒はソ連ではロシア正教に次ぐ宗教人口。ソビエト時代になってからもコーランが7回刊行されるなど、当局もそれなりに気をつかっています。記事には書かれていませんが、ソ連では毎年、チャーター機でメッカに信徒を送迎したりもしていました。
仏教の代表はラマ教。写真はソ連仏教徒中央宗務局議長であるバンジド・ハンボラマ・ジャムジャムソ・ズルドイネーエフ師。ブリヤート自治共和国の出身だそうです。
最後はユダヤ教。シナゴーグ(教会)ではマッツォと呼ばれる発酵させないパンを売っています。信徒でなくても買えるので教団の貴重な収入源なんだとか。また、教会の座席をチケット制にして年間リザーブシートとして信徒に販売し、それも収入源になっているとか。つーか、なんでユダヤ教の紹介記事だけ「お金の話」が強調されているんでしょ?

最後に、いかにもソ連らしい記事から。
ズバリ「教会に通うのを禁止できるか?」というタイトルです。
もちろんソ連でも憲法第52条で「宗教・信仰の自由」が保証されています。しかし、実際には抜け道がいくつもありました。たとえば子供の洗礼の際、両親は教会に身分証明書を提出しなければなりませんでした。もちろん、この記録は当局が自由に閲覧することができます。そうすることで教会に通う人間を把握し、彼らに簡単に圧力を加えることができるというわけです。これは1980年代に入り、正式に裁判で「違法である」と公言されました。
逆にいえば、それまでは苦難の歴史だったわけです。たとえば西ウクライナのイワノフランコスク州では、1962年から1987年までの間、新しい教会がほとんど作られませんでした。その一方で州政府当局は次々と教会を取り壊していきます。閉鎖されたまま朽ち果てたり、ダム湖の底に沈んだ教会もありました。
記事では「行政機関の職員が宗教に関する法律に精通していない」「信者をイデオロギー敵として扱い、不信の目で見ている」など指摘。続いて「我々は西側の真のイデオロギー敵とは普通の人間の言葉で話すのに慣れているのに、社会主義の国に生まれ育った自分たちの市民に対しては、必ずしも自国のきわめて人間的な法律を適用していない」と皮肉っています。
まぁ、これもひとえにペレストロイカで風向きが変わったからなわけですが、ソ連崩壊後、心の拠り所を無くした人々の心にカルト宗教が蔓延していくのも事実なので、なんとも難しい問題です。

次の特集は「バラライカの100年」。ロアナプラに住んでる恐ろしい女性のことではありません。楽器のバラライカです。三角形の特徴的な胴。3本の弦を指でつまびくピチカート奏法で演奏します。
ルーツはよくわかっていませんが、現代の形になったのはワシーリー・アンドレーエフなる人物が深く関わっています。彼は作曲家であり、優れた演奏家でした。それまで土着の民族楽器だったパラライカを洗練された楽器へと昇華し、ソロコンサートやオーケストラとの共演にも耐えうる楽器にしました。そのアンドレーエフが初めてソロコンサートを行ったのが1886年。ペテルブルクでのことでした。

アンドレーエフはその後も楽器の改良を続け、通常のバラライカ(別名ピッコロ)、プリマ、セクンダ、アルト、バス、コントラバスの6種類を考案します。それぞれ音域が違い、これらを組み合わせることでオーケストラ・アンサンブルを生み出せるようになったわけです。ちなみに普通のパラライカは全長60~70センチですが、コントラバス・バラライカは全長170センチもある巨大なものです。初めてみた時はコンコルドの模型かと思いましたよ。

アンドレーエフと彼のアンサンブルは、1908~1911年にかけて断続的に演奏旅行を行い、アメリカ、ドイツ、イギリス、フランスなどで成功を収めました。それまでバラライカには舞踏曲しかなかったのですが、彼はゆったりとしたテンポのロシア民謡などもレパートリーに取り入れ、大層な人気だったそうです。ヨーロッパの社交界はちょっとしたロシアブームになり、バラライカの楽曲から名前をとった香水まで売り出されたというから大したものです。

今回はこんなところで。



追記:おかげさまで「ミリタリー服飾用語事典」は各方面からご好評いただいております。ただ「イラストが少ない」と指摘されることもしばしばで申し訳ないです。ビジュアル面も充実させたかったのですが、総ページ数との兼ね合いもあり、あのような形に相成りました。

【Tips】
その代わりと言ってはなんですが、各章のトビラにある各国軍の正式名称とアイテム名のふたつのキーワードで画像検索すると、そこそこの確率で該当する軍装品の画像が出るとのことですので、ご活用いただければ幸いです。
引き続き、よろしくお願いいたします。





改めまして、本年もよろしくお願いいたします。
でわでわ~。



2015年7月19日日曜日

津久田重吾の本が出ます。ちょっと追加情報。

毎日、暑い日が続いております。
皆様にはいかがお過ごしでしょうか。ずいぶんと長い間、ブログを放置してしまい申し訳ありませんでした。
忙しかった原因のひとつがコレです。

「ミリタリー服飾用語事典」

本文328ページ
本体価格3000円(税別)
ISBN978-4-7753-1015-1

新紀元社より発売中です。

日本、ドイツ、フランス,イギリス、アメリカ、イタリア、ソ連、フィンランドの8か国の軍服の、それぞれの国における正式名称をまとめたものです。時代的には概ね1930年代から2000年代までを網羅しています。

インターネットで軍服類の資料を調べる時、曖昧なキーワードでは思うように目指す資料にたどりつけず、なんとかならないものかと思っていたのですが、結局、自分で作る羽目になりました。書き終わった今、わたしはあらゆる軍服を憎んでおります(笑)。めんどくさすぎ。種類多すぎ。おまえら全員、ジャージで戦え。
※7月28日テキスト追加。










まぁ、中身が中身ですので、相当に読者を選ぶ本ではないかと覚悟しておりますが、手にとって頂ければ幸いでございます。全国の図書館に置いてもらえないかしらん(妄言)。

三才ブックス刊ゲームラボでの連載も無事終了し、現在、単行本化作業に邁進しております。
てゆーか、なんでスケジュールが重なるのぉ・・・。まぁ、日頃の行いの報いでしょうか。
こちらの方も、詳細が出ましたら告知させていただきます。
昨日のソ連邦の再開は・・・もうちょっと待ってくださいね。

見捨てないでね。お願い。

でわでわ~。



2015年4月15日水曜日

今日のソ連邦  第8号 1988年4月15日

相変わらず、いろいろバタバタしております。このまま放置してると、いつ更新できるか、マジで怪しくなってきそうなので、ちょっとやっつけ気味ですがご容赦を。
というわけで今回は「今日のソ連邦 創刊30周年記念号」です。冒頭には外務大臣のシェワルナゼ氏と駐日ソ連大使のソロビヨフ氏からのお祝いのメッセージが寄せられています。

この広報誌が創刊された30年前というと1958年。これは日ソ国交正常化の2年後です。月2回刊行なので、この号で通巻700号。このブログで紹介しているのはB5サイズですが、当初はA4サイズでした。この古い時代のパックナンバーも若干ありますので、そのうち取り上げる予定です。

さて、今回は30年の歩みを10年ごとの区切りで紹介する構成なので、見開きページが多いです。

最初は1958~1968の「その1」。
スポーツや音楽、演劇、映画などが紹介されています。ボンダルチューク監督の「戦争と平和」は現代ではありえないスケールのエキストラで有名。

1958~1968の「その2」ではチュメニ油田や原子力砕氷船レーニン号の記事。レーニン号は原子炉事故を起こして死者を出しています。また、近視矯正のRK手術で有名なフョードロフ博士もこの頃からマスコミの寵児になっています。
この記事で見るまで知らなかったのはソ連水兵の遭難事件。アメリカの空母に救助されたそうですが、フルシチョフ時代で良かったなぁ。

1958~1968の「その3」では世界最初の原子力発電所建設のニュース。また、1年ほどオーバーしてますが、1969年にモスクワで開催された「国際共産党・労働者党会議」の様子が取り上げられています。さしずめ「世界のアカ大集合」という様相です。


次の節目は1969~1978の10年。「その1」ではクラシ
ック音楽好きなら知らぬ者がいないリヒテルが登場。なんか浮かない顔してますが、お疲れなんでしょうねぇ。

左下の見つめ合うふたりは作曲家のアラム・ハチャトゥリアン(左)と演出巻のユーリー・グリゴロヴィチ。ハチャトゥリアンはグルジア生まれのアルメニア人で「剣の舞」というダイナミックな楽曲で有名です。ちなみに、ふたりとも芸術面での功績で「レーニン賞」を授与されたとありますが、これは「Ленинская премия」という科学や芸術面での功績に限定された褒賞のことОрден Ленина(レーニン勲章)」とは別モノです

1969~1978の「その2」はモスクワの近代的な目抜き通り「カリーニン大通り」のニュース。「21世紀の通り」と呼ばれる一方「モスクワの入れ歯」といった辛辣な表現もあったとのこと。社会主義国家ソ連でも古いものを破壊する再開発には批判的な意見が出ます。
左ページにはコンコルドのそっくりさん「Tu-144」のデビューのニュース。フランス人は「コンコルドの設計図を盗みやがった」とブツブツ言いますが、写真の巨大風洞実験などを見ればわかるように(盗んだとしても)ソ連の航空界もやるべきことはやっていました。でも、この機体はフランスのル・ブールジュ航空ショーで事故を起こし、墜落してしまいます。

1969~1978の「その3」では1976年にモスクワを訪れた土光経団連会長の記事。記念撮影の中央に収まるブレジネフ書記長の胸に注目です。なんと! 金星メダルがたったの2個! この頃はまだ謙虚な人だったんだなー(棒)。

さて、さくさくと進めます。
1979~1988の「その1」。このブログの過去記事でも紹介した画像がちらほら出てきます。モスクワオリンピックとグッドウィルゲームの開催などの記事は、なんだかんだで西側の五輪ポイコットがソ連のトラウマになっていることを示唆しています。

1979~1988の「その2」はバイカル・アムール鉄道(バム鉄道)の全線開通のニュース。第二のシベリア鉄道として現在もロシア極東の大動脈です。そして忘れてはならないチェルノブイリ原発事故。
1958~1969の「その2」で紹介したフョードロフ博士は、その治療法に懐疑的な意見もぶつけられてきた人ですが、ここに至り、ようやく世界的な評価を得て、レーニン賞と社会主義労働英雄の称号を手に入れます。

1979~1988の「その3」は第27回ソ連共産党大会とソ連邦成立70周年。ゴルバチョフのペレストロイカが本格始動していきます。右下のツーショットはゴルバチョフ書記長と安倍外務大臣。現在、首相を務めているアベ・ジュニアの父親です。やっぱり顔、似てるなぁ。

最後はゴルバチョフ書記長の核兵器廃絶プログラムと世界平和へのアプローチの記事。アフガンから撤退し、化学兵器を解体し、短距離核ミサイル全廃条約をアメリカと締結するなど旧世代の負の遺産を清算するのに必死でした。しかし、その後は皆さんご存じの通り。そして、今日のソ連邦が40周年を迎えることもありませんでした。やっぱりちょっと消えるには惜しい国だったような気が・・・(妄言)



最後はソ連の宇宙開発の歴史について。
4月12日はソ連の「宇宙飛行デー」となっており、宇宙関連の催しなどが開かれます。
記事ではガガーリンの娘ガーリャ・ガガーリナの近況について触れられています。
彼女が小学校に入学する直前、1968年の夏に父親であるユーリ・ガガーリンが航空機事故でこの世を去ります。ガーリャはその後、10年制学校を卒業するとエコノミストを妖精するプリハーノフ記念モスクワ国民経済大学に入学。1982年に大学院へと進みます。85年には小児科医のコンスタンチンと結婚。比較的、静かに暮らしているようです。
その他の記事では欧州宇宙機関と協力して小惑星を探査するベスタ計画や火星に無人観測機を着陸させるフォボス計画についての予定や見通しが出ています。
フォボス計画は2機の探査機を連続して打ち上げ、火星に向かわせるという壮大なものでしたが、2機ともあと一歩の所で通信が途絶。失敗に終わっています。

最後は世界各国のブースターロケットのイラスト。ほぼ同スケールで描かれています。名前は番号順で
「1・A1スプートニク(ソ)」「2・バンガード(米)」「3・ジュノー1(米)」「4・ジュノー2(米)」「5・ソー・アジーナ(米)」「6・A1ルナ(ソ)」「7・ソー・エーブル・スター(米)」「8・Aウォストーク(ソ)」「9・マーキュリー・レッドストーン(米)」「10・アトラス・アジーナ・レインジャー(米)」「11・A2eマルス・ベネーラ(ソ)」「12・B1コスモス(ソ)」「13・マーキュリー・アトラス(米)」「14・A2ウォスホード(ソ)」「15・C1コスモス(ソ)」「16・ジェミニ・タイタン(米)」「17・ディアマンA(仏)」「18・デルタE(米)」「19・D1プロトン(ソ)」「20・タイタン3C(米)「21・サターン5アポロ(米)」「22・タイタン3B・アジーナ(米)」「23・サターン1V(米)」「24・エネルギア(ソ)」「25・A2ソユーズ(ソ)」「26・D1eゾンドー(ソ)」「27・ディアマンB(仏)」「28・ラムダ4S5(日)」「29・CSL長征1(中)」「30・ブラックアロー(英)」「31・タイタン3D(米)」「32・サリュート1(ソ)」「33・ミュー4S(日)」「34・ヨーロッパ2(欧)」「35・スカウト(米)」「36・サターン5・スカイラブ」「37・デルタ2914(米)」「38・タイタン3E・セントール(米)」「39・ミュー3C(日)」「40・デルタ3914(米)」「41・ディアマンBP4(仏)」「42・N1(日)」「43・CSL2FB1(中)」「44・ミュー3H(日)」「45・アトラス・セントール(米)」「46・SLV3(印)」「47・アリアン(欧)」「48・スペースシャトル(米)」「49・タイタン34D(米)「50・デルタ3920(米)」「51・アトラスE(米)」
うわー。書き写すだけでしんどいぞー。しかし、意外と知らないロケットがいっぱいあるもんだな・・・。

今回はこんなところでひとまずお茶を濁します。
でわでわ~。

しかし、ここで終わらない。
前回のブログでもご紹介いたしました。「【この世界の片隅に 制作支援】の続報であります。なんと目標額を記録的なスピードで達成。大勢の人たちがこの作品に期待していることが、改めて裏付けられました。わたくしも微力ながら協力させていただきました。しかし、幸い(?)まだまだ〆切には時間がございます。もし興味が沸いたら、是非リンク先のサイトをご覧になってください。
以上、私的な応援でございました。




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