新春恒例のミンダナオ会さまによる艦船模型展示会です。
今回は2月12日.13日.14日の3日間に渡る開催となりました。
今回は「第一次世界大戦の艦船」がテーマ。
というわけで早速、会場の様子をレポートしてみたいと思います。
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ミンダナオ会というと会場に所狭しと並べられた圧巻の艦船模型展示が定番ですが、
今回はちょっと様子が違います。なんかスカスカ。これはもちろん手抜きではなく、
1916年5月31日午後から6月1日未明にかけて行われた「ジュットランド沖海戦」の
様子を再現したものです。
これは第一次世界大戦に行われた英国VSドイツの海戦で、主力戦艦同士がガチで
ぶつかりあった空前絶後の艦隊戦です。今年でちょうど100周年になりますが、おそらく
こんな海戦は二度と起こらないでしょう。今回の展示会では、この海戦のクライマックスを 5月31日午後6時30分と定め、その瞬間を立体的に把握できるよう心が配られています。 |
イギリス艦隊“グランドフリート”の旗艦アイアン・デューク。座乗するのは
ジェリコー大将。麾下に戦艦28隻、巡洋戦艦9隻を擁し、さらに20隻を 越える巡洋艦と70隻を越える駆逐艦を従えていました。 |
対するドイツ艦隊旗艦のフリードリヒ・デア・グローセ。率いるはシェーア中将。
麾下に戦艦22隻、巡洋戦艦5隻を擁し、さらに数隻の巡洋艦が加わっています。
イギリス艦隊に比べると数では下回っていますが、機動力に富む水雷艇が 50隻以上も参加しており、イギリス海軍の壊滅を目論んでいました。 |
さて、この作戦。最高司令官とは別に2人の指揮官が重要な役割を演じています。 ひとりは英国海軍のビーティー中将。巡洋戦艦だけで構成される巡洋戦艦艦隊を率いて いました。画像では右側にある独立した薄いブルーのテーブル上の展示です。 もうひとりはドイツ海軍のヒッパー中将。こちらも巡洋戦艦5隻からなる第一偵察戦隊を 率いていました。こちらは濃いブルーのテーブル。両者はジュットランド沖海戦の前に起きた 「ドッガー・バンク海戦」でも砲火を交えた因縁の仲。ヒッパーはビーティをおびき出して シェーア率いる主力艦隊の前に引きずり出し、壊滅することを企図していました。 この展示ではビーティーとヒッパーがそれぞれ左右に進路を変えています。両者は一旦、 離れているのですが、この時、ジェリコー大将率いるグランドフリートがシェーアの前に あらわれ、進路を遮ります。横一列に並んだ艦隊が単縦陣の先頭に火力を集中できる 丁字戦法の型が形成され、シェーアは危機に陥ってしまいました。 これを見たヒッパーは艦隊を反転させてグランドフリートに突進。シェーアの艦隊が逃げる 時間を稼ぎます。しかし、そんなシェーアを今度はビーティの艦隊が追撃します。 一連の戦闘でイギリス艦隊は14隻を失い、ドイツは11隻を失いました。戦術的にはドイツの 勝利と言えなくもありませんが、残存艦隊では英国が優位になります。とはいえ両者の差は それほど決定的になったわけでもなく、戦いは引き分けといったところでしょうか。 |
個別の艦の展示を見ていきましょう。これは1/350スケールの英国戦艦ハーキュリーズ。
ジュットランド沖海戦では第1戦艦艦隊の第6戦隊に所属していました。
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イギリス海軍の巡洋戦艦タイガー。1914年10月に就役した新鋭艦でビーティ中将率いる
巡洋戦艦艦隊に所属し、ドッガー・バンク海戦とジュットランド沖海戦に参加しています。
ただ、いずれも戦果ははかばかしくなく、多数の命中弾を受けて死傷者を出しています。
言うなれば「傷だらけの虎」でしょうか。
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今回はこんなものも。ジュットランド沖海戦の様子が1/3200スケールのジオラマとなって
展示されています。奥にあるのはダーダネルス海峡突破作戦のパネル展示。
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近くで見ると、ちゃんと作り込まれた戦艦です。水柱も再現されていて見ていて飽きません。 |
もうひとつのパネル展示。ダーダネルス海峡突破作戦です。ドイツと同盟関係に あったオスマン帝国(オスマン・トルコ)は第一次世界大戦で連合軍と敵対。 これに対し、首都イスタンブール占領をもくろむイギリスおよびオーストラリアなどの イギリス連邦、そしてフランスの連合軍が海峡の突破を試みます。 トルコ側は海峡沿岸を要塞化し、なおかつ湾内にびっしりと機雷を敷設。連合軍側 の前ド級戦艦6隻が撃沈・大破という結果になります。しかし、これは前哨戦に過ぎず、 後に「ガリポリの戦い」として知られる上陸作戦は、双方合わせて50万とも言われる 死傷者を出すことになるのです。 |
このガリポリの戦い、トルコ側では「チャナッカレの戦い」と呼ばれ、歴史上きわめて
重要な戦いと位置づけられています。多大な犠牲を出しながらも連合軍の撃退に 成功したからで、この時の指揮官のひとりムスタファ・ケマルは後年、オスマン帝国 の帝政を廃してトルコ共和国を建国。初代大統領に就任します。
トルコでは2012年に映画化もされているのですが、会場でどういうわけかそのDVDが
上映されていました。なんというか、トルコ版の「二〇三高地」みたいな感じです。 トレーラーはこちら。ちなみに原題で検索すると映画が丸ごと……ゲフンゲフン! |
そんなわけでダーダネルス海峡は前ド級戦艦の墓場になってしまったわけですが、 そんな古い世代の戦艦を。カノーパス、レナウン、右はダンカンです。 |
こちらはオーストリア・ハンガリー海軍。一番手前が戦艦ブダペスト。そのとなりが
戦艦エルク・ヘルツォーク・フルディナント・マックスです。長い! 第一次世界大戦
の敗北でオーストリア・ハンガリー帝国は解体され、内陸国になったオーストリアと
ハンガリーは一大海軍を失い、小規模な河川艦隊だけになってしまいます。
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一方、海の向こうのアメリカはというと大規模な工業化をすすめて海軍も増強しています。 画像は砲塔や上部構造物が派手ですが、リサーチに基づく正確な色だそう。白い船体は 「グレート・ホワイト・フリート」の由来にもなりました。これは1907年から1909年にかけて 世界一周航海を行ったアメリカ大西洋艦隊のことです。 |
もっとも、そんなキレイな装いも戦争になってくるとやってられないわけで。手前は戦艦
ヴァージニアの変わり果てた(?)姿。バスケット型のマストはより遠くを見通せるように
考え出されたものです。こんな頼りない構造物の上で見張りしなきゃいかんとかイヤですわ。
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世界大戦というだけあって、戦場は世界の海へと広がります。ここでは第一次世界大戦の
その他の海域で活躍した艦艇が豊富な資料とともに展示されていました。日本だと
アオシマ……じゃない青島要塞の戦いが映画になっていますが、ここではエムデンの戦いが
注目を集めていました。 |
その他の展示を見てみましょう。こちらはイタリア王国の陣容。 |
帝政ロシア海軍からソ連海軍へと所属が変わった戦艦パリスカヤ・コンムナ。風変わりな
船首部分は増設された作業甲板らしく、砕氷機能を付与したのではないかとの話。
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同じく帝政ロシア海軍の戦艦インペラトリッツァ・マリーヤ。こちらも船首に
謎のクレーン設備がついています。
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ロシア=ソビエトの流れとなると避けて通れないのが二等巡洋艦アウローラ(オーロラ)。
ペトログラード(サンクト・ペテルブルク)で革命の合図となる砲撃を行ったことでソ連では
神格化された存在でした。前述したロイヤルオークのところでも触れましたが、こちらも
博物館でありながら、現役の海軍艦艇として扱われています。
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ポスト・ジュトランド型戦艦。ジュトランド沖海戦はその後の海戦に大きな影響を与えました。 従来のタイプの戦艦では戦いに勝てないと実感した列強各国は火力や防御力を高めた より大型の戦艦建造に乗り出します。今思えば、この時すでに大艦巨砲主義は終焉を 迎えていたと言えるのでしょうけど、この流れは戦艦大和の建造まで続きます。 |
1/350スケールで作られた馴染み深い戦艦群。 |
今回はこんな感じです。
また来月あたりに「今日のソ連邦」の紹介記事をアップしようと思います。
よろしくお願いします。
でわでわ~。
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