2013年9月17日火曜日

今日のソ連邦  第6号 1987年3月15日

涼しくなったことでもあり、そろそろ更新です。
今回の表紙は、前期試験が終わってモスクワ郊外のキャンプでスキーを楽しむモスクワ航空大学(МАИ)の学生ラリサ・セレブリャコワ。
ソ連の新学期は9月なので、1月が試験シーズン。それが終わって羽根を伸ばしているというわけですね。一般的に大学の休暇は1月25日から2月7日まで。後期試験は6月~7月にかけてです。
キャンプといってもちゃんとした保養地で、コテージや映画館、スポーツ施設やコンサートホールなどが併設された複合施設。モスクワ航空大学では専用のスポーツキャンプを3つも持っており、運営は学生ソビエト(評議会)と大学の労働組合が行っています。

さて、今回の今日のソ連邦では、モスクワの「区役所」の活動についてかなりのページが割かれております。ソ連の小さな行政単位の仕事というと、今日のソ連邦 第2号 1987年1月15日にも地区共産党書記さんの話を載せたのですが、こちらは「チミリャーゼフ区ソビエト執行委員会」。まぁ、党員じゃない人間が勤務できる部署にも思えませんが。

ところで、ソ連といえば「失業がない国」です。
つまり全員に仕事が用意されているというわけですが、これって具体的にどうやってるのか? 「チミリャーゼフ区職業あっせん所長」のアレクサンドル・ボズジェーエフ氏のルポが出ています。
対象となるのは大半が10年制学校の卒業生で、普通は就職、高等教育部門への進学、軍に入隊の3つのコースに割り振られます。しかし、そうじゃない人間もいるから、こういう部署があるわけで。たとえば自動車仕上げ工のグレゴリー・ニコラエフは、ボズジェーエフ氏の夢の中にまで出てくる厄介な人物。

最初にあっせんした自動車営業所を「土曜日は働きたくない」という理由で、わずか一週間で退社。2番目の工場では、「3ヶ月持ちこたえたが」工場長とケンカしてまた退社。3番目の職場では「ズル休みがバレて」クビ。4番目はボズジェーエフ氏の旧知の仲が人事課長をしている企業になんとか突っ込んだものの「きみからの贈り物には大変感謝してるよ」とイヤミを言われる始末。ちなみにコレ、わずか1年の間の出来事。結局、ボズジェーエフ氏は5番目の就職先を見つけるべく奮闘中です。過去の記事だけど、がんばれ!と応援したくなります。それとニコラエフ、マジメに働け。

次の記事は1987年度のソ連の主要な建設事業の紹介。ソ連の会計年度は現在のロシアと変わらないとすればカレンダー通りの12月なのですが、ここは日本の3月に合わせてきたのでしょう。もちろんソ連共産党大会が2~3月に開催されたこととも関係があります。

ちなみに、この記事とは直接の関係はないのですが、今日のソ連邦では「ソ連の生活の質」という連載記事が組まれています。社会学者のビタリー・トレチャコフ氏がソ連社会のさまざまな面を客観的データをもとに採点するというもので、今回は「食生活」が取り上げられておりました。

結論から言うと10点満点のうち8点という高得点。意外に思われるかもしれませんが、ちゃんと裏付けがあります。ソ連保健省が定める成人1人あたりの必要カロリーは2900キロカロリーですが、実際は3390キロカロリー。1960年には肉類の年間消費量は一人当たり39.5キロだったのが、1985年には61.4キロとほぼ倍増。タマゴや乳製品、海産物に砂糖、油脂類もほぼ倍増しています。一方、成人の2人に1人が標準体重をオーバー、さらに4人の1人が肥満に悩んでいるという指摘もあります。

ソ連では恰幅のいい人が多いのがデータの上からでも裏付けられてるわけで、それをもって食糧事情の高得点というわけのようです。もちろん、悪名高き国営商店のモノ不足や行列には言及されていません。それは後日、別の項目で取り上げることになります。

次は飾り石の芸術品。
ソ連は広い国土のおかげで地下資源にめぐまれており、ダイヤモンドや金の産出量が多いことでも有名ですが、他にも半貴石(準宝石)や飾り石(色石)が豊富です。ウラル、アルタイ、東シベリアなどが主な産地で、古いソ連映画で「石の花」なんてファンタジー映画もありました。
記事で紹介されている博物館サロンは「ソ連地質省」に創設された「全ソ生産合同“ソユーズ・クワルツサモツベティ”」という機関の所属で、展示だけでなく販売もしています。
ソ連では飾り石や半貴石の商品開発が盛んで、いくつかの鉱物については国際機関に宝石として認可するよう積極的な働きかけもしていたと聞きます。宝石に格上げされれば値段もハネ上がり、新たな外貨を獲得できると期待したわけですが、その試みはうまくいかなかったようです。

お次はガラリと雰囲気が代わって麻薬摘発の記事。
パキスタン北西部から貨物列車に積み込まれた「アフガニスタン産干しブドウ」のパッケージ。発送人名も受取人名もなし。ソ連国家税関総局とモスクワ中央税関、密輸取締局の合同チームが厳重な鉛の封印を切って、中身をあらためると出てきたのはハシーシ。乾燥大麻の塊でした。

わざわざ「最高品質」とキャッチコピーがついたラベルにはイスラムの長剣の交差したマーク。それが干しブドウの箱にまぎれて、1270キロも隠されていたというわけです。実は同様の「製品」はアメリカのサンフランシスコでも摘発されており、こちらには「アフガニスタン」の文字とカラシニコフ小銃のイラストをあしらったラベルが付いていました。

貨物はソ連国内に向けたものではなく、西ドイツのハンブルク行き。
ソ連国内を通過するトランジット貨物ルートは、ソ連にとって貴重な外貨獲得源であり、荷主の不興を買わないようにノーチェックで運ぶと言われます。対する西側の税関もソ連からの貨物には警戒心が薄く、マフィアはそこに付け込んで、新たな密輸ルートを開拓しようとしていたようでした。同様の手口は海上ルートでも摘発されており、オランダの警察がロッテルダムに入港したソ連貨物船カピタン・トムソン号から220キロものヘロインを押収したりもしています。

ちなみに記事では黒幕は、グルブディン・ヘクマティアルサイード・アフマド・ギラニだと断定し、ソ連とアフガンの友好関係を妨害し、西側への麻薬供給国としてのイメージをソ連に押しつけようとした陰謀と断じています。その影にCIAが暗躍しているのは言うまでもありません。とはいえ、ソ連憎しで支援していた彼らが、実際にはどういう人物だったのかは後日、アメリカも思い知るわけですが。


最後はソ連の共和国特集からグルジア。
険しい山々を越えてあらわれる温暖な気候、美しい景色、豊かな大地といいとこだらけ。グルジア人は天性の楽天家で、友情と信義を重んじ、客もてなしのいいことで知られています。

首都はトビリシ。その名の由来には伝説があります。
グルジアの王オフタング1世はある日、狩りに出かけ、1頭のシカを仕留めます。ところがシカは仰向けに倒れたはずなのに、すぐに起き上がって森の中へ消えてしまいました。
王は弓の名手だったのでしくじったとは思えず、シカの倒れた場所に行ってみました。するとそこには地面から熱い水がわき出ていたのです。温泉が傷ついたシカを癒し、元気にさせたと知ったオフタングは、それを神意と読み取り、都市の建設を命じました。グルジア語で「熱い水」という言葉を「トビリシ」と言います。1500年前の伝説だそうです。


今回はこんなところで。
でわでわ~。

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2013年8月12日月曜日

残暑お見舞い申し上げます。


高知県の四万十では気温摂氏41度を記録したとか。

暑い日が続きますが、皆様どうぞご自愛くださいませ。

 ※画像の苦情は受け付けません。


 

2013年7月26日金曜日

今日のソ連邦 第5号 1987年3月1日

暑い日が続いてますが、皆様お元気でしょうか?
どうやら7月中に更新できそうです。
今回は国際婦人デーが特集されてます。女性の権利の向上と社会参加の促進を求めるこの記念日は毎年3月8日。日本で話題になることはあまりありませんが、バレンタインデーなんかより、ずっと重要な日として認識されてもいいのではと思います。
決してチョコがもらえない人間のやっかみではありません。

ソ連では1917年の二月革命(当時のロシアはユリウス歴)と重なることから、歴史的・政治的に極めて重要な日とされており、実際、祝日になっております。現在でもこの習慣は残っており、職場の男性は同僚の女性に花を贈ったりします。夫婦間においても奥さんの誕生日、結婚記念日と並ぶ3番目の記念日で、プレゼントを忘れると旦那の査定がダダ下がりするそうです。

今日のソ連邦でも、ソ連社会に生きる様々な女性たちにスポットを当ててますが、内容としては「女性としての生きがい」がテーマで、「子育てが生きがい」「仕事が生きがい」「ダンナが家事に非協力的」などなど、夫婦間のよくある話が展開しております。

ちなみに表紙の女性はタチアナ・アノジナ博士。アエロフロート(ソ連国営航空)に所属する航空管制自動化国際研究実験センターの所長で、国際線を飛ぶ旅客機の運行管理を自動化するシステム開発を指揮しているとのこと。年令を書かないのはマナーですな。後述するページの写真によれば10月革命勲章労働赤旗勲章を授与された人だというのがわかります。

科学技術の分野で指導的な役割を果たす女性をもう一人。脳科学者のナタリア・ベフテレワです。彼女が所属するレニングラードのソ連科学アカデミー実験医学研究所は、あの「パプロフの犬」で有名なイワン・パブロフがこの世を去る直前まで働いていた研究施設として有名です。

それはさておき、ソ連で脳科学・精神医学というと、あまりいいイメージがありません。ソ連では反体制活動を行った者は強制収容所に送り、それが軍や治安機関の人間だったりした場合はスパイのレッテルを貼ります。でも、中には著名で人望の高い知識人などが反旗を翻す場合もあり、この場合、当局は「○○氏は精神に異常をきたした」として精神病院にブチ込みます。ロシア語にもキチガイ病院に相当する俗称があり、直訳すると「バカの家」という身もフタもない名前。
もちろん記事のナタリアがそういうことに関わっているわけではありません。むしろ記事を構成するインタビュアーの方が予想の斜め上を行ってました。

「核戦争を容認できると考えている人たちの脳の状態を特徴づけられるか?」

「核戦争の容認者を自分の患者に持ったことはない。しかし、容認者のうちの2~3人は全てが許される地位、超人的地位に就いている事実が、すでに多くのことを医者に語っている。これは医学では病的と評価することになっている状態の確かな兆候です」

核戦争をやらかすことを躊躇しない政治指導者を異常者と呼びたくなる気持ちはわかりますが、これ、ソ連の指導者にも当てはまるんじゃないでしょかね。
ちなみに別の質問。

「脳の働きを活発にして普通の人を天才にすることはできるか?」

「今のところ、我々はそれには反対です。問題は道徳的理由にだけあるのではない。そのためにヒトやヒトの脳がどれだけ高い代償を払うか、我々がまだ知らないからです」

・・・良かったな、アルジャーノン。

さて、気分をかえて核戦争(ヲイ)。
2度のソ連邦英雄と、レーニン勲章3回授与の栄光に包まれた宇宙飛行士、ピョートル・クリムク空軍少将の寄稿です。アメリカのレーガン政権が押し進めていたSDI構想を批判しております。
もし、これが完全に実現していれば、アメリカは絶対安全な状況下でソ連を一方的に核攻撃できるわけで、相互確証破壊の概念が根底から崩れます。今でこそ我々は、SDIなるものが絵に描いたモチだったことを知っていますが(いや、当時もかなりマユツバだったのですが)、ソ連はただでさえ財政状態が厳しいのに巨費を投じて対向措置の開発に血眼になり、国際世論の高まりでアメリカの動きを少しでも鈍らせようと涙ぐましい努力をしています。でも宇宙空間の軍事利用は、デブリを増やすだけでロクなことにならないので、この論文は今でも通用する内容にも思えます。

ところで宇宙開発といえば、ソ連ではカザフ共和国のバイコヌール基地です。この号ではカザフ共和国の紹介記事も出ています。写真はコクチュタフ州のボロボエ湖という場所にあるスフィンクスの岩。なかなか面白い地形です。カザフは広大な国土を持ち、気温差の激しいステップの土地です。帝政ロシアの頃は流刑地でもあり、こんな布告が残っています。

「小市民ニキフォル・ニキチンは、月への飛行に関する不穏な言動の罪で、カザフスタン・バイコヌールへ追放する」

宇宙旅行の夢を熱く語った人が送り込まれた不毛の大地、20世紀になってホンモノの宇宙基地が出来るなどとは、ツァーリも想像できなかったでしょうな。
そのカザフ、砂漠のど真ん中にパルハシ湖という巨大な湖があります。湖面の半分は淡水、半分は塩水で、決して混じりあうことがないという不思議な湖。この現象についてカザフスタンには伝説が残されています。

大昔、アラタウの山の中にバルハンという名の魔法使いが住んでいました。
彼には愛する娘、美しいイリがいました。イリは貧しい羊飼いのカラタルが好きでしたが、父親は娘を貧乏人に嫁がせたくありませんでした。そこで愛し合う二人は新月の夜、駆け落ちします。バルハンは一番優れた部下の戦士に後を追わせますが、彼らも追いつけません。
怒った魔法使いは娘と羊飼いを川に変えてしまい、自分はその流路に横たわって湖になりました。
今でもバルハシ湖には2本の川-イリ川とカラタル川が流れ込んでいますが、その水が混ざり合うことはありません。水は湖の中で、まるで壁に隔てられているかのように分かれているのです。


最後はソ連の切手です。
ソ連はやたらと記念切手を発行することで有名でした。毎年100種類以上というのが多いのか少ないのかはわかりませんが、切手コレクターの初心者にとっては手軽に外国の切手が手に入り、ソ連としても外貨が稼げるので双方にとって得だったのでしょう。反面、希少価値は無いので、マニアからは見向きもされなくなるとか。
もちろん本当の珍しい切手は、ソ連でも熱心なマニアによって取引されてたようで、全ソ切手収集協会なんてものがあります。このページは協会員のイーゴリ・ザハロフ氏の紹介による最近(1987年)の記念切手から(見づらいのでテキストを色分けしてます)。

1:新年記念切手「新しい年、10月大革命70周年の年、おめでとう!」 2:ボロネジ市(ロシア共和国)400周年記念。 3:アナトリー・ノビコフ(作曲家)生誕70周年記念。 4:チェリャビンスク市(ロシア共和国)250周年記念。 5:シャウリャイ市(リトワ共和国)750周年記念。 6:孫文(中華民国初代大統領)生誕120周年記念。 7:ミハイル・ロモノーソフ(ロシア科学の父)生誕275周年記念。 8:オルジョニキーゼ(党活動家)生誕100周年記念。9:ユネスコ創立40周年記念。 10:第27回ソ連共産党大会記念「科学技術進歩の路線にそって」 11:第27回ソ連共産党大会記念「国民の福祉は党の最高目標」 12:十月社会主義大革命69周年記念(1986年)。 13:第27回ソ連共産党大会記念「構想のエネルギーを行動のエネルギーへ!」 14:第27回ソ連共産党大会記念「社会主義と平和は切り離せない!」 15:ヤコブレフ設計局シリーズYa-1 16:ヤコブレフ設計局シリーズUt-2 17:ヤコブレフ設計局シリーズYak-18 18:ヤコブレフ設計局シリーズYak-50 19:ヤコブレフ設計局シリーズYak-55
 

さて。今回はこんなところでしょうか。
なんかとっちらかった紹介になってしまいましたが、
あまり気にせずにこんな調子でこれからもチマチマ更新します。
とりあえず、でわでわ~。


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2013年6月23日日曜日

今日のソ連邦 第4号 1987年2月15日


すっかり間が空いてしまいました。
2ヶ月放置とか、さすがにひどいですね。すみません。
いろいろ仕事のことで悩んでいたりしてました。別に鬱っぽい意味じゃなくて、単純にむずかしくて、ややこしくて、作業量が多いという意味での悩みです。つらいのに我慢して・・・とかじゃないのでご心配なく。各方面に不義理を働いているのは事実なんですが。
というわけで久しぶりの更新です。

表紙はモルダヴィア共和国のグロゼシティ村での一コマ。ドブゼウ家では旦那さんのフォマ(92才)と奥さんのエフロシニア(87才)の結婚70周年をお祝いしてます。


この号の日付を見ればわかりますが、ふたりともソ連が成立する以前に生まれた人です。サンクトペテルブルグで革命が起きてる最中、17才のエフロシニアはフォマと祝言をあげたのだそうで、まぁ、この頃のモルダヴィアはまだそれほどてんやわんやということでもなかったのでしょう。

エフロシニアは8人の子供を生んだといいますから、あと2人でソ連邦母性英雄でした。でも8人だって立派ですよね。彼女には母性栄光勲章2級が授与されてるはずです。子供、孫、曾孫、玄孫の総数は88人。こりゃ素直にすごいです。

見開きカラーはロシアの典型的な農村。女の子はオシャレしてますが、男はわりと普段着ばかりですね。御夫婦の後ろに民族衣装を着た楽団がいます。刺繍の上着にちょっと変わった帽子。モルダヴィアの民族衣装も面白いです。

ちなみに左端にいる勲章ジャラジャラの背広の人は一番目立つ場所に対独戦勝メダルを付けてます。右の襟には大学卒業バッジかな? その下には親衛部隊章を付けてます。
表紙のおじさんはまた別人。こちらは右襟に大祖国戦争勲章2級を付けてるのがわかります。付け方や位置が適当なのはご愛嬌。軍服じゃないから別にいいのです。
さて、今回は別の特集も組まれています。ソ連当局が大好きな統計です。日本の読者からのリクエストに応えて、関係各所から送られてきたデータに基づいてるそうですが、数字の信憑性についてはあえてコメントしません。まぁ、普通の超大国なら特に不思議ではない数字なんですが。
次の特集は警察。ベラルーシ共和国のミンスクを管轄するミリツィアです。最近、ロシアではポリツィアという残念な名前に改称されてしまいました。早く戻れ~。
で、こちらは交通警察。日本ではひとつの警察署の中に交通課とか生活安全課といった部署があるだけですが、ソ連では国家自動車監督局(ГАИ=ガイー)という専門の組織があります。
ところで、ソ連=ロシアの警察組織に対する市民の評判はとにかく最悪なのですが、ガイーはその中でも際立ってます。

わざとドライバーを呼び止めて些細な難癖をつけては罰金名目で賄賂をせびるからで、政府の腐敗防止キャンペーンなんかでも、しょっちゅう槍玉にあげられます。
もちろんマジメで優秀な警官もいるはずですが、この記事に出てくる人もそうだと思いたいですね。ちなみに事故現場の写真がこんな風に掲載されるのは珍しいことで、当時はこんな一面もペレストロイカと結びつけられていました。
まさかヤラセじゃないよなあ。

最後は共和国の紹介コーナーにあったベラルーシ共和国のカラーグラビア。記事ではベロルシア(白いロシア)となっていますが、これはロシア語表記に基づくもので、実際、ベラルーシ語とロシア語は似ているようでちがいます。
どちらも東スラブ民族という共通の祖先から分化したのですが、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの区別がキチンとつけば、ソ連・ロシアマニアの初段です。(嘘)

今回の記事によるとベラルーシ人は白くまっすぐな髪、灰色の瞳を持つ色白な人々。ロシア人に比べると顔の輪郭が穏やかで、やはり美人の産地として知られています。性格は寡黙で内気。勤勉で忍耐強く、運命の変転にもよく耐えます。なんか、さらっと恐いこと書いてあるな。
ちなみに、この地方の特産品は亜麻で、民族衣裳やテーブルクロスなどの調度品に白がよく使われることもベラルーシの呼び名のルーツとしてあげる学者もいるんだとか。

日本人から見るとわずかな違いなようでも、確固たる民族的アイデンティティがあるあたり、大陸国だなあと思います。

今回はこんなところで。
でわでわ~。

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2013年4月19日金曜日

今日のソ連邦 第3号 1987年2月1日


今日のソ連邦、1987年の3号です。
表紙を飾るのはウズベク共和国で当時建設中だった太陽炉のコンセントレーター(集光装置)。手間の白と黄色のタワーに集熱機、すなわち太陽炉の本体があるというわけです。

ところで、ウズベク共和国に限ったことではありませんが、ソ連崩壊後に独立した中央アジアの国々の多くが「~スタン」という国名に変更されています。
これはペルシャ語で「~の場所」とか「~の土地」という意味だそうで、国家の独立性を強調しているものでしょう。といってもウズベキスタンの公用語がペルシャ語というわけではないんですけどね。
もちろん、このブログではソ連時代の表記に基づいて記述しております。

話を戻しますと、この太陽炉はウズベク共和国の首都タシケントに近い、テンシャン山脈の麓に建設されたもので、正式名称を「研究・生産冶金コンプレクス」と言います。
「コンプレクス」とは複合施設のことでソ連の科学・産業面のニュースでは、非常に多く目にする言葉です。日本だと「コンプレックス=劣等感」みたいなイメージがありますが、これもそもそも誤用で、精神・心理学においてもコンプレクスは「感情複合」を意味し、特に劣等感に限定された用語ではありません。

また脱線しました。
この冶金コンプレクスは太陽光線を集中させることで炉内に摂氏3500度もの高温を作り出せる施設です。焦点が合う場所に材料を置くだけで自然に溶けてくれるので「るつぼ」が不要で、環境にも特別な制約がありません。さらに焦点距離からズラすだけですぐに冷却装置に放り込むこともできるので、瞬間的な冷却が可能。
これらの利点によって高純度の合金を大量に作ることができる他、高熱にさらされる宇宙船の再突入カプセルに使われる材料などを試験することもできます。

鍵となるのは当然、太陽。
この地方は年間300日以上の晴天日があり、一日あたり8時間から10時間の連続稼働が可能と見積もられています。
巨大な帆を思わせる集光装置の鏡面は面積1000平方メートル。この鏡に向かって、62枚のヘリオスタットが配置されています。ヘリオスタットは1枚あたり50平方メートル。たえず太陽を追尾し、光エネルギーを集光装置へと反射させます。

この集光装置も一般的にはパラボラ型が主流ですが、ここでは円錐形の複雑な形をしたものが採用されています。集光の効率がよく、構造が簡単で、施設全体を軽量化できるメリットがあります。ただ、光の入射角度には慎重な計算が必要で、このタイプはウズベクの他はフランスに1基あるのみなのだそうです。
なお、この太陽炉の現在の様子はこちらで見ることができます。
案の定というか、やっぱり使われてる気配がないなあ・・・。


そのウズベク共和国ですが、実は地震国でもあります。というわけで、この号ではソ連における地震予知についての記事もあります。

かつてはソ連の科学者たちも、詳細なデータを集めて分析すれば、かなりの確率で地震が予知できるはずだと思っていた時期があったそうです。
しかし、時間とともに科学者たちの態度は懐疑的になっていき、現在では地震予知の局限化が主流になっているとのこと。つまり地震が発生しそうな場所を特定し、最大震度を見積もり、次の地震発生までの時間を予測するというもの。

ソ連は、このやり方で効果が上がっていると主張していますが、要するに危険な場所を避けて都市計画やインフラ整備をするというもので、広い国土面積があるからこそできる芸当です。もちろんソ連だって耐震建築やら、さまざまな防災計画などが研究・立案されています。それがどれぐらいの効果を上げたかは、別の機会にご紹介するとしましょう。

ところで、今回はやたらウズベク共和国関連の記事が多いです。
こちらは共和国を紹介する記事。中央の女性たちが手にしているのはウズベクで「白い黄金」と呼ばれる綿花。ウズベク社会主義共和国の国章にも使われています。
農業国で野菜や果物に恵まれ、ブドウの品種だけでも150種類におよび、炊き込みご飯のピラフ(プロフ)、ウドンによく似たラグマンなどを食べます。

次の特集は、いきなりロシアに戻ってプーシキンです。1987年はプーシキン没後150年ということで、ソ連でも大きな盛り上がりを見せました。というか、ロシア人のプーシキン好きは異常。
決闘で受けた傷がもとで亡くなったというのもドラマチックで、ロシア人を引きつけてやまないのでしょうか。

ちなみにプーシキンの玄孫にあたる人は、日本文化の研究家なのだそう。セルゲイ・クリメンコさんという方で、大祖国戦争ではモスクワの高射砲部隊に所属。終戦後はモスクワ外語大学の日本語学科に入学し、その後はモスクワ放送の日本部で定年まで務めたのだとか。
意外なところで意外なつながりがあるものです。
もっとも、プーシキンの子孫は200人を越えてるそうなので、ひとりぐらいはこういうこともあるのかな。

最後はソ連宇宙開発の父「セルゲイ・コロリョフ」の特集。
世界初の人工衛星スプートニクを打ち上げ、世界初の有人宇宙船ボストークを打ち上げ、死の直前までソ連の宇宙開発をリードし続けた人物で、こちらは生誕80周年です。

このコロリョフという人、相当にアクの強い人物であることが知られています。さすがのソ連でもこの点を認めないわけには行かないようで、このあたりが普通の人物伝とは違うところです。


コロリョフはつねに一番でいたがった人であり、功名心が強く、高圧的だった。
それは全てに・・・話し方、動作、歩き方にさえ感じられた。
だが、私たちが世界古典文学の無数の例によって、
否定的な資質としてステレオタイプ化している功名心も、高圧的な態度も、
コロリョフの個性の中にあっては、それを否定的なものと呼べないように奇妙に変形しているのだった。

うむ。イヤな奴だけど褒めないわけにはいかない筆者の苦悩が伝わってくる文章です。
ただ、彼は手にした権力を個人的な目的のために使ったわけではなく、あくまでも計画を前進させるために行使したのは事実のようです。プロジェクトを進めるためには徹底的にトップダウンの方式を貫かないと、ソ連では何も進まないことを自覚していたのでしょうか。
もちろん権限には責任がともないます。

彼はしばしば責任の最高の措置を自ら引き受けた。
負荷にぴったり100パーセント耐える、すなわち強度に余力が無いユニットに関して
赤えんぴつで書類に断固「可!」と書けるのは彼だけだった。

さらにはこんなこともあったそうです。
月探査機の着陸システムを検討する会議で、地質学者や天文学者も交えての議論。
月の表面は固いのか、柔らかい塵に覆われているのか、
それによって仕様も設計も部品の強度もすべてがちがってきます。
当時はまだアポロが着陸する前なので、誰も月面がどうなっているのかはわかりません。
会議はすっかり行き詰まってしまいます。
もし柔らかければ、探査機は塵の中に沈み、固ければ着陸装置は壊れてしまう。
誰もが恐れて、書類にサインしようとしません。
しかし、コロリョフは、出るはずのない結論をいつまでも待つような人物ではありませんでした。

「それでは、月は固いという前提で機械を設計しよう」
「でも……」と専門家のひとりがさえぎった。
「誰がそれを請け合うことができるのですか?」
「私だ」とコロリョフは簡単に答えて、白い紙を取ると勢いよく書いた。

“月は固い。セルゲイ・コロリョフ ”


今回はこんなところで。
ゲームラボのコラムも引き続き、よろしくお願いしまーす。
でわでわ。


2013年4月12日金曜日

今日のソ連邦 第2号 1987年1月15日

今日のソ連邦、1987年の第2号です。
前回は1号であるにも関わらず、新年に関連した記事がほとんどなかったのですが、こちらの号には駐日ソ連大使のソロビヨフさんの新年のご挨拶が載っています。どうやら大使館の仕事始めはこの号からのようです。

続くページには「米国のSALTⅡ逸脱に関するソ連政府声明」なるものが載っています。SALTⅡとは「第二次戦略兵器制限交渉」で、要するにお互いの核兵器を減らそうという取り組みです。
ソ連政府によると、アメリカは1986年に長距離巡航ミサイルを搭載できる131機目の爆撃機を実戦配備した際、その埋め合わせとして同等の能力を持つ「核兵器運搬手段」を解体しなかったとのこと。
これによってアメリカは、条約で1320基と決められた数を上回る核兵器運搬手段を持ったことになり、けしからんというわけです。もっともアメリカは「SALTⅡ」に調印こそしましたが、その後のソ連のアフガン侵攻がけしからんということで議会が批准を拒否。1985年には効力を失っています。 どっちもどっちという気がしますが、この手の綱引きは冷戦時代ではしょっちゅうでした。
ちなみに核兵器の削減交渉で問題になるのは核弾頭の数ではなく、それを運ぶミサイルや航空機、潜水艦などです。やらないよりはマシですが、この手の交渉が成立しても、弾頭自体は全く減っていないどころか、逆に増えていた現実があります。

次は「党地区委員会の第一書記」。
モスクワ北西部にあるゼレノグラード市(モスクワ市の飛び地)の地区第一書記、アナトリー・ラリオノフ氏の仕事ぶりを紹介した記事です。
ソ連は共産党一党独裁の国なので、行政府と政党が一体となっています。しかし、市役所には市長を始めとする市の職員がおり、共産党がどんなポジションで何をしているのかはわかりにくいものがあります。
実際、外国の読者からは「学問には学者が、工場には労働者が、管理部門には権限のある指導者がいる。では共産党は何をしているのだ?」との疑問が寄せられていたようで、記事はこれに答えたものとなっています。
ラリオノフ第一書記の言葉によると、「人体には脳や骨格、筋肉や心臓がある。社会も同じだ。しかし、人間を人間たらしめているのは、創造性や意志を育む精神的基盤である。共産党はまさに社会の精神的基盤としてすべてのことに責任を負っている」とのこと。
おー、なんかいいこと言ってる気がする。

しかし、現実はというとなかなか大変なようです。
アパートの順番待ちはソ連では珍しくもありませんが、そこでラリオノフ第一書記は、大祖国戦争の退役軍人たちの入居を優先するよう指示します。
また、工場を定年退職した老コンスタンチノフが、引退後の楽しみとして果樹園用の土地(当然、数に限りがあります)を労働組合に申請しますが、気難しい性格だったために仲間との折り合いが悪く、同僚たちは「あんな奴に土地を工面する必要はない」と一悶着。
そこで第一書記は老コンスタンチノフと面会し、彼の実直な性格や現役時代の功績を総合的に判断して、土地申請を受理するように働きかけます。
また、ある時はスーパーマーケットの遊歩道がきちんと清掃されていないということで、清掃員たちを適切に指導。さらには、なぜ日当たりが悪く、冷たい風が吹き抜けるアバートの中庭なんかに子供の遊び場を設置したのか?と建設管理局にネジ込み、同アバートに住む市民からは牛乳が配達されてこないとの苦情を受けて配給ステーションにも足を運び・・・。

なんかプリキュアのマナちゃんみたいなことやってますよ生徒会長みたいなことやってますよ、ラリオノフ第一書記。とはいえ、庶民的で人間臭い問題を抱え込んでるのは親しみが持てます。共産党幹部といっても、地区レベルではこんな感じなのですね。

その流れというわけではありませんが、モスクワの第370幼稚園の記事。ソ連における就学前教育は3種類あり、0歳児から3歳未満を預かる保育園、3歳から7歳未満を預かる幼稚園、両者が一体となった保育幼稚園があります。
日本でも幼稚園や保育園、保育士の数が足りないことが問題になっていますが、ソ連でも同じ問題に直面しています。もっとも全ての親が子供を幼稚園に入れるわけではないようです。
夫婦共働きが当たり前のソ連ですが、たとえ専門家がいる幼稚園であっても子供を他人に委ねたくはない、と考える人もいるようで。
ちなみにカリキュラムは身体を丈夫にする体操、社会性を育む、集団でのお遊戯、情操教育のための音楽やお絵描きといった具合で、日本とあまり変わらない感じです。
第370幼稚園は朝の7時30分から夜7時30分までの12時間保育体制。家庭環境によっては一日3食をここで食べる幼児もいるようで、給食制度も充実しています。ある日のメニューは
朝食・オートミール、ココア、バター&チーブのオープンサンド。
昼食・トリ肉入りスープ、カテージチーズのダペカンカ(ハンバーグ風に焼いたもの)、フルーツのコンポート、
昼寝のあとのおやつを挟んで、夕食・ケフィール(ヨーグルト)、ビーツのコロッケ、プラムとサワークリーム。
夕食が軽めですが、ロシアでは昼食が正餐で、これは幼稚園でも軍隊でも同じです。

さて、前回は省略してしまったのですが、この年からソ連を構成する15の共和国の特集記事が連載されてます。第1回はロシアでしたが、今回はウクライナ。
ロシア、ウクライナ、ベラルーシをまとめて東スラブと呼びますが、この3つの共和国の区別がキチンとできれば、いっぱしのソ連通です。自分は、ちょっと自信がないなあ。ともあれウクライナが美人の産地であることは知っています。あとはボルシチにニンニクが入ること、かな?
農地に恵まれており、一面のヒマワリ畑が有名。しかし、一番名高いのはサクランボの果樹園で、これがないとウクライナの農村とは言えないんだとか。
道沿いにはトーポリ(セイヨウハコヤナギ)が植えられ、広々としたステップが地平線まで広がります。遠くにはカルパート山脈、その前を流れる銀色のきらめきはドニエプル河、というのが典型的なウクライナのイメージなのだそう。えーと、よもや4号戦車と村を焼くドイツ兵を連想するような読者は、このブログにはおりますまいな?

最後は「ソ連アニメ映画の50年」という記事。
1月に「おーい、待てぇ!」を紹介しましたが、今回はチェブラーシュカとか、ノルシュテインとか、おなじみの名前も出てきます。
今では日本の「アニメ」も通用することが多いですが、本来のロシア語ではアニメーションは「Мультипликация=ムリチプリカーツィヤ)」と言います。これはラテン語の「ムリチプリカチオ」が語源で「増やす」という意味なのだそうです。一枚の絵を動かすためには沢山の動画が必要なわけで、この辺からきたのかもしれません。
ソ連におけるアニメの歴史は1920年代にさかのぼり、1922年にニュース映画「キノ・プラウダ」に短い風刺アニメを入れるようになったのが最初とされています。この頃はまだペーパーアニメだったようですが、1934年に「全ソ国立映画大学付属実験アニメーション工房」が設立されると、セルロイド製の動画用紙が使われ始めます。

さて、日本もそうですが、ソ連も最初の頃はディズニーの強い影響を受けていたそうです。しかし、アメリカ流のアニメが主流になることに危機感を覚えた当時の作家たちは、アニメでも哲学的メッセージやドラマ性、叙情性を追求すべきという方向に向かっていきます。
1936年6月10日、「全ソ・アニメ映画スタジオ設立に関する映画写真産業総局の指令」が公布。ここにソ連最初のアニメ専門会社が誕生します。ソ連じゃ、アニメ会社も物々しい手続きで設立されますな。
2枚目の画像はソ連の第一線で活躍するアニメーターたち。スタジオの雰囲気もそうですが、あちらのアニメ製作スタッフもなんとなく日本の同業者と似た雰囲気をかもしだしてます。

今回はこんな感じで。
ゲームラボの連載も引き続きよろしくです。

でわでわ~。


2013年3月13日水曜日

今日のソ連邦 第1号 1987年1月1日

今日のソ連邦、1987年の正月号です。
すっかり季節外れですが、ご容赦ください。実際、新年のご挨拶とかその手の記事はほとんどありません。 今回の特集はレニングラード。1987年は10月革命の70周年にあたる年なので、革命の舞台を総力で特集しています。

レニングラードはかつてのロシア帝国の首都。もちろん最初はサンクト・ペテルブルグという名前があったわけですが、革命直後にペトログラードとなり、最終的にレニングラードになりました。
ロシア革命の父レーニンの名を冠した名前です。現在はサンクト・ペテルブルグに戻りましたが、レニングラードの名前は、より大きな行政単位である「レニングラード州」に名残を留めています。
記事によると、そのレニングラードにある「キーロフ工場」の新型トラクター試運転の日に、ゴルバチョフ書記長がいきなり抜き打ち訪問したとあります。ここで書記長は自らトラクターの運転席にのぼり、テストドライバーに話しかけています。

「ブレーキは大丈夫だろうね?」
「もちろんですよ」
「じゃ、どうして動かさないんだね? エンジンをかけて走ってみようじゃないか」
トラクターは敷地内を一周して止まります。
「どうかね、具合は?」と書記長はたずねます。
「すばらしいですよ。ただざっくばらんに言わしてもらえば、たまだ少し検討しなきゃならん問題が残っています」
「じゃ、ひとつ検討して、良心に恥じないものを仕上げてもらいたい。それを我々は待っているよ」

こうして書記長の電撃的な工場訪問は終わります。この頃からゴルバチョフ氏の行動は加速度的にダイナミックなものになっていきます。

さて、メインの記事はというと、もっぱらレニングラードという都市の景観の美しさに焦点が当てられています。たしかに歴史的建造物が多く、美術館なども沢山ありますから、観光案内みたいな記事になるのは当然かもしれません。

「レニングラードの24時間」という記事では、この街のとある一日がかいつまんで紹介されています。

・午前1時。「パルチカ」パン工場でパンの出荷が始まる。レニングラードには14のパン工場があり、パン屋や食堂に一括納入しているのです。
・午前4時。500台の清掃車が町中に繰り出し、道路清掃とゴミ収集を実施。
・午前5時。市電、路線バス、トロリーバスの始発が動き出す。料金はすべて一律で距離に関係なく5コペイカ。
・午前7時20分~8時。母親たちが出勤前に、自分の子供を保育園や幼稚園に預けに来る。
・午前9時。学校の始業ベルが鳴る。
・午前11時。エルミタージュ美術館が開館。観光客を飲み込みはじめる。
・正午。ペトロパブロフスク要塞で「お昼のドン」。この伝統は17世紀にさかのぼる。ちなみにこの記事の書かれた1987年の時点で正午の空砲に使われているのは、1945年のベルリン攻防戦で実際にドイツの国会議事堂に砲火を浴びせた152ミリ榴弾砲だとのこと。さすが・・・物持ちがいい。
・午後2時。各地の工場から午前の生産分の出荷が始まる。レニングラードにはカラーテレビ、カメラ、靴、時計などの工場がある。午後7時30分。市内の劇場、歌劇場、コンサートホールなどの開演時間。
・午後11時。映画スタジオ「レン・フィルム」でプーシキンの伝記映画の撮影が終了する。

こんな感じでレニングラードの1日が終わります。
ちなみに左の写真はエルミタージュへの入場待ちの行列。ソ連で行列というと即、モノ不足を連想しますが、観光名所の行列なら胸を張って紹介できるというものです。もっとも西側の報道関係者の中には、こういう写真をトリミングして「商店に並ぶソ連市民」とキャプションを付けて配信する者もいたそうで、どこにも横着者はいるんだなあという感じ。

実際、ソ連の市民生活とはどんなものだったのか?  てなわけで、この号からは「これがわたしたちの暮らしです」というコーナーが始まっています。
図書館職員で主婦のダリア・ニコラエブナを案内役に、夫のセルゲイ(43)、娘のタチアナ(16)、息子のイーゴリ(10)をの家族を通して、ソ連の一般市民の生活を知ってもらおうという趣向。まぁ、ある程度のゴマカシや宣伝は承知の上で紹介します。

第一回目は「朝食・昼食・夕食」。朝はソーセージ、サワークリームやハチミツを塗った揚げパン。そして紅茶。夫セルゲイは新聞を読みふけり、「あー」とか「うー」としか言いません。この辺、日本と大差ない感じ。息子のイーゴリは学校に遅刻しそうで、揚げパンをジャンパーのポケットに突っ込もうとして怒られてます。
娘のタチアナはダイエット中らしく「紅茶だけでいい」と素っ気ない様子。というのも学校でも午前の給食というものがあり、15コペイカ(約35円)の給食費で、サラダ、カツレツ、白パン、牛乳またはココアが供されるとのこと。なるほどスタイルを気にする年頃としては問題です。

実際、この記事。食料不足の気配はカケラもありません。昼食は職場の食堂で食べるし、そこで夕食の食材を買うこともできるのです。ソ連人の平均カロリー摂取量は、世界平均より1000キロカロリーも多いのだとか。いや、町で見かけるスコープドッグのようなオバサンを見れば納得ですが。まぁ、脂質と糖質が圧倒的に多いのでしょうなあ。
今夜のディナーはオーブンで焼いたジャガイモ料理。一日の出来事をおしゃべりしたり、テレビで刑事ドラマ(もちろんミリツィアが主人公)を見たり。特に特別なことのない一家団欒です。

しかし、ちょっと意外だったのが、夕食が終わって夜も更けたという時に、娘のタチアナがプイッと出かけてしまうこと。息子のイーゴリは「お姉ちゃんはデートだよ」とこともなげ。親たちも「ふーん、そうなのか」です。16才の娘がデートと称して夜、堂々と出かけちゃうって、ソ連じゃ普通なんでしょかね?

最後はレニングラードとその周辺都市にある宮殿の修復にたずさわる技師たちの記事。金箔の修復技師たちが、彫像に黙々と金箔を貼っていきます。
この人物、かなり凝り性のようで、ツヤの加減が違う複数の金箔を用いて、髪の毛、肌、指の爪などにそれぞれ風合いの違いを表現しているのだそう。しかし、そんな彼らの努力も金箔の厚さを確かめようとコインで引っかく不心得者がいるせいで大変だとか。
マナーの悪い見学者はソ連も例外ではないようです。
サンクト・ペテルブルグにはまだ行ったことがないので、いつか訪れて、彼らの仕事の成果を見てみたいものです。

では、今回はこの辺で・・・お知らせです。

2013年3月から、三才ブックスさまの月刊誌『ゲームラボ』にてソ連ネタのコラムを連載することとなりました。もしかすると、この酔狂なブログが一因かもしれませんです。マンガ家の速水螺旋人さんとご一緒ですので、かなり濃くなりそう。まずは3月中旬発売の4月号からスタートです。 


是非是非よろしくお願いしまーす。