前回は1号であるにも関わらず、新年に関連した記事がほとんどなかったのですが、こちらの号には駐日ソ連大使のソロビヨフさんの新年のご挨拶が載っています。どうやら大使館の仕事始めはこの号からのようです。
続くページには「米国のSALTⅡ逸脱に関するソ連政府声明」なるものが載っています。SALTⅡとは「第二次戦略兵器制限交渉」で、要するにお互いの核兵器を減らそうという取り組みです。
ソ連政府によると、アメリカは1986年に長距離巡航ミサイルを搭載できる131機目の爆撃機を実戦配備した際、その埋め合わせとして同等の能力を持つ「核兵器運搬手段」を解体しなかったとのこと。
これによってアメリカは、条約で1320基と決められた数を上回る核兵器運搬手段を持ったことになり、けしからんというわけです。もっともアメリカは「SALTⅡ」に調印こそしましたが、その後のソ連のアフガン侵攻がけしからんということで議会が批准を拒否。1985年には効力を失っています。 どっちもどっちという気がしますが、この手の綱引きは冷戦時代ではしょっちゅうでした。
ちなみに核兵器の削減交渉で問題になるのは核弾頭の数ではなく、それを運ぶミサイルや航空機、潜水艦などです。やらないよりはマシですが、この手の交渉が成立しても、弾頭自体は全く減っていないどころか、逆に増えていた現実があります。
次は「党地区委員会の第一書記」。
モスクワ北西部にあるゼレノグラード市(モスクワ市の飛び地)の地区第一書記、アナトリー・ラリオノフ氏の仕事ぶりを紹介した記事です。
ソ連は共産党一党独裁の国なので、行政府と政党が一体となっています。しかし、市役所には市長を始めとする市の職員がおり、共産党がどんなポジションで何をしているのかはわかりにくいものがあります。
実際、外国の読者からは「学問には学者が、工場には労働者が、管理部門には権限のある指導者がいる。では共産党は何をしているのだ?」との疑問が寄せられていたようで、記事はこれに答えたものとなっています。
ラリオノフ第一書記の言葉によると、「人体には脳や骨格、筋肉や心臓がある。社会も同じだ。しかし、人間を人間たらしめているのは、創造性や意志を育む精神的基盤である。共産党はまさに社会の精神的基盤としてすべてのことに責任を負っている」とのこと。
おー、なんかいいこと言ってる気がする。
しかし、現実はというとなかなか大変なようです。
アパートの順番待ちはソ連では珍しくもありませんが、そこでラリオノフ第一書記は、大祖国戦争の退役軍人たちの入居を優先するよう指示します。
また、工場を定年退職した老コンスタンチノフが、引退後の楽しみとして果樹園用の土地(当然、数に限りがあります)を労働組合に申請しますが、気難しい性格だったために仲間との折り合いが悪く、同僚たちは「あんな奴に土地を工面する必要はない」と一悶着。
そこで第一書記は老コンスタンチノフと面会し、彼の実直な性格や現役時代の功績を総合的に判断して、土地申請を受理するように働きかけます。
また、ある時はスーパーマーケットの遊歩道がきちんと清掃されていないということで、清掃員たちを適切に指導。さらには、なぜ日当たりが悪く、冷たい風が吹き抜けるアバートの中庭なんかに子供の遊び場を設置したのか?と建設管理局にネジ込み、同アバートに住む市民からは牛乳が配達されてこないとの苦情を受けて配給ステーションにも足を運び・・・。
なんか
その流れというわけではありませんが、モスクワの第370幼稚園の記事。ソ連における就学前教育は3種類あり、0歳児から3歳未満を預かる保育園、3歳から7歳未満を預かる幼稚園、両者が一体となった保育幼稚園があります。
日本でも幼稚園や保育園、保育士の数が足りないことが問題になっていますが、ソ連でも同じ問題に直面しています。もっとも全ての親が子供を幼稚園に入れるわけではないようです。
夫婦共働きが当たり前のソ連ですが、たとえ専門家がいる幼稚園であっても子供を他人に委ねたくはない、と考える人もいるようで。
ちなみにカリキュラムは身体を丈夫にする体操、社会性を育む、集団でのお遊戯、情操教育のための音楽やお絵描きといった具合で、日本とあまり変わらない感じです。
第370幼稚園は朝の7時30分から夜7時30分までの12時間保育体制。家庭環境によっては一日3食をここで食べる幼児もいるようで、給食制度も充実しています。ある日のメニューは
朝食・オートミール、ココア、バター&チーブのオープンサンド。
昼食・トリ肉入りスープ、カテージチーズのダペカンカ(ハンバーグ風に焼いたもの)、フルーツのコンポート、
昼寝のあとのおやつを挟んで、夕食・ケフィール(ヨーグルト)、ビーツのコロッケ、プラムとサワークリーム。
夕食が軽めですが、ロシアでは昼食が正餐で、これは幼稚園でも軍隊でも同じです。
さて、前回は省略してしまったのですが、この年からソ連を構成する15の共和国の特集記事が連載されてます。第1回はロシアでしたが、今回はウクライナ。
ロシア、ウクライナ、ベラルーシをまとめて東スラブと呼びますが、この3つの共和国の区別がキチンとできれば、いっぱしのソ連通です。自分は、ちょっと自信がないなあ。ともあれウクライナが美人の産地であることは知っています。あとはボルシチにニンニクが入ること、かな?
農地に恵まれており、一面のヒマワリ畑が有名。しかし、一番名高いのはサクランボの果樹園で、これがないとウクライナの農村とは言えないんだとか。
道沿いにはトーポリ(セイヨウハコヤナギ)が植えられ、広々としたステップが地平線まで広がります。遠くにはカルパート山脈、その前を流れる銀色のきらめきはドニエプル河、というのが典型的なウクライナのイメージなのだそう。えーと、よもや4号戦車と村を焼くドイツ兵を連想するような読者は、このブログにはおりますまいな?
最後は「ソ連アニメ映画の50年」という記事。
1月に「おーい、待てぇ!」を紹介しましたが、今回はチェブラーシュカとか、ノルシュテインとか、おなじみの名前も出てきます。
今では日本の「アニメ」も通用することが多いですが、本来のロシア語ではアニメーションは「Мультипликация=ムリチプリカーツィヤ)」と言います。これはラテン語の「ムリチプリカチオ」が語源で「増やす」という意味なのだそうです。一枚の絵を動かすためには沢山の動画が必要なわけで、この辺からきたのかもしれません。
ソ連におけるアニメの歴史は1920年代にさかのぼり、1922年にニュース映画「キノ・プラウダ」に短い風刺アニメを入れるようになったのが最初とされています。この頃はまだペーパーアニメだったようですが、1934年に「全ソ国立映画大学付属実験アニメーション工房」が設立されると、セルロイド製の動画用紙が使われ始めます。
さて、日本もそうですが、ソ連も最初の頃はディズニーの強い影響を受けていたそうです。しかし、アメリカ流のアニメが主流になることに危機感を覚えた当時の作家たちは、アニメでも哲学的メッセージやドラマ性、叙情性を追求すべきという方向に向かっていきます。
1936年6月10日、「全ソ・アニメ映画スタジオ設立に関する映画写真産業総局の指令」が公布。ここにソ連最初のアニメ専門会社が誕生します。ソ連じゃ、アニメ会社も物々しい手続きで設立されますな。
2枚目の画像はソ連の第一線で活躍するアニメーターたち。スタジオの雰囲気もそうですが、あちらのアニメ製作スタッフもなんとなく日本の同業者と似た雰囲気をかもしだしてます。
今回はこんな感じで。
ゲームラボの連載も引き続きよろしくです。
でわでわ~。
興味深く拝見させていただきました。
返信削除失礼を承知で申し上げます。
実はこの1987年第二号を探しております。
もし何か当てがあったらと思って投稿致しました。
煩わしいことを申し上げまして誠にすみません。