2015年1月1日木曜日

2015 謹賀新年

С Новым Годом!
A HAPPY NEW YEAR!


新年あけましておめでとうございます。
旧年中はご訪問いただきありがとうございました。
皆様の健康とますますのご活躍を祈念しております。
本年もよろしくお願いいたします。

津久田重吾 拝



2014年12月6日土曜日

今日のソ連邦  第5号 1988年3月1日

あちゃー・・・ついに師走であります。
 今回は「ソ日経済合同委員会」の特集がメインですが、共同声明とか活動報告ばかりでちょっと地味です。注目すべき点は各省庁や企業が独立して投資を呼び込んだり、貿易を呼びかけたりしてるところでしょうか。日本に対しては極東・シベリアの開発に取り込みたい様子が伺えます。

 個人的に強い興味を惹かれたのは「視点を変えれば」というコラム。これまでにも本誌で「ソ連の生活の質」というタイトルでソ連社会を採点してきた社会学者のビタリー・トレチャコフのコーナーです。
タイトルは「推理小説は文明に必要か」というもの。
別にソ連の公式見解を反映したものではなく、あくまで筆者の個人的な意見ですが、書き出しはすこぶる挑発的です。

「推理小説は“文学”のカテゴリーから抹消するだけでなく、そもそも我々の現代文明から追放する必要があると、私は確信している」

 わ~お。はてさて、これはどうしたことでしょうね?
 日本でもマンガやアニメがしばしば俗悪のレッテルを貼られますし、ラノベなんかも「あんなものは小説じゃない~式」の批判が見られたこともあります。トレチャコフ氏の真意や如何に?

 彼はソ連の推理小説家との対話を通し、作家たちの考え方が「どれをとっても人類の正常な生活の理想と、あらゆる刑事もの(ソ連では民警もの)の物語の理念とが乖離している」と強く実感するに至ったと言います。
 ただ、ここで取り上げられてる推理小説にアガサ・クリスティやコナン・ドイル、ジョルジュ・シムノンなどは含まれません。彼いわく「これらの作家は推理小説家というより風俗社会学者だ」と主張します。「これらの小説かが重視していたのは現代の作家が描いているものではなく、その奥で犯罪が熟している環境の社会的・心理的な描写である」のだとか。
 
 さて、トレチャコフ氏がこのコラムを書こう思い立った直接のきっかけですが、国際推理・政治小説協会なる団体の会長にソ連の推理作家ユリアン・セミョーノフが就任したことのようです。セミョーノフは「推理小説は社会的不正をただす武器である」と述べ、ソ連における推理映画の本数を増やすべきだと主張。「それは若者たちが見たがっているものであり、善意・ヒューマニズム・勇気・名誉心を育むものだ」と言います。
 これがトレチャコフ氏の癇に触ったようです。彼は「これらの主張のすべてに賛成しない」と噛みつきます。1985年、ソ連では12歳から60歳までの男女4247人を対象にアンケート調査が行われました。
 16歳以下では推理小説の人気はSFに次いで2位。30歳以下では3位、31~60歳になるといずれも1位だったそうです。職種で分類してみても一般労働者、技術者、農業従事者、医師、研究者など、多岐に渡って推理小説は好きな小説ジャンルの上位にランキングしています。

 ここでトレチャコフ氏は我々から見るといささか古くさい論理を展開します。
 すなわち「ソ連社会が西側の多くの国々で見られる暴力の波に襲われないで済んでいるのは、“刑事もの”の生産量が、西側諸国に比べて少なかったからだ」というのです。来ましたよ。彼にしてみればセミョーノフの主張は「この“不足分”を補いたがっているのだ」と強く批判しています。
 対する推理作家たちの言い分でよく見られるのは「ドストエフスキーの“罪と罰”や“カラマーゾフの兄弟”だって本質的には推理小説だ」というもの。トレチャコフ氏は「こんなことを言えるのはドストエフスキーを軽んじている者にしかできないことだ」と怒り心頭のようです。
 彼が問題視している点をまとめると、刑事なり、取調官なりの正義を描くためには、犯罪そのものを描写せざるを得ない。つまり正義の宣伝と同じように、暴力や犯罪の手口、時にロマンチックにさえ描かれる犯罪者の贅沢ぶり、倒錯した趣味などを宣伝しているのだ、というものです。
 ソ連の推理小説の現状は「1.暴力礼賛、2.犯罪と犯罪者そのものの美化、3.逮捕に至るプロセスにおける犯罪者に対する暴力の正当化」であふれかえっており、これらが映画やテレビドラマでさらに助長、拡大しているというのです。
 あの・・・なんだか80年代のソ連の推理小説とか刑事ドラマとかめちゃくちゃ見たくなってくるんですが。ここまで批判するからには凄いものを想像しちゃうんですが。

次は気分を変えてミンスク自動車工場(MAZ=マズ)のカラー写真いろいろ。ベロルシア(ベラルーシ)共和国には3つの自動車メーカーがあり、残りふたつはベロルシア自動車工場(BelAZ=ベラズ)、モギリョフ自動車工場(MoAZ=モアズ)と言います。これらは全部で11の関連企業からなる産業複合体で正式名称を「10月大革命記念ベロルシア大型自動車生産合同」と言います。
 
 工場では現在、ペレストロイカによって「労働集団評議会」なるものが設置され、「自分のカネは自分で稼ぐ」方式への転換を進めているとのこと。ただ、既存の組織もまだ残っており、それらを廃止するのが大変です。
 旧組織には10人以上のメンバーで構成される「作業班長評議会」が数百もあり、さらに常設の生産会議があります。内訳は全工場生産会議がひとつ、工場、職場、管理部にそれぞれ30、これに人民監督機関、ボランティアの経済分析ビューロー、科学的労働組織ビューロー、ボランティアの要員評議会が加わり、非公式の自主管理グループに至っては無数にあります。これらの集団に全労働者の半数が何らかの形で参加しており、まさに自動車作ってるのか会議してるのかわからない状態だったとか。確かにこりゃ、すげぇわ・・・。

次は職人の世界のお話。モスクワ郊外のサルティコフカという街にある鍛造科学技術博物館の敷地内で開催された「第2回全ソ美術鍛冶フェスティバル」より、鍛冶屋のコンクールの話題。
 一見するとその辺の森でやっているイベントという感じで、どんな形態の博物館なのか興味があります。鉄製の台には耐火レンカが敷きつめられ、その上でコークスを燃やしているようですが、火力のコントロールとか大変そうです。あと、消火用水のバケツが台の下に置いてありますが、それっていざという時、取り出せないような・・・。

さて、この号が出た1988年はモスクワ芸術座創立90周年にあたります。そこで東京の日生劇場でも記念公演が行われたとか。日本とソ連の演劇界はなかなか密接な関係があるんですな。
 もちろん来日するから日本の演目というわけではなく、モスクワでもいろいろ工夫してます。ロシア人が日本の衣装を着ているのはなかなか面白いですが、まぁ、日本人だって海外のオペラとかではそれなりの衣装を着ますからね。
 
 ところで、さすがにここでは触れられていませんが、ソ連と日本の演劇にまつわる面白いエピソードがあります。
 モスクワに赴任中だった日本の商社の奥さんが、友人のロシア人に声をかけられました。とあるアマチュア劇団が「蝶々夫人」をやるので着物の着付けをしてほしいとのこと。で、いざ出かけてみて仰天。
 主役の蝶々夫人はもちろん、出演者全員が「必勝」と書かれたハチマキをしていたのです。当時、ソ連のメディアが取り上げる日本のニュースは労働争議やデモばかりだったので、劇団の人たちは日本人は皆、必勝のハチマキをしているものだと思い込んでいたのだとか。メイエルホリドが草葉の陰で泣いている・・・と言いたいところですが、私たち日本人もどこでやらかすかわからないので、注意したいところです。

 最後は国際婦人デーにちなんだ特集。
 国際婦人デーは3月8日。1904年、アメリカで婦人参政権を求めるデモが行われたことがきっかけで設立された記念日です。ソ連では2月革命の日だったこともあり、重要な記念日に位置づけられます。といっても、女性解放とか男女平等などの硬派なフェミニズム運動からは次第に遠ざかり、ソ連ではごく普通の記念日になって今に至ります。とはいえ、ロシア女性にとっては誕生日、結婚記念日に次いで重要な日であり、この日に花を送ることを忘れると旦那の査定は確実にマイナス評価となります。夫婦や恋人でなくても、職場の女性に花を贈るのが一般的で、これは日本でもメジャーになっていい習慣なんじゃないかと思います。(別に花キューピットの回し者じゃありません)
 さて、記事は山林監督官レーナ・マーシナの日常です。愛犬バルボスとともにカルバート山脈の自然を守るのが彼女の仕事。なんとモスクワ大学卒業の才媛です。普通ならモスクワで華やかな生活が約束されているのに、ウクライナの国営林業所で働く道を選びました。
 規則では制服を着なければいけませんが無視。なんかソ連って規則一点張りのようで、妙なところが自由なんですよね。
 彼女の仕事でも特に重要なのは密猟の取り締まり。記事では興味深いエピソードが語られます。この地域は公認された狩猟地でもあり、地元のアマチュア狩猟クラブに入れば、イノシシやノロ鹿、ウサギ、キツネ、キジなどの野鳥・小動物狩猟許可証が発行されます。しかし、保護動物であるアカ鹿は一切の許可が出ません。アカ鹿はカルパートの森の王と呼ばれています。
 ある日、レーナはそのアカ鹿を狩っている密漁者の現場に遭遇します。早速、摘発しますが、相手は共産党の高級幹部たちでした。「俺たちが誰だかわからないのか?」とすごまれたレーナですが、怯まずに調書を作って送検。しかし、結果はひどいものでした。
 調書はあっさり握りつぶされ、林業所には上級官庁の調査委員会が査察が入ります。彼らはあらゆる書類をひっくり返し、文字通り重箱の隅をつつくように欠点をあげつらい、厳しく譴責してきました。おかげでレーナは一時期、人間嫌いになってしまったそうです。
 その後、彼女は地元の自然保護協会の地区評議会書記を兼務し(ちゃんと給与が支払われます)、自然保護活動にも力を入れているそうです。この地域でも大規模な開発計画がひしひしと押し寄せ、酸性雨の影響でオークの梢が枯れ始めているとか。
 現在、どうなっているのか、ちょっと気がかりですね。



今回はこんなところで。
でわでわ~



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2014年11月9日日曜日

お知らせ

ここ数日、Bloggerのjpドメインで障害が発生していたらしく、閲覧できない状態でした。
まだ不安定な感じですが、運営からは素っ気ないアナウンスがあるだけです。
とはいえ、この文章が読めるとすれば、復旧していることになります。

お騒がせしました。





時刻表ぴったり!




 

2014年10月26日日曜日

今日のソ連邦  第4号 1988年2月15日

なんとか10月中に更新できそうです。

 前回の1月1日号ではゴルバチョフ書記長の著作「ペレストロイカ」(講談社刊)の序文が紹介されていましたが、この号ではそれを読んだ3人の日本人の感想が紹介されています。 

 九州大学教授の荒巻正憲氏は「全人類への警告と行動の指針」。女性労働問題研究者の柴山恵美子氏は「女性労働者の地位向上に期待」。国際問題評論家の斎藤玄氏は「グローバルな背景に注目」と題してそれぞれ論評しています。(肩書はいずれも本誌掲載当時のもの)
ソ連の広報誌という性格上、批判的なトーンは皆無でゴルバチョフ書記長のリーダーシップに期待する内容が多かったのですが、ソ連崩壊という「オチ」を知っている身としてはなんとも言えない気分です。
 他の記事で目に留まるのは、社会学者ビタリー・トレチャコフ氏によるコラム「ソ連の生活の質」。今回が最終回です。テーマは「雇用問題」。この分野については、さすがにソ連はドヤ顔であります。
 統計によると、1928年4月の都市部における失業者数は157万人もいたのが、1930年10月には24万人に激減し、同年末にはついにゼロとなり、それは現在も続いているとのこと。そうだよなぁ。そのために革命やったようなもんだもんなぁ。

 では、失業がないのに「雇用問題」とは?
 トレチャコフ氏によると、ソ連では潜在的な余剰人員が1000万人います。これらは、本来ひとりで十分なはずの職場に必要以上に配置されている人員で、将来的にソ連経済を脅かすかもしれない存在と見なされています。 
 
 しかし、トレチャコフ氏は楽観的かつ強気です。
 それら余剰人員は工業生産の発達(つまり工場を増やし、機械の稼働率をあげる)ことで400万人を吸収することが可能。さらに現在の貧困なサービス産業を拡充すれば1300万人から1900万人の雇用が創出され、余剰どころか、むしろ人手不足が発生するだろうとまで言っています。 
 
 このコラムではトレチャコフ氏がさまざまな分野を10点満点で採点してますが、雇用については9点を付けています。ちなみに他の分野ですと「健康・7点」「食生活・8点」「衣料・6点」「教育・9点」「家庭の幸福・8点」「サービス部門・3点」「消費と貯蓄・7点」「住宅・6点」「休息と娯楽・6点」「社会保障・7点」「コミュニケーション・6点」となっています。

 さて、3番目の画像ですが、普段はスキャンしてない表2ページの広告です。今は無きソ連物産専門店「白樺(ベリョースカ)」。そこから十月革命記念のルーブルコインが発売されるというもの。なかなかいいお値段ですが、材質が明記されてないのが残念です。切手などもそうですが、ソ連ってこういう外貨稼ぎについてはフットワーク軽いんですよね。

次は表紙にもなっているコワモテのおじさんの特集記事。「脊椎指圧療法の名人カシヤン医師」その人です。
 ニコライ・カシヤンはウクライナのコペリャキ市に診療所を構えています。治療はシンプルそのもの。指先で脊椎を触り、症状を見極めると、圧力を加えるだけ。いわゆる指圧とかカイロプラクティクと呼ばれる治療法です。
 画像は治療の様子。12歳の女の子のエロい背中が見えますが、左右の肩甲骨が明らかに不自然なのがわかります。
 ただ、このカシヤン。一筋縄ではいかない人物でもあります。診療が始まるのは決まって真夜中。医学界からは「ある種の神秘主義ではないのか?」との疑問が出されています。
 これについての彼の答えは明快です。この人、確かに医者なのですが、昼間は別の仕事をしています。正式な職業は「身体障害者専門の寄宿学校における精神科医長」というもの。つまり指圧は副業なのですな。
 それでもカシヤンのところには大勢の患者が押し寄せます。もちろんすべて治せるわけではありません。彼が治すのは脊椎に原因があるものだけ。もし違っていれば「これはわたしのところではない」と即答します。

 カシヤンは若いころ、軍の衛生兵でした。しかし、肺病をわずらい除隊を余儀なくされます。同僚の医師たちも手の施しようがなく、彼は死を覚悟して帰郷するのですが、そんな彼を救ったのが祖母でした。祖母は革命以前の古いロシアの民間療法に精通し、薬草やアナグマの脂肪などを駆使して彼の命を救ったのです。また、カシヤンの父は近所でも評判の「骨接ぎ」でした。ろくに読み書きもできず、医学書とも無縁の人物でしたが、家の中にはそこかしこに人体骨格や頭蓋骨があり、カシヤンはそれを参考書として脊椎の構造を学んだのです。

 さて、この記事の最後は興味深い記述で締めくくられています。
 もともとソ連の有名な雜誌「アガニョーク」の記事なのですが、記者はこう言ってるのです。
「この記事が発表されれば、編集部とカシヤンのもとに手紙や依頼が殺到するでしょう。しかし、どうか手紙を出さないでください。カシヤンも編集部もこれ以上の患者を助けられる状況にはありません。かわりにコペリャキ市を管轄する総医長、あるいは地区保健部、または州保健局に、医師の診断書と紹介状を送ってください。手紙が殺到すれば、それが連邦保健省を動かし、この課題に国全体として取り組むようになるはずです」

 つまり、カシヤンの記事は、満足な治療を受けられない人々が大勢いる現実を浮き彫りにし、不十分な医療体制の拡充を訴えるものだったわけです。回りくどい気もしますが、いかにもソ連らしい記事とも言えます。

次はラトビア共和国の首都リガにあるVEF(電機生産合同)の食堂についての記事。VEFはラジオや電話機、小型コンピューター通信ステーション、同時通訳装置などを生産し、世界80カ国に輸出している電機メーカーです。他にもスポーツ競技場の電光掲示板やボブスレーのソリなども作っているとか。
 
 この工場では給食コンビナートの機械化に取り組み、サナトリウムやスポーツ施設、食料品店や幼稚園などを備えた複合施設を整備しました。つまり出勤してくれば、工場内で大抵の用事が済ませられるというわけです。いかにも機械メーカーらしく、関連機器類をすべて自前で設計し、組み立てや設置も社員が行ったとのこと。画像には食堂の様子が映っています。

 入り口は自動改札で60コペイカを入れるとゲートが開く仕組み。これはそのまま社員食堂のランチ代になります。同じ規格の4つのトレーには主菜、副菜、スープ、デザートなどが盛りつけられています。テーブルの中央には回転式のケースがあり、ナイフやフォークなどのカトラリー、その反対側にはパンが入っています。真ん中は紙ナプキン、塩、コショウ、あとはマスタード。ロシアでは黒パンにマスタードを塗って食べることが多いんですよね。
 また、毎日の食事代を給料日に一括して差し引くという人にはカードがあります。端末にはロシア語とラトビア語が併記されています。

続く記事は砂漠の古都ヒワ。ウズベク共和国の首都サマルカンドから北西に630キロほどの場所にあります。ヒワは16世紀に栄えたヒワ汗国の首都で、宮殿と城砦を兼ねた内部都市を持ちます。ここはイチャン・カラと呼ばれ、本来はここがヒワの都市部。現在では革命後に整備された新市街と合わせた全体がヒワの街です。

 ヒワの民族衣裳は独特のカラフルな柄で、これを現代風のワンピースに仕立てたものが主流。スタイルのいい女性が着るとエキゾチックな魅力をかもしだすのですが、この地方では眉墨でマユゲをつなげるのがオシャレなメイクとされているので、個人的にはちょっと残念・・・。所変われば美人の定義も変わります。


 最後はガラリと変わってコミ自治共和国の民族衣裳。バレンツ海に面し、チュメニ州、スベルドロフスク州、アルハンゲリスク州に囲まれたヨーロッパ北東部の少数民族の国です。
 首都はシクチフカ。総人口は100万人ちょっと。面積はフランスよりやや小さいぐらい。ここはウィンタースポーツが盛んで、ソ連のスキー選手の強化キャンプがいくつもあることで有名です。

 コミ人はフィン・ウゴル語派に属し、文字はロシア文字に似たものを使っています。コミ語の出版物で代表的なのは新聞「ユグイド・トゥイ(明るい道)」や雜誌「ボイブィブ・コドズブ(北極星)」など。ちょっと辞書とか欲しくなってきました。ヨーロッパの少数民族も数え上げたらキリがないです。


今回はこんなところで。
最近、滞りがちですが、なるべくがんばって更新しますのでよろしくです。
でわでわ~



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2014年10月11日土曜日

告知です。

大日本絵画さんから出ているスケールアヴィエーションという雜誌に、ノーズアート・クィーンという企画があります。その最新号(2014/11)に衣装とかパーツを提供しました。実際はスタイリストさんが自由にアレンジしたものをモデルさんが着ています。どんな風になっているかは誌面でお楽しみください。当たり前の話ですが、モデルさんはスタイル抜群でとても美しい方です。(なんと、2013年のミス・ユニバース日本代表!)

実際に提供したものの一例。
1988年規定に基づく空軍士官の礼装です。
キャプションは担当編集さんに説明するためのもの。



さて。肝心のブログですが、またしても更新が滞っております。
申し訳ありません。
そろそろ時間がとれそうなので今月中には更新したいところであります。

でわでわ~。

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2014年8月27日水曜日

今日のソ連邦  第1号 1988年1月1日

С Новым Годом!

親愛なる読者の皆さん、新年あけましておめでとうございます!

いや・・・だって仕方ないじゃないですか。1月1日号なんだもん。
というわけで久々の更新です。涼しくなったてホッとしてます。

さて、この号ではソロビヨフ大使の新年のごあいさつから始まり、ゴルバチョフ書記長の著書「ペレストロイカ(講談社 刊)」の序文へと続きます。ソ連の指導者の著作物が日本で出版されるのは、決して特別なことではないのですが、大抵はマイナーな出版社から少部数発行されるのが関の山。でも、ゴルバチョフ関連の書籍は1985年頃から続々と出版されており、当時の日本でもちょっとしたブームだったことが伺えます。

本誌の方に目を向けると、新年のカラフルなイラストがユーモラス。1988年は辰年だったので、今日のソ連邦でも大蛇(ドラゴン)の「ゴルィヌィチ」にご登場願ったというわけです。

3つ首の竜というと日本ではキングギドラを連想する人が多いですが、その原型はソ連映画の「イリヤ・ムウロメツ 巨竜と魔王征服(1956)」に登場した「ギヌチ」です。この時はモンゴルの王が火山の火口から呼び出すのですが、たぶんゴルィヌィチと同じで、ギヌチは字幕の誤りではないかと思われます。

もともとロシアに干支はなく、新年のお祝いも9月から3月にかけてという大雑把なものでした。これは農作業の始めと終わりにあたり、1699年にピョートル一世が1月1日を正式に新年とするまで、農民たちの間に広まっていたものです。ところが(日本からの影響とは明言されていませんが)本誌の記事ではソ連でも新年の干支にちなむお祝いが一種の遊びとして根付いたと書かれています。その年の番人である動物は、プレゼントのモチーフになったり、店頭のデコレーションに応用され、新年特有の「いつもと違ったカーニバル的な時間」を楽しむ材料となったそうです。

話をゴルィヌィチに戻すと、彼(?)は人語を解し、気まぐれな性格。正義と真実を求める主人公を打ち倒すことに情熱を燃やしています。口からは煙や炎を吐き、たとえ切り落としても首は何度も生えてきます。しかし、この“多重コピーシステム”の信頼性は極めて低く、農民の息子はいつもゴルィヌィチに勝利します。青年は美しい乙女をめとり、国王から領土を譲渡されたり、時には新しい玉座に座ることもあります。
ちなみにゴルィヌィチとは“ゴラー(山)の息子”という意味。ロシアでは敬称にあたる父称で呼ばれていることから、単なる邪悪な存在ではなく、英雄譚に不可欠な存在として敬意を払われていることが伺えます。
それにしてもソ連の人たちはウォークマン好きだなあ・・・。

続いての記事はモスクワ市ガガーリン区にある第1623幼稚園の話題。ネーミングがいかにもソ連です。ここには6台のパソコンが設置され、子供たちを対象にしたコンピュータ教育が行われています。もちろん幼稚園児なので、ゲーム感覚でパソコンに親しんでもらうのが目的。おそらくMSX規格だと思われますが、よく見ると手元はタッチパネルのようです。

さて、この年代のソ連の子供たちはマジで天使ですが、成長するにつれて問題も起こすようになります。次の記事は「ドネツクの二つの“奇跡”」という、ちょっとオカルトめいた記事。今なおゴタゴタが続く東ウクライナからのレポートです。

1987年の初め、ドネツク州エナキエボ市で不思議な出来事が起こります。記事で「サーシャ・K」と呼ばれる少年が、超能力を持っていると騒ぎになったのです。少年は13歳。彼が現れると、突然周囲にのものが燃えだすというのです。少年の自宅ではテーブルや椅子、カーペットなど火がつき、洗濯カゴの中の下着さえも燃えました。サーシャ・K自身の私物も燃え、毛皮の帽子は彼がかぶった状態で燃える始末。
やがて噂が広まり、人々は少年に近づくのを避けるようになります。しかも彼の父親はドネツク炭田の炭鉱夫。引火性ガスに気を使う父親の同僚たちは、彼と一緒に坑道に降りることを拒絶するまでになります。
とうとう両親はアパートを出て行かざるをえなくなり、サーシャ・Kとともに叔父さんの家に転がり込みます。しかし、そこでも発火現象が起こったのです。目撃者には消防士や民警も含まれていました。

この話を「ソ連人民代議員ソビエト機関誌イズベスチア」が取り上げると、ソ連全土でセンセーションが巻き起こります。他の新聞も追随し、記者たちは燃えたアパートの中を調べ、近隣住民にインタビューしました。すると発火現象だけでなく、電球やガラス瓶が破裂したり、家具が横転するなどの被害が出てることも判明。さらに焼け焦げた壁紙には「口にしたり記事に書くのがはばかられるような文字」が浮き上がっていることもわかりました。文面の筆跡はすべて同一で、いずれもサーシャ・Kの母親に対する脅迫だったと言います。

ついにサーシャ・Kは「放火マニア的性格による神経症的反応」と診断され、小児病院に送り込まれますが、騒ぎは収まりません。イズベスチア紙の記者たちは「社会主義工業新聞」や「労働組合機関誌トルード」から批判され、イズベスチア紙も負けずに反論。ポルターガイストやら地球外生命体やらを巻き込む大騒動になります。

しかし、オチはあっけないものでした。エナキエボ市の民警が科学捜査班を出動させ、あっさりトリックを見破ったのです。壁紙の罵詈雑言はサーシャ・Kの筆跡と断定されました。発火のトリックも、酸素と反応する可燃性の粉末を使ったものと断定されました。なによりも強い説得力を持つのは、この一連の現象がある日を境にピタリと止んだことです。それはサーシャ・Kの14歳の誕生日。ソ連では14歳になると不良行為に対する刑事責任が発生するのです。

二つ目の奇跡は透視能力を持つという女性の話。やはりドネツク州での話です。
37歳のユリア・ポロビヨワは10年前の土曜日の夜、雷に打たれて即死。死体は遺体安置所に収容されます。月曜日、司法解剖をしようと法医学者がロッカーを開けると、ユリアが飛び起きたというのです。それからでした。彼女が透視能力を持つようになったのは。彼女は医者に見放された患者を透視能力で診察し、的確なアドバイスをすると評判になりました。

ここで、またしてもイズベスチヤ紙が関わってきます。
ユリアの元を訪れた記者は彼女から「あなたの胃のあたりに淡赤色の液体が見える」と告げられ、ショックを受けます。彼は前の晩にツルコケモモのジュースを飲んでいたのです。しかし、この記事はまたもや批判にさらされます。
噛みついたのは、こちらも社会主義工業新聞。もしかしてイズベスチヤ紙と仲が悪いんかな?
記者は専門家の見解として「ジュースが3時間以上、胃にとどまることはない」との記事を掲載し、イズベスチア紙の記事はあまりにも不注意と酷評。さらにユリアの既往症の履歴を調べ上げ、そもそも10年前に落雷事故など起きていなかったことを突き止めます。ユリアの「診断」とやらも、実際には彼女はあれこれ理由を付けてはやっていないことが判明。二つの奇跡はあっけなく幕を閉じたのです。

ふっふっふ・・・。社会主義国家と言っても、可愛いものではありませんか。

次の記事は表紙にもなっている「画一性に反対する建築家」の記事。ゴルバチョフ書記長のペレストロイカを反映してか、この種の記事はどんどん増えています。
表紙はシベリアのクラスノヤルスク市で活躍する建築家オレグ・デミルハノフ。自らが設計したボリショイ・コンサートホールの舞台に立っています。左の画像はその外観です。ソ連建築の典型ですが、内外の照明などに独自の工夫が見られます。ただ、ソ連時代は慢性的な電力不足もあり、こうした公共施設がすべての照明を点灯することはとても珍しいことでした。だから現地に行って見てみると、貧相でガッカリということがままあります。

記事ではシベリアのアパートの設計が画一的であることに批判が向けられています。なにしろ同じデザインの建物が100棟も建つというのですから、なるほどウンザリする気持ちもわかります。デザインは1965年に「標準設計」として確立されたもので、半完成品のコンクリートパネルを組み合わせるプレハブ工法。建築家はその規格を採用すれば、あれこれ悩まずに建物を設計できます。なによりもシベリアの建築物はマイナス40度の寒さから住人を守らなければならず、違う設計をするたびに暖房効率などを再計算する手間が省けるというメリットがありました。しかし、これが行き過ぎると、ソ連のあらゆる都市が同じ風景になってしまうという状況が生れます。都市問題の典型的な事例はソ連でも例外ではなかったようです。

次の記事は画一性とは正反対。ソ連どころか日本でも稀な4世帯同居の大家族の話。グルジア共和国の中にあるアジャール自治共和国の首都バツミ近郊のマフビラウリ村に住むトゥルマニゼ一家のお話です。
家長カジムと妻のウミアン。3人の息子レワズ、シュクリ、テムリとその嫁、娘、息子たち。カジムと息子たちは全員、大工。おかげで家は自分たちで建てることができました。地区コルホーズの取り決めで、家の大きさには制限がありません。平屋でも3階建てでも希望通りに建てることができます。
ただし、建て坪は144平方メートル(12メートル×120メートル)を越えてはいけないません。トゥルマニゼ一家の家は3階建てで、述べ床面積は335平方メートルに及びます。ちなみに建設費用は12,000ルーブル。一家の年収の半分にあたります。専門の大工に頼まなくて済んだので、この値段で収まったというわけです。
写真では一家総出の食事風景。すべて家庭菜園で採れたもの。新鮮や野菜やチーズ、羊肉はグルジアの名物です。

次の話題は陶芸家アレクセイ・ソトーニコフ(83)の世界。「小さな塑像の大家」とか「陶器の記念像の創始者」と呼ばれる人民芸術家です。
クバン・コサックの首都クラスノダール市の美術・教育中等専門学校で学び、その後、モスクワ美術・工芸大学に進学。そこで彼は、あのウラジーミル・タトリンの弟子となります。
子ひつじ(1937)などは、時代的にそろそろアンティークの領域。でも戦勝記念の花瓶やボグダン・フメリニツキー像などは、スターリン時代のソ連らしく、芸術家といえども国家に奉仕する愛国者でなければならないことを痛感させられます。でもコルホーズの婚礼はどことなくブリューゲルの作品を連想したり。

しかし、偉大な芸術家や科学者であっても、突然、収容所送りになるのがスターリン時代。理論物理学者ランダウの記事は暗黒面を語っています。
ランダウは液体ヘリウムの超流動の権威で、超伝導の研究にも大きな足跡を残しています。ところが、この研究が佳境に入っていた1937年。彼は突然逮捕されたのでした。容疑は「ファシスト・ドイツのためのスパイ行為」。
彼の上司であり、親友であり、ソ連科学アカデミー物理問題研究所長でもあるピョートル・カピツァ(1978年ノーベル賞受賞)は、スターリンに手紙を送りますが、なしのつぶて。そこで彼はモロトフに手紙をしたためます。

この手紙が功を奏したのか、カピツァは内務人民委員部の“最高首脳部”に呼び出されます。が、そこで彼が見せられたのはランダウに関する分厚い調書。中身を見たカピツァは仰天します。どれもこれもナンセンスで馬鹿げた罪状であるにも関わらず、そのすべてにランダウは署名していたのです。
しかし、ここでカピツァは気づきます。
「これらすべてを1ページずつ論破していったら、奴らの思うつぼだ。
最後のページにたどり着くころにはランダウは処刑されてしまうだろう・・・」

カピツァはあくまでも自分の個人的な責任のもとにランダウを釈放するよう求め、それはなんとかうまくいったのでした。
どうしてランダウが逮捕されたのかについては諸説ありますが、敵が多かったのは事実なようです。もともと子供っぽい性格と言われ、冗談好き。学生時代は風刺詩やパロディを収録した手描きの同人誌を発行したりしていました。
こうした天真爛漫さは多くの人に愛されましたが、その一方で権威主義を嫌い、アカデミーの長老たちに不敬ととられる態度を取っていたようです。物理学者としての才能は疑うべくもなかったので、多少の馬鹿騒ぎが大目に見られていたことも、「彼が増長している」と思われる原因だったのではと、カピツァは回想しています。
とはいえ、釈放後のランダウは精力的に研究にいそしみ、超流動の理論を確立させます。1962年にはノーベル物理学賞を受賞。しかし、この時、ランダウには大きな不幸が襲っていました。同じ年の1月に交通事故に遭い、脳に深刻な障害を負っていたのです。カピツァと研究仲間たちはもちろん世界の物理学者が、ランダウの治療のための協力を惜しみませんでしたが、一度も現場に復帰することなく1968年にこの世を去ります。59歳の若さでした。


今回はこのぐらいにしましょうか。
暑さがぶり返すかもしれませんから、皆様、体調管理にはくれぐれもお気をつけください。
でわでわ~



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2014年7月12日土曜日

あれこれ滞っております。



申し訳ありません。
現在、いろいろとバタバタしており更新に手間取っております。
まぁ、アイスでも食いながら待っててくれ。


ゲームラボ誌上での「ソ連邦です。問題ありません」は問題なく好評連載中であります。