2017年2月19日日曜日

艦船模型の展示会 ~2017~

毎年恒例のミンダナオ会展示会です。今回のテーマは「冷戦期の艦船」。
第二次世界大戦末期のヤルタ会談から1989年のマルタ会談における
冷戦終結宣言までを世界各国の海軍艦艇で振り返るという企画です。
といってもメインはやはり米ソ超大国の海軍がメインです。
※2017年2月20日、追記編集。
まずはひときわ目立つフルハル・モデルから。ウォーターラインに対する用語
で船底からスクリュー、舵なども再現した艦船模型のことです。まずはアオシ
マのミンスク。多くの艦船模型ファンから惜しまれつつ閉店したNAVY BARの

オーナーの手になる作品です。自分もこいつをじっくり眺めながらグラスを傾
けた思い出があります。

ミンスクがソ連空母の代表格ならアメリカはもちろんエンタープライズです。
キットは近代化工事の最終仕様をキット化したものです。日本にも馴染みの
深い空母でしたが、現在は退役してしまいました。でもアメリカを代表する
有名な艦名ですから、また別の艦に受け継がれることでしょう。


冷戦時代とは、すなわち核の時代です。中でも戦略ミサイル原潜は極めて
重要な戦力でした。これは「レッドオクトーバーを追え!」で有名なタイフーン
級。ソ連海軍ではアクラ型と呼んでいました。ドラゴンモデルのキットで
艦首の潜舵を動かすと魚雷発射管から魚雷がヒョコヒョコ飛び出すギミック

がついています。ちなみにミサイル発射の場面はオリジナル。
なお実際のタイフーン級はスクリューを囲む巨大なシュラウドリングを備えて
います。しかし、当時はソ連艦艇の喫水線下の形状なんてわかるはずもあ

りませんでした。

とはいえ! モノには限度があります。これはミンダナオ会に展示
されたものではなく、記憶を頼りにネットで見つけた画像ですが、
スクラッチではありません。一体、何の資料を見たのか見当も
きませんが、こんな謎の物体がくっついたタイフーン級の模型
販売されていました。うーん・・・謎・・
・・・・。

続いてはタイフーン級のライバル、アメリカのオハイオ級です。ソ連に比べ
ると、なんてすっきりしたデザインなのでしょう。乗ったことはありませんが、
居住性も給料もこっちの方がいいに違いありません。

























































これはソ連初の原子力潜水艦。西側ではノヴェンバー級として知られてい
ます。アメリカに追いつくため、かなりムチャな設計をしており、お世辞にも
安全性が高いとは言えませんでしたが、ソ連海軍の潜水艦として、初めて
北極点に到達するなどの偉業を達成しました。この航海の
艦長だったウラジ
ーミル・チェルナヴィンは、後にソ連最後の海軍司令官となります。









一方、アメリカもアメリカで血迷っていました。潜水艦から発射できる有翼
の巡航核ミサイル「レギュラス」を開発し、配備していたのです。冷戦とは
全面核戦争の一歩手前の状況に過ぎず、よくもまぁ、こんな時代を人類は
無事にくぐり抜けてきたものです。




























ミサイル巡洋艦キーロフ級。全部で4隻作られましたが、現在は4番艦の
ピョートル・ヴェリキーだけが稼働しています。ステルス性を考慮した設計で
レーダー反射面積(RCS)は駆逐艦程度しかないと言われています。











こちらは日本の海上自衛隊。護衛艦「あまつかぜ」です。ミサイルの百貨店
みたいなキーロフ級とは比較になりませんが、日本で最初に艦対空ミサイル
装備した画期的なフネです。





















アメリカの原潜シーウルフです。静粛性、速力、潜航深度など、あらゆる面
で世界最強という高性能艦ですが、お値段の方も世界最強で、結局3隻で
建造が打ち切られてしまいました。現在は廉価版のヴァージニア級が量産
されています。













ソ連のアクラ級潜水艦。アメリカのシーウルフは元々この艦に対抗するため
計画されました。それほどまでに、かつての常識を覆す高性能潜水艦だっ
のです。とはいえ、昨今の予算不足で実戦任務についてる艦は少ない
という話です。











ちなみにアクラ級には楽しいギミックが満載です。これは救命イカダの展開
ステム。パネルが外れると、中から折り畳まれた救命イカダが自重で落下。

海の上で自動的に膨らむという仕掛け。まぁ、これが機能するためには艦が
浮上していることが前提になるわけですが。






浮上できない場合の脱出方法がこちら。司令塔が分離
してレスキューチェンバーになります。これ全員乗れるの
かしらん。







これは船体内部に収納されている小型の補助推進装置。レッドオクトーバー
の無音推進装置を連想してしまいますが、おそらく湾内を低速で航行する時
など、舵の効きが悪い場合に使うのではないかと推測されます。






ではウォーターラインの展示に移りましょう。日本でもなじみ深いアメリカの
空母ミッドウェーです。右が改装前。左が改装後。中央エレベーターを廃止
して側面に移動するも、まだ足りずに増設。甲板をアングルドデッキに変更
して、スチームカタパルトを装備。新造した方がいいんじゃないかと思う
魔改造ぶりです。






実際、戦後間もなくの空母は第二次世界大戦当時のシルエットと現代の
空母の中間点という感じで実に面白いものです。レーダーなどの電子装置
類も大袈裟。艦載機も渋くて泣けてきます。






そんなアメリカ空母ですが、やはり試行錯誤を繰り返して現在の形になった
ことがよくわかります。艦橋アイランドが後方に移り、右舷のエレベーターが
前に2基、後ろに1基になっています。こうすることで帰還した艦載機を速や
かに格納庫へ収納できるようになりました。一方、左舷のエレベーターも後
に移り、左右両舷から艦載機を発進位置へと送り出せるようになりました。
こうした工夫が艦載機の運用効率を飛躍的に向上させたのです。





対するソ連空母のアドミラル・クズネツォフ。飛行甲板のド真ん中に対艦
ミサイルを搭載し、カタパルトではなくスキージャンプで艦載機を離陸させる
など、独自の設計思想と言えば聞こえいいものの、やはり当時のソ連海軍
の苦しい内部事情が色々と伺える艦です。






やはりソ連海軍は水上打撃部隊こそ花形。というわけでキーロフ級1番艦
と4番艦の比較。実際の艦の真上を飛ぶのは大変危険なので、それが自国
向けの宣伝目的だとしても滅多にありません。まして他国の航空機となると
警告射撃とかを受けます。そんなわけで模型の展示会ならではの眺め。
同型艦と言いつつも搭載兵器には細かな違いがあることがわかります。






もちろんトチ狂った兵器もあるわけでして。このエコー級ミサイル潜水艦は
その代表格。まぁ、前掲のレギュラスの後継者と言えなくもないのですが、
ミサイルは排気を逃がすために大きくエグれた船体とか箱型のランチャーが
丸ごと持ち上がるシステムとか、いろいろ斜め上。
さらに狂ってるのが誘導方式。模型でも再現されてますが、実物の画像。
なんと
セイル前部がクルリと反転して中からレーダーが出現。ミサイル
本体が
目標をとらえるまで、誘導電波出しっ放しで浮上していなければ
ならないのです。いやぁ……(エコーだけに)。
まぁ、血迷っていたのは米ソだけではありません。これはフランス海軍の
防空巡洋艦コルベール。ミサイル無し。バルカン砲もなし。艦砲射撃のみ
で対空戦闘を行うという漢のフネです。「加減しろ莫迦!」と。





さて、こんな狂乱の冷戦はいつから始まったのでしょう? ミンダナオ会の
展示はヤルタ会談と規定していますが、艦船の世界では1946年のクロス
ロード作戦ということになるようです。言うまでもなく、戦艦長門や様々な
艦船が標的艦となった核実験です。冷戦の時代は核の時代。それは現在も
続いていますが、この地上で遠慮なく核兵器を炸裂させる実験は、冷戦の
幕開けを象徴するものでしょう。展示はあえて武装類を外した、標的艦の
長門を想像したものです。





次の試練は朝鮮戦争。敗戦した日本は軍備を放棄し、戦争を否定したはず
でしたが、大国の思惑でその理念は早くも覆ります。1950年に朝鮮半島に
派遣され、機雷掃海にあたったのが日本特別掃海隊。この時、戦死者1名を
出していますが、これは第二次世界大戦最後の戦死者なのか、冷戦時代の
最初の戦死者なのか、考えさせられます。






さらに日本人と核兵器の関係はヒロシマ・ナガサキで終わりませんでした。
1954年、ビキニ環礁での核実験で生じた死の灰を浴びたのが第五福竜丸。
海外でも「ラッキー・ドラゴン・ナンバー5」で知られています。そしてドラゴンは
ゴジラと名前を変えて日本に上陸してきました。なお、実物の第五福竜丸は
東京・江東区の夢の島公園に展示・一般公開されています。







冷戦は、言葉だけでは、なんとなくおとなしい印象がありますが、現実
あと一歩でホンモノの全面核戦争を引き起こすところでした。1962年の
キューバ危機です。展示ではキューバにミサイルを持ち込もうとしたソ連の
貨物船レニンスキー・コムソモールを見ることができました。白いシートの
下にミサイルが隠されています。






米ソの深刻な対立は核の対立。原子力を制御する者が世界の覇者です。
というわけでアメリカがオラついてたのが原子力艦隊構想。空母だけでなく、
巡洋艦や駆逐艦、果ては輸送艦などもすべて原子力にしてしまおうという
ムチャな計画が実行に移されます。1964年、世界初の原子力空母エンター
プライズが原子力推進のみで世界一周の航海に出ます。随伴するのは、
これまた原子力のロングビーチ、トランクスタン、ベインブリッジ。しかし、
建造費の高さや維持管理のコスト高で、この構想は結局、ひとときの夢物語
で終わります。






そんな中、トンキン湾事件が起こります。1964年、ベトナム沖で情報収集を
していたアメリカの駆逐艦マドックスが北ベトナムの哨戒艇から攻撃を受け
て反撃。これを機にアメリカはベトナム戦争へ本格介入していきます。






1968年にはプエブロ号事件が発生。北朝鮮沖で情報収集をしていたアメリカ
の情報収集艦プエブロ号が朝鮮人民軍海軍に拿捕されてしまいます。今でも
プエブロ号はピョンヤンに係留され、米帝に対する朝鮮人民の勝利の
象徴と
して観光名所になっているそうです。






冷戦とは、あくまでも便宜上の言葉です。ガチの戦闘が無かった日は、事実上
ありません。1971年、第三次印パ戦争の最中、インド海軍のフリゲート「ククリ」
が、パキスタン海軍のダフネ級潜水艦「ハンゴール」に撃沈されます。これは
戦後初の潜水艦による戦果で、ハンゴールは現在もパキスタンで記念艦として
保存・展示されているそうです。






「日本が戦争を避けても、戦争が日本を避けてくれるとは限らない」
その言葉が現実になったのが山城丸の事件です。1973年、イスラエルと
シリアの間で発生したラタキア沖海戦の流れ弾に当たった貨物船山城丸
が炎上。犠牲者は出ませんでしたが、船は喪失しました。ちなみに攻撃
に参加したイスラエル海軍ののエイラートは、後にエジプト海軍の攻撃で
沈没。これは対艦ミサイルによる最初の戦果として知られています。






1968年、ハワイ沖でソ連のゴルフ級潜水艦が事故を起こし、沈没します。
艦内には核ミサイルと発射管制装置、暗号などがそのまま残されている
推測されました。CIAはこれらを回収しようと、潜水艦をまるごと引き上げる
大胆な作戦を立案します。名乗りをあげたのはアメリカ屈指の大富豪ハワー
ド・ヒューズ。彼はマンガン鉱石掘削船という言い訳でグローマー・エクスプ
ローラーを建造。1974年に船体引揚げに着手します。これは巨大なカギ爪で
船体をつかんで引っ張り上げるというアニメのような作戦で、表向きは失敗
したことになってますが、真相は今も不明です。






その頃、日本では海上自衛隊が試練に直面していました。これまた1974年
に発生した第十雄洋丸事件です。東京湾内で衝突事件が発生しタンカーが
炎上。どうしようもないので海上自衛隊が砲撃と魚雷によって撃沈するという
ものでした。問題はタンカーがなかなか沈まなかったこと。






艦船模型でふりかえる冷戦時代は以上です。なんか回を追うごとに画像の
枚数が増えているのですが、それでも沢山の力作を紹介しきれませんでした。
ちなみにこの画像は革命記念日のスペシャルペイント・・・というのはウソで
架空の設定です。でも、今のロシア海軍ならやりかねないかも。





今回はこんなところで。
でわでわ~。


































































































































































































































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