2013年2月21日木曜日

艦船模型の展示会 ~2013~

去年に引き続き、また艦船模型の展示会のお誘いを受けました。
このブログでもなにげに人気な「ミンダナオ会」さまの定例展示会です。
今回は「今、やってるから」といきなり電話で呼び出されました。もちろんカメラを持って出かけましたですよ。

今回は「戦艦 バトルシップ」の歴史を振り返るというもので、力作がところ狭しと展示されています。大きな船はやっぱり見栄えが良くて、迫力がありますね。


会場入口ではいきなり「ミサイル巡洋艦キーロフ」に出迎えられます。1/350のトランペッターのキット。ソ連海軍が建造した戦後最大の水上戦闘艦です。見ていると、ソ連艦艇の空撮で有名な柴田三雄氏の作品を思い出します。

キーロフの隣には我らが大日本帝国海軍の「戦艦金剛」。ずらりと並んでいるのは、ひとつひとつが水兵のフィギュアです。登舷礼を再現しています。見ているこちらが観閲艦というわけです。

拡大してみます。登舷礼というのは海軍の儀礼のひとつで、航行に影響しないすべての乗組員が甲板に整列して、相手に敬意を示すというものです。それにしても細かいです。1/350というと、ひとつひとつのパーツが大きくなる分、作り易そうな気もしますが、実際はそれだけ手を加えないとスカスカな印象になってしまうので、かなり手間がかかるとのことです。

会場内でかわいらしい軍艦を見つけました。アメリカの「モニター」です。南北戦争の頃に建造されました。それまで舷側に並べていた大砲を旋回砲塔に収めた画期的な設計で、その後のすべての軍艦のご先祖様にあたります。


こちらも歴史に名を残す軍艦。イギリスの「ドレッドノート」です。ドレッドノート級という言葉の元になった艦で、これより以前を「前ド級艦」、より大きなクラスを「超ド級艦」と呼びます。日本語では「弩(おおゆみ/いしゆみ)」の文字を当てています。

さて、超ド級戦艦と言ったら、やっぱり「戦艦大和」です。というか、艦船模型に手を出して、大和を作ったことがない人がいたら会ってみたいものですが。で、「ミンダナオ会」でも皆さんが作っています。でも、同じ艦を並べてもつまらないということで、同型艦の「武蔵」や、戦艦として完成した状態の「信濃」、果ては未成艦や計画艦に至るまで、日本海軍が考えた全ての大和型が勢ぞろいしました。
この大和はちょっと別格。いつも誘ってくださる軍事評論家の斎木伸生氏の作品です。なんと15年ぐらい前に組み立てたという「ニチモ」のキット。作りにくさ(?)は今とは比べ物にならないのに、これでもかとディティールアップされています。
斎木氏が「ブログに載せろ。褒め讃え、絶賛せよ」と言うので(笑)、さらに拡大。実際、1/700で、よくここまで作ってあるものです。
これまた後部甲板に搭載された水偵。コクピットの風防は、1/700であるにも関わらず、わざわざ透明プラ版の絞り出しで作ってあるんだとか。わかります?
こちらは大和に搭載されている17メートル内火艇。陸や僚艦との行き来に使われます。司令官や艦長などの偉い人が利用するので、小さくても立派な内装が施されていたそうです。これも1/700。わざわざスクリューまで作ってあります。展示用の土台の布地のケバが巨大ですが、それだけ小さいということです。
別の場所にあった大きなサイズの大和も。建造中の様子を写した有名な写真と似たようなアングルを狙ってみました。といっても、こちらは改装後なので、左右両舷の副砲は撤去されています。艦橋のレーダーは大和に欠かすことのできない特徴で、これさえ描いてあれば、どんなラクガキでも「戦艦大和」と主張できたものです。
最後はやっぱりソ連海軍。キーロフ級4人姉妹です。といっても、ロシアでは軍艦は男性名詞で、女性に例える習慣は無いらしいのですが。左から「アドミラル・ウシャコフ」(1番艦・キーロフ)、「ピョートル・ヴェリキー」(4番艦・ユーリー・アンドロポフ)、「アドミラル・ナヒーモフ」(3番艦・カリーニン)、「アドミラル・ラゼリェフ」(2番艦・フルンゼ)です。カッコ内はソ連時代の旧艦名です。実際には、この4隻が一堂に会することは無かったのですが、そんな光景をもし見ることができたなら、わたし鼻血出して失神してます。


えー、そんな感じで、ちょっとあれこれごまかした感じの2月でしたが、3月からはまた平常運転に戻したいです。その頃にはお知らせなんかもあるかもです。

でわでわ~。




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