2013年12月19日木曜日

今日のソ連邦  第13号 1987年7月1日

タイミング的に今年最後の更新かな?
早いものでもう2年です。訪問してくださる方々に感謝です。

さて、表紙はソ連のごく一般市民の姉妹です。
左がタチアナ(14歳)、右がエーラ(20歳)。
シベリアのブラーツクに住むムサトフさん一家の長女と次女です。父ヴィアチェスラフ(46歳)はブラーツク暖房設備工場の技師。奥さんのガリーナ(42歳)は同工場のプログラマーとのこと。エーラは地元の音楽専門学校ピアノ科に通い、卒業間近。妹のタチアナは中学8年生で、音楽学校にも通っています。それまで一家はウクライナのドネツクで暮らしていましたが、シベリアに引っ越してきたのです。

引っ越しにあたってヴィアチェスラフとガリーナ夫妻はそれぞれ基本給2ヶ月分460ルーブルと300ルーブルを受け取り、それとは別に娘ふたり分として父の基本給一ヶ月分230ルーブルを受け取りました。
なお、ドネツク=ブラーツク間の航空券代金4人分(270ルーブル)と、家財道具を収めたコンテナの輸送代75ルーブルはブラーツクの会社が負担。一家のための住居も会社が提供しました。

ちなみに一家は、ドネツクの住居をシベリア滞在中も保有する権利を持っていましたが「戻らない」と決心したらしく、地区ソビエト委員会付属の「住宅交換所」に申し出てブラーツクの同程度の住居と権利を交換。工場から提供された住宅の権利と合わせて4DKのフラットを手に入れました。

えーと、ですね。今回は、やたら「お金」の話がでてきます。
モスクワに住む30代前半の民警中尉の月給が165ルーブルですから、ヴィアチェスラフの月給230ルーブルはなかなかのものです。しかし、ブラーツクに引っ越したことで、夫婦の基本給には、さらに40パーセント分の「シベリア手当て」が上乗せされます。

シベリア手当の係数は緯度で決められており、南部では15パーセント。極北部では100パーセントとなっています。
それだけではありません。勤務開始から5年間は基本給も毎年10%ずつ引き上げられます。こちらはシベリア北部地域だけに適用される特典で、極北部ではやはり100パーセントなんて数字も設定されています。

それだけシベリアの環境が過酷というわけですが、インフレなき社会主義経済を標榜するソ連にも、実質的インフレがあり、それを反映しているのではないかとの見方もできます。
とはいえムサトフ一家はかなり生活に余裕があります。家には娘のためのピアノ。自家用車を持ち、ブラーツク郊外には2500ルーブルかけてダーチャ(別荘)も建てました。

長女には月額30ルーブルの奨学金も出るので、一家の一ヶ月の収入は970ルーブル。所得税や組合費、党費などを収めた手取りは830ルーブルとなります。
支出面では家賃が月16ルーブル50コペイカ。電話料金(市内)2ルーブル50コペイカ。電気料金は平均して4ルーブル。なお、食費は300~350ルーブルと言いますから、やはりシベリアでの生鮮食料品は割高なようです。その他には交通費や日用品の購入に50ルーブル。衣類は月に100~150ルーブル。ムサトフさん一家は毎月、服を新調してるようです。
もちろん貯金もしていて月に100~200ルーブルを貯金局に入れてます。

「シベリア的な高給取り」は年次休暇も優遇されており、年36労働日。これはソ連欧州部の人々の1.5倍です。また、ソ連政府は3年に1度、夫婦にソ連国内の好きな場所へ行ける往復旅券を支給。ウクライナの親戚の家を定期的に訪れています。

見開きのグラビアは森の中でくつろぐムサトフ一家。右に目を向けると巨大なダムがあり、社会主義リアリズム絵画をそのまま写真にしたような構図ですね。

次の特集は科学。
1年間寝たきりというトンデモ人体実験のレポートです。
これは宇宙での長期滞在が人間の肉体に与える影響を調べるもので、モスクワの医学・生物学問題研究所が行いました。この種の実験はアメリカのNASAも行っていますが、せいぜい数週間から一ヶ月程度。それでも起き上がることができなかったり、貧血で倒れる人が続出だったそうです。

1年という期間はソ連だからこそできる大胆な挑戦です。
被験者は10人の成人男性。病院の隔離施設でベッドに仰向けに寝た状態を維持します。ハミガキ・洗顔、ヒゲソリ、食事。もちろん入浴やトイレもストレッチャー上で行います。
この状態が長く続くと下半身と上半身の血流が平均化する一方、足腰の筋肉や骨格がみるみるうちに衰えていきます。まさに宇宙ステーションにいるのと同じになるわけです。

被験者は、最初から激しい運動を義務づけられた組と、最初の4ヶ月はまったく運動しない組に分けられます。ランニングマシーンを縦型にした特別な機材が用意され、寝たまま走ったり、手足の筋トレをしました。見開き右の奇妙なズボンは真空服「チビス」と呼ばれるもので、下半身に圧力をかけることができます。これはソ連の宇宙ステーションに実際に搭載されている機材だそうです。
なお、取材時はデータ収集を終えた段階で結果は出ていません。現在の国際宇宙ステーションに生かされてるといいですね。

次の特集は伝説の名機ANT-25のお話。
ANT-25とはアンドレイ・ツポレフが設計した大型航空機で、航続距離は実に13000キロ。1931年12月に開発が始まり、わずか1年後に初飛行します。
1937年にはヴァレリー・チカロフがモスクワ→北極点→アメリカのパンクーバー(カナダとは別の都市です)を結ぶルートを無着陸で飛行することに成功。チカロフはソ連邦英雄となります。

もっとも、記者の人は、ただのヒコーキ好きだったようで、話題はあちこちに脱線しております。イラストはザハロフという人が描いてますが、こちらもかなり趣味に偏った感じ。流麗なタッチの魅力的な絵です。水彩絵の具で淡い色調で塗ったら映えるでしょうね。今日のソ連邦では、かなり毛色の違う記事です。

余談ですが、チカロフの偉業を讃える銅像がニジニー・ノブゴロド市にあります。飛行服姿のチカロフが手袋をはめようとしているポーズなのですが、これって相手を睨みつけながら腕まくりするポーズにそっくりで、ロシアでは相手にケンカを売る時にする侮辱的な仕種なのだとか。アメリカでいうところの中指を立てるジェスチャーに近いものだそうで、案内してくれたロシア人が「どうしてこんなポーズにしたのか理解できない」と言っていたのを覚えています。

さて。次は恒例の共和国の紹介。今回はアルメニア共和国です。ソ連のアネクドート、いわゆるスターリン・ジョークに親しんでる人ならアルメニア放送とかエレヴァン放送などで馴染みがあるかと思います。

アルメニアはザカフカスの南端に位置しており、イランやトルコと国境を接しています。ノアの方舟が流れ着いた場所と言われるアララト山を戴く国です。酒好きならアルメニア・ブランデーの名前を聞いたことがある人も多いでしょう。

アルメニアは太陽の国と言われていますが、これは単にロシア南部にあるからだけではなく、空気が澄んでいて日差しがとても強いことも要因だそうです。アルメニア人は人類学的にはコーカソイド人種のアルメノイド型に属しており、濃い体毛、高い鼻、比較的黒い瞳と髪の毛が特徴です。言語はインド・ヨーロッパ語族の一語派で、古くから文字を持っていたことでも知られています。

アルメニアの有名人と言えば、なんといってもミコヤン。アナスタスとアルチョムの兄弟です。アナスタスはスターリン&フルシチョフ時代に副首相を務め、日本にも来たことがあります。弟のアルチョムはミハイル・グレヴィッチとともにミグ設計局を創設しました。ちなみにロシア語のМигは「一瞬」とか「瞬間」という意味で、直線番長ミグ25にぴったりの言葉です。

最後はモスクワ生活サービス企業合同「ザリャー」の特集。
ベビーシッターとハウスキーパーを合わせたような仕事をする出張サービスの会社の話です。要するに「通いのメイドさん」ですな。
共働きが当たり前の夫婦にとって育児と仕事、家事を同時にこなすのは大変なことです。そこでこのサービスの出番というわけです。しかし、ザリャーは慢性的な人材不足。申し込んでも半年待ちという有り様なのだとか。

しかもザリャーで働く乳母たちは自分たちで勤務先を選ぶことができるそうで「退役した元帥やら高名な科学者の孫の面倒を見た」とか「芸能人の家で働いた」とかが自慢になる世界。つーか、「元帥」なんて自然と絞り込まれそうな勤務先なんですが。

ちなみに記事では「乳母」とか「子守」という言葉が使われていますが、これは便宜上の用語。実際には「一回限りの委託業務の遂行者」という奥歯にICBMが挟まったような言葉で呼ばれています。「遂行者」の平均年令は23才(!)。医学的なことを除く高齢者の補助なども行います。現代の日本だと派遣のデイ・サービスみたいな感じでしょうか。

もっともモスクワの若い主婦たちのニーズは毎日やってくるお手伝いさんではなく、繁忙期に一時的に手伝ってくれる人だそうで、学生結婚&出産が珍しくないという背景もあります。母親が卒論の追い込みで忙しい間、赤ちゃんの面倒を見てくれる人に来てほしいというわけです。

ザリャーの平均賃金は月100ルーブル程度。これは新卒の技師や博物館職員の初任給とほぼ同額です。バーテンダーやネイルサロンの店員も似たような金額ですが、こちらには「チップ」があるので「同じ給料とは言えない」と冷笑されるとか。なんか、ここでも生々しいお金の話が出てきますよ。

さて、問題の人手不足解消の件に目を戻しますと、ここでもなかなかトンデモな実験が行われていました。
なんと中学生を試用してみようという話になったのです!
16才の女の子が派遣されてくるメイドサービスの会社ですよ! 
 ソ連・・・とっくに崩壊したはずなのに未来に生きてるな!

もちろん是非をめぐっては侃々諤々。特に赤ちゃんの命を社会実験の対象にするのは言語道断!というわけで、少女たちに委ねるのは食料品とクスリの買い出し。各種公共料金の支払い代行。家の掃除となりました。そりゃそうだ。
実験なので期間はたったの2日。このため国立銀行(ゴスバンク)は特別予算を編成し、さらに規則の例外規定として少女たちには即日、現金で賃金を支払うという取り決めがされました。それと不測の事態に備えて、少女たちは2人1組で行動します。
なんか、問題の本質がズレてるような気がしないでもありませんが・・・・。

で。結果は、惨憺たるもの。
少女たちがすべての買い物を終えたのは夜の10時。戻ってきた時は、悪びれもせずに楽しげにおしゃべり。「遅れちゃったけど、別に試験じゃないもんねー」という感じだったとか。
そもそも少女たちは、家事を手伝って親からお駄賃をもらっているのです。ちょっとしたおつかいで1ルーブル稼げることを知ってる少女たちは、ザリャーの仕事と賃金を計算し・・・。
1つの注文のために2時間かけて3軒の国営商店を回り、それでたったの75コペイカ!
ご冗談でしょう?
あらららら・・・・

それ以上に問題だったのは家の掃除で、少女たちは他の住人も使っている共同区画の掃除は断固として拒否したというのです。それでもザリャーと協力した学校関係者は、議論の余地はあるが、中学生を補助的に採用する意味があるとの結論に達したようです。
うむ・・・この辺のくだりはかなり率直な内容で面白いです。

そうそう。書き忘れていましたが、この号が発行された当時のレートは1ルーブル230円です。といってもモスクワあたりの物価で考えると感覚的には1000円ぐらいでしょうか。1ルーブルで社食のランチとカフェのコーヒー代ぐらいになる計算です。


今回はこんな所で。
でわでわ~。

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2013年11月23日土曜日

今日のソ連邦  第11号 1987年6月1日

年の瀬が押し迫り、すっかり寒くなりました。
なんかバタバタしだしたので、できるうちに更新。

今回は国際児童擁護デー特集。表紙はソ連の平和大使カーチャ・ルイチョワちゃん。日本からの手紙に返事を書いてるところです。
机には、ちゃっかり今日のソ連邦や日本の民芸品などが配置され、光の加減などもしっかり計算された写真です。

彼女に手紙を送ったのは静岡県に済む勝呂志保さん。小学6年生です。さすがに画像は控えますが、本誌ではカーチャと文通したい人のために彼女の住所(マジか?)が掲載されてます。手紙は英語でOKとのこと。
もっとも彼女の文通相手は世界中にいるそうで、米国の平和団体に招かれて米国訪問も実現してます。タイトルや内容は不明ですが映画にも出てるそうで、すっかりアイドルです。

国際児童擁護デーとは1949年11月にソ連で開催された国際民主女性連盟が定めた日。国連も賛同し、子供達の権利や生命、健康を守ることが宣言されています。現在のロシアでも関連するイベントなどが多く開催されてるとか。

もっとも本誌の内容は子供たちによる平和運動の紹介がメイン。国際的反戦団体「平和を作る子供たち」の企画で、「国際こども平和使節団」がモスクワを訪れたというものです。顔ぶれはノルウェー、ソ連、インド、ケニア、メキシコ、ニュージーランド、アメリカ、そして日本です。子供たちはモスクワ観光を楽しんだ他、ピオネール宮殿で同世代の子供たちと交流し、クレムリンではグロムイコ最高会議幹部会議長と会見。しかめっ面がトレードマークのグロムイコが、どんな顔で子供たちと会ったのか興味があるところですが、残念ながら写真はありませんでした。

その他、目を引いた記事は宇宙ステーション・ミールに接続される予定の新型モジュール「クワント」がドッキングに失敗したというもの。あと数十センチで完了するというところでクワントが止まってしまい、どうしてもドッキングできないとか。そこでステーションに滞在していた宇宙飛行士が船外活動でドッキング・モジュールを確認したところ、なんとユニットの軸に布製の袋が絡みついていました。
経験豊富なソ連宇宙局でも初めての事態でまさに「どうしてこうなった?」状態。結局、飛行士たちが手作業で布を除去して無事にドッキングさせたのですが、ドッキングの様子を、宇宙飛行士が肉眼で外から見たのはこの時が史上初だったそうです。

次の記事は来日したソ連原子力産業大臣の記者会見の模様。かいつまんで発言を拾いますと、

「原子力発電に対するソ連の戦略は、チェルノブイリ事故の後も変わっていない。原子力による発電と熱供給1985年を基準にして90年までは2倍。95年に3倍以上。2000年には5倍に増える」
「チェルノブイリ原発では無事だった1号機、2号機、3号機の原子炉を再稼働させ、4号炉の封鎖は完了している」
えーと・・・詳しくはページを拡大してお読みください。 


お次はモスクワの歴史。
17世紀に建てられた聖母昇天教会の壁面を彩った美しいタイルの物語です。モスクワも歴史のある街ですから、あちこち掘り返すと色々なものが出てくるわけで、それらの発掘や研究、修復はジェルジンスキー広場にほど近いモスクワ歴史・改修博物館の研究員や学芸員たちによって行われています。

聖母昇天教会が建てられた場所はゴンチャール(гончар)通りで、もともとは陶工たちの同業組合教会として計画されたのだとか。ちなみにゴンチャールとは「陶工」という意味です。
ここには70人もの陶工が暮らし、事務所と工房がありました。中でも名高い陶工は「ステパン・イワノフ」。仲間たちからのあだ名は「半悪魔」。別に邪悪な人間というわけではなく、おそらく人間技とは思えない名品を生み出していたからだろうと推測されてます。

そのステパンの窯がモスクワの中心部にあるタガンスキー丘で見つかりました。しかも、中には300個に及ぶ完成したタイルがそのまま残されていたのです。放置されていた理由は謎です。
当時は戦乱の時代でもありましたから、敵の襲撃を受けて逃げたか、殺されたか、あるいは捕虜にされたという説もあります。
その後、この地には別の陶工が工房を構え、古い窯は彼らの失敗作の廃棄場所となります。その奥深くに天下の名品があるとは誰も気づかないまま、廃棄は続けられ、そのおかげでここからはあらゆる年代や様式の装飾タイルが見つかるのだそうです。

最後は共和国の紹介。今回はキルギス共和国。現在のキルギスタンです。
ソ連中央アジアの北東、テンシャン山脈の麓・・・ではなくその上にある国です。実際、雲より高い山々の国と呼ばれています。
共和国内には標高500メートル以下の土地はありません。ソ連には7000メートル級の高山が3つありますが、そのうちの2つがキルギスにあります。レーニン峰(7134メートル)とパヴェーダ峰(7439メートル)です。これらの名前は現在も変わっていないようです。

キルギス人は中ぐらいの背丈で(これ、どういう基準なんだか)、がっちりした体格。顔は浅黒くて丸く、頬骨が張ってます。目は黒く、細くてまぶたは少し垂れ気味。髪は黒くて濃く、直毛です。
革命前には文字が無かったため、歴史や叙事詩は口伝で残されてきました。遊牧民としての暮らしや戦争の歴史などをまとめたものを「マナス」と呼びます。
主な産業は畜産と農業。ソ連では「畜産家の日」や「羊飼いの日」などを定め、祝日になっています。祭での最大の呼び物は競馬。美しく飾りたてた馬に民族衣裳でまたがり、5~6キロの距離を競います。この競馬には女性も参加します。

今回はこんな所で。
でわでわ~。

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2013年10月27日日曜日

今日のソ連邦  第9号 1987年5月1日


10月の天気は台風が何度も来て荒れ模様でしたが、なんとか更新であります。前回と号数が飛んでますが、まぁ、これが平常運転ということで。

表紙は西シベリアのケメロボ州で生産されてる装飾盆をドヤ顔で披露している職人さんです。ソ連でこの手の民芸品というと、モスクワ近郊のジョストボ村で作られている「ジョストボ塗り」が有名なのですが、こちらはそのシベリア版ともいえる製品。
実際、ソ連でも「ジョストボ塗り」と間違えられることが多いのですが、シベリア特有の植物をモチーフにするなど独自色も打ち出していて、最近はライバルとして台頭してきたのだそうです。
生産元は民芸工場「ベスナー」で、職人やデザイナーはケメロボ第65職業技術学校の卒業生が多いそうです。
今号では、このような企業製品や体制の変貌を伝える内容が目立っています。
キーワードは「経済の民主化」。
統制経済のソ連では各企業を所轄する省庁の権限が強大で、既得権益もあります。そうした省庁主導の官僚主義を「省の独裁」と批判し、企業の独立採算制を高めて、なんとしてでも経済をV字回復させようという、意気込みとも焦りともつかない熱意が紙面のあちらこちらから伝わってきます。
とはいえ、ノウハウも経験もない国営企業が、いきなり市場経済&独立採算でいけと言われても無理なわけで、ソ連の経済政策は次第に迷走していくことになります。

そんな中、特集されているのは「工場長を公募で選ぶ」というユニークな試み。品質低下にともなう業績悪化に悩まされているラトビア共和国のマイクロバス生産工場「RAF」の新たな工場長を選挙で選ぼうというのです。
これは工場で働く人だけが対象ではなく、外部の人でも応募できるというもの。コムソモリスカヤ・プラウダ紙に工場の現状を報道してもらい、記事には申込書も添付するという方式です。

フタを開けてみると立候補希望者は実に4000名以上。
顔ぶれも様々で、別の工業生産合同の総裁や技師長、博士号候補の学者や30才の若き歴史家、裁縫店に勤務する18才の女性なども。ちなみに最年少は15才の女子中学生! もしその子が本当に工場長になったら、なかなか夢があるというか、萌えるというか。

残念ながら、実際に立候補できたのはコムソモリスカヤ・プラウダ編集部内に作られた有識者&工場の代表者による選考委員会で絞られた20名で、予備選挙を経て、5人になりました。
記事には工場長の執務室の写真がありますが、これはソ連の一般的な管理職の部屋。横長の机の前に長テーブルがT字型にくっつけられ、簡単な会議スペースになるというものです。
軍や警察、KGBや共産党幹部なども家具のクオリティーや電話機の数などに差があるぐらいで、基本的には同じです。ただし、本当に偉くなると会議スペースが別に用意されるのはいうまでもありません。
で、肝心の開票の様子ですが、なんとも言えない手作り感。
どうみても黒パンとかを入れておくバスケットが投票箱です。結果は記事の中ですでに明らかになっていますが、まだ新しい工場長が決まったばかりだというのに、この企業の前途には成功が約束されているかのようなトーンで終わっています。
今、この会社がどうなってるのかは、調べてみないことにはわかりませんが、存続しているとして、このあとにどんな運命をたどったのか、興味深いところです。


次は科学技術の話題。
中央アジアのガス田で発生した火災をわずか2秒で消火する爆発技術が紹介されています。ノボシビルスク郊外にある学術研究都市アカデムゴロドクの流体力学研究所の技術です。
彼らの研究対象は幅広く、宇宙船の外壁をスペースデブリから守るための研究に役立つ人工隕石の衝突実験施設「スポロフ(稲妻)」を開発したりしています。

また、金属加工技術も重要なテーマです。
厳寒にさらされるシベリア鉄道では、レールのポイント部分にある轍叉はあっと言う間に消耗し、3~4カ月に一度というハイペースで交換しなくてはいけません。この寿命を伸ばそうと、爆発を応用した装置が開発されました。
強烈な衝撃が金属の構造を変化させ、轍叉の寿命を2倍に伸ばすことに成功したのだそうです。

具体的には爆発の熱と衝撃が異なる金属材料を結合させ、化学的強固さと耐熱性、さらには優れた熱伝導性と絶縁能力を与えるのだとか。この技術を応用すれば合金を作る時の電気炉に使う触媒の銅を節約することも可能なのだそう。
最終的に装置はセラミックスとブロンズを結合させた「メタルセラミックス」を開発するきっかけになり、新素材は航空機エンジンの部品に使用されているそうです。



でもって、次の記事も科学技術ネタ。
水中作業ロボットや電気自動車、風力や太陽熱を利用した再生可能エネルギーの利用、水耕栽培などなど。特に、水中ロボはなかなか味のあるデザインです。

こうしてみるとソ連も当時からやることはやっていたわけですが、それがどうにも実際の産業に結びつかないという問題も見えてきます。
他にも宇宙ビジネスの記事などがありましたが、共通してるのは、とにかく自国の得意分野でなんとか外貨を稼ごうという、なりふり構わぬ、それでいて不慣れでぎこちないソ連流ビジネスの黎明期の様子です。

最後はソ連の共和国紹介から「モルダビア共和国」。
現在のモルドバ共和国です。ソ連の南西部に位置し、ドニエストル川とプルート川に挟まれた小さな共和国。肥沃な土地に恵まれ、ブドウが30種類ほど栽培されており、ワイン作りも盛んです。
モルダビア人は黒い髪、浅黒い肌、黒い瞳が特徴。
男性の民族衣裳はゆったりとした長い上着に白く細いパンツを組み合わせ、色のついたウールか革製のベルトをしめると、これに小羊のなめし皮で作られた帽子をかぶります。一方、女性は飾りのついた白い上着。ウールのスカートにベルト、頭はショールかヴェールでつつみます。
ちなみに昔は男性は片方だけにイヤリングをしました。もし家族の中で死んだ子がいた場合、その後に生まれた子供には「丈夫に育つように」と、こうしたまじないをしたのだそうです。

また、ブドウの蔓をくわえた白い羽根のコウノトリは、モルダビアを代表する伝説です。
昔、モルダビアのとある城砦がオスマン・トルコ軍に包囲されていました。城砦は堅固でしたが、水や食糧が尽き、もはや敗北は時間の問題。
その時、猛烈な強風が吹き、包囲していたトルコ軍はあわてて地面に伏せます。しかし、それは嵐ではなく、数千ものコウノトリの群れだったのです。コウノトリは皆、くちばしにブドウの枝をくわえており、城砦内のモルダビア兵に次々とブドウの房を落としていきました。
飢えと渇きに苦しんでいた兵士たちはたちまち元気になり、トルコ軍をやっつけて国を守り抜くことに成功したといいます。実際のモルダビアでも料理などにギリシャやトルコの影響が見受けられ、往時をしのぶことができます。

今回はこんな所で。
でわでわ~。

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2013年9月17日火曜日

今日のソ連邦  第6号 1987年3月15日

涼しくなったことでもあり、そろそろ更新です。
今回の表紙は、前期試験が終わってモスクワ郊外のキャンプでスキーを楽しむモスクワ航空大学(МАИ)の学生ラリサ・セレブリャコワ。
ソ連の新学期は9月なので、1月が試験シーズン。それが終わって羽根を伸ばしているというわけですね。一般的に大学の休暇は1月25日から2月7日まで。後期試験は6月~7月にかけてです。
キャンプといってもちゃんとした保養地で、コテージや映画館、スポーツ施設やコンサートホールなどが併設された複合施設。モスクワ航空大学では専用のスポーツキャンプを3つも持っており、運営は学生ソビエト(評議会)と大学の労働組合が行っています。

さて、今回の今日のソ連邦では、モスクワの「区役所」の活動についてかなりのページが割かれております。ソ連の小さな行政単位の仕事というと、今日のソ連邦 第2号 1987年1月15日にも地区共産党書記さんの話を載せたのですが、こちらは「チミリャーゼフ区ソビエト執行委員会」。まぁ、党員じゃない人間が勤務できる部署にも思えませんが。

ところで、ソ連といえば「失業がない国」です。
つまり全員に仕事が用意されているというわけですが、これって具体的にどうやってるのか? 「チミリャーゼフ区職業あっせん所長」のアレクサンドル・ボズジェーエフ氏のルポが出ています。
対象となるのは大半が10年制学校の卒業生で、普通は就職、高等教育部門への進学、軍に入隊の3つのコースに割り振られます。しかし、そうじゃない人間もいるから、こういう部署があるわけで。たとえば自動車仕上げ工のグレゴリー・ニコラエフは、ボズジェーエフ氏の夢の中にまで出てくる厄介な人物。

最初にあっせんした自動車営業所を「土曜日は働きたくない」という理由で、わずか一週間で退社。2番目の工場では、「3ヶ月持ちこたえたが」工場長とケンカしてまた退社。3番目の職場では「ズル休みがバレて」クビ。4番目はボズジェーエフ氏の旧知の仲が人事課長をしている企業になんとか突っ込んだものの「きみからの贈り物には大変感謝してるよ」とイヤミを言われる始末。ちなみにコレ、わずか1年の間の出来事。結局、ボズジェーエフ氏は5番目の就職先を見つけるべく奮闘中です。過去の記事だけど、がんばれ!と応援したくなります。それとニコラエフ、マジメに働け。

次の記事は1987年度のソ連の主要な建設事業の紹介。ソ連の会計年度は現在のロシアと変わらないとすればカレンダー通りの12月なのですが、ここは日本の3月に合わせてきたのでしょう。もちろんソ連共産党大会が2~3月に開催されたこととも関係があります。

ちなみに、この記事とは直接の関係はないのですが、今日のソ連邦では「ソ連の生活の質」という連載記事が組まれています。社会学者のビタリー・トレチャコフ氏がソ連社会のさまざまな面を客観的データをもとに採点するというもので、今回は「食生活」が取り上げられておりました。

結論から言うと10点満点のうち8点という高得点。意外に思われるかもしれませんが、ちゃんと裏付けがあります。ソ連保健省が定める成人1人あたりの必要カロリーは2900キロカロリーですが、実際は3390キロカロリー。1960年には肉類の年間消費量は一人当たり39.5キロだったのが、1985年には61.4キロとほぼ倍増。タマゴや乳製品、海産物に砂糖、油脂類もほぼ倍増しています。一方、成人の2人に1人が標準体重をオーバー、さらに4人の1人が肥満に悩んでいるという指摘もあります。

ソ連では恰幅のいい人が多いのがデータの上からでも裏付けられてるわけで、それをもって食糧事情の高得点というわけのようです。もちろん、悪名高き国営商店のモノ不足や行列には言及されていません。それは後日、別の項目で取り上げることになります。

次は飾り石の芸術品。
ソ連は広い国土のおかげで地下資源にめぐまれており、ダイヤモンドや金の産出量が多いことでも有名ですが、他にも半貴石(準宝石)や飾り石(色石)が豊富です。ウラル、アルタイ、東シベリアなどが主な産地で、古いソ連映画で「石の花」なんてファンタジー映画もありました。
記事で紹介されている博物館サロンは「ソ連地質省」に創設された「全ソ生産合同“ソユーズ・クワルツサモツベティ”」という機関の所属で、展示だけでなく販売もしています。
ソ連では飾り石や半貴石の商品開発が盛んで、いくつかの鉱物については国際機関に宝石として認可するよう積極的な働きかけもしていたと聞きます。宝石に格上げされれば値段もハネ上がり、新たな外貨を獲得できると期待したわけですが、その試みはうまくいかなかったようです。

お次はガラリと雰囲気が代わって麻薬摘発の記事。
パキスタン北西部から貨物列車に積み込まれた「アフガニスタン産干しブドウ」のパッケージ。発送人名も受取人名もなし。ソ連国家税関総局とモスクワ中央税関、密輸取締局の合同チームが厳重な鉛の封印を切って、中身をあらためると出てきたのはハシーシ。乾燥大麻の塊でした。

わざわざ「最高品質」とキャッチコピーがついたラベルにはイスラムの長剣の交差したマーク。それが干しブドウの箱にまぎれて、1270キロも隠されていたというわけです。実は同様の「製品」はアメリカのサンフランシスコでも摘発されており、こちらには「アフガニスタン」の文字とカラシニコフ小銃のイラストをあしらったラベルが付いていました。

貨物はソ連国内に向けたものではなく、西ドイツのハンブルク行き。
ソ連国内を通過するトランジット貨物ルートは、ソ連にとって貴重な外貨獲得源であり、荷主の不興を買わないようにノーチェックで運ぶと言われます。対する西側の税関もソ連からの貨物には警戒心が薄く、マフィアはそこに付け込んで、新たな密輸ルートを開拓しようとしていたようでした。同様の手口は海上ルートでも摘発されており、オランダの警察がロッテルダムに入港したソ連貨物船カピタン・トムソン号から220キロものヘロインを押収したりもしています。

ちなみに記事では黒幕は、グルブディン・ヘクマティアルサイード・アフマド・ギラニだと断定し、ソ連とアフガンの友好関係を妨害し、西側への麻薬供給国としてのイメージをソ連に押しつけようとした陰謀と断じています。その影にCIAが暗躍しているのは言うまでもありません。とはいえ、ソ連憎しで支援していた彼らが、実際にはどういう人物だったのかは後日、アメリカも思い知るわけですが。


最後はソ連の共和国特集からグルジア。
険しい山々を越えてあらわれる温暖な気候、美しい景色、豊かな大地といいとこだらけ。グルジア人は天性の楽天家で、友情と信義を重んじ、客もてなしのいいことで知られています。

首都はトビリシ。その名の由来には伝説があります。
グルジアの王オフタング1世はある日、狩りに出かけ、1頭のシカを仕留めます。ところがシカは仰向けに倒れたはずなのに、すぐに起き上がって森の中へ消えてしまいました。
王は弓の名手だったのでしくじったとは思えず、シカの倒れた場所に行ってみました。するとそこには地面から熱い水がわき出ていたのです。温泉が傷ついたシカを癒し、元気にさせたと知ったオフタングは、それを神意と読み取り、都市の建設を命じました。グルジア語で「熱い水」という言葉を「トビリシ」と言います。1500年前の伝説だそうです。


今回はこんなところで。
でわでわ~。

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2013年8月12日月曜日

残暑お見舞い申し上げます。


高知県の四万十では気温摂氏41度を記録したとか。

暑い日が続きますが、皆様どうぞご自愛くださいませ。

 ※画像の苦情は受け付けません。


 

2013年7月26日金曜日

今日のソ連邦 第5号 1987年3月1日

暑い日が続いてますが、皆様お元気でしょうか?
どうやら7月中に更新できそうです。
今回は国際婦人デーが特集されてます。女性の権利の向上と社会参加の促進を求めるこの記念日は毎年3月8日。日本で話題になることはあまりありませんが、バレンタインデーなんかより、ずっと重要な日として認識されてもいいのではと思います。
決してチョコがもらえない人間のやっかみではありません。

ソ連では1917年の二月革命(当時のロシアはユリウス歴)と重なることから、歴史的・政治的に極めて重要な日とされており、実際、祝日になっております。現在でもこの習慣は残っており、職場の男性は同僚の女性に花を贈ったりします。夫婦間においても奥さんの誕生日、結婚記念日と並ぶ3番目の記念日で、プレゼントを忘れると旦那の査定がダダ下がりするそうです。

今日のソ連邦でも、ソ連社会に生きる様々な女性たちにスポットを当ててますが、内容としては「女性としての生きがい」がテーマで、「子育てが生きがい」「仕事が生きがい」「ダンナが家事に非協力的」などなど、夫婦間のよくある話が展開しております。

ちなみに表紙の女性はタチアナ・アノジナ博士。アエロフロート(ソ連国営航空)に所属する航空管制自動化国際研究実験センターの所長で、国際線を飛ぶ旅客機の運行管理を自動化するシステム開発を指揮しているとのこと。年令を書かないのはマナーですな。後述するページの写真によれば10月革命勲章労働赤旗勲章を授与された人だというのがわかります。

科学技術の分野で指導的な役割を果たす女性をもう一人。脳科学者のナタリア・ベフテレワです。彼女が所属するレニングラードのソ連科学アカデミー実験医学研究所は、あの「パプロフの犬」で有名なイワン・パブロフがこの世を去る直前まで働いていた研究施設として有名です。

それはさておき、ソ連で脳科学・精神医学というと、あまりいいイメージがありません。ソ連では反体制活動を行った者は強制収容所に送り、それが軍や治安機関の人間だったりした場合はスパイのレッテルを貼ります。でも、中には著名で人望の高い知識人などが反旗を翻す場合もあり、この場合、当局は「○○氏は精神に異常をきたした」として精神病院にブチ込みます。ロシア語にもキチガイ病院に相当する俗称があり、直訳すると「バカの家」という身もフタもない名前。
もちろん記事のナタリアがそういうことに関わっているわけではありません。むしろ記事を構成するインタビュアーの方が予想の斜め上を行ってました。

「核戦争を容認できると考えている人たちの脳の状態を特徴づけられるか?」

「核戦争の容認者を自分の患者に持ったことはない。しかし、容認者のうちの2~3人は全てが許される地位、超人的地位に就いている事実が、すでに多くのことを医者に語っている。これは医学では病的と評価することになっている状態の確かな兆候です」

核戦争をやらかすことを躊躇しない政治指導者を異常者と呼びたくなる気持ちはわかりますが、これ、ソ連の指導者にも当てはまるんじゃないでしょかね。
ちなみに別の質問。

「脳の働きを活発にして普通の人を天才にすることはできるか?」

「今のところ、我々はそれには反対です。問題は道徳的理由にだけあるのではない。そのためにヒトやヒトの脳がどれだけ高い代償を払うか、我々がまだ知らないからです」

・・・良かったな、アルジャーノン。

さて、気分をかえて核戦争(ヲイ)。
2度のソ連邦英雄と、レーニン勲章3回授与の栄光に包まれた宇宙飛行士、ピョートル・クリムク空軍少将の寄稿です。アメリカのレーガン政権が押し進めていたSDI構想を批判しております。
もし、これが完全に実現していれば、アメリカは絶対安全な状況下でソ連を一方的に核攻撃できるわけで、相互確証破壊の概念が根底から崩れます。今でこそ我々は、SDIなるものが絵に描いたモチだったことを知っていますが(いや、当時もかなりマユツバだったのですが)、ソ連はただでさえ財政状態が厳しいのに巨費を投じて対向措置の開発に血眼になり、国際世論の高まりでアメリカの動きを少しでも鈍らせようと涙ぐましい努力をしています。でも宇宙空間の軍事利用は、デブリを増やすだけでロクなことにならないので、この論文は今でも通用する内容にも思えます。

ところで宇宙開発といえば、ソ連ではカザフ共和国のバイコヌール基地です。この号ではカザフ共和国の紹介記事も出ています。写真はコクチュタフ州のボロボエ湖という場所にあるスフィンクスの岩。なかなか面白い地形です。カザフは広大な国土を持ち、気温差の激しいステップの土地です。帝政ロシアの頃は流刑地でもあり、こんな布告が残っています。

「小市民ニキフォル・ニキチンは、月への飛行に関する不穏な言動の罪で、カザフスタン・バイコヌールへ追放する」

宇宙旅行の夢を熱く語った人が送り込まれた不毛の大地、20世紀になってホンモノの宇宙基地が出来るなどとは、ツァーリも想像できなかったでしょうな。
そのカザフ、砂漠のど真ん中にパルハシ湖という巨大な湖があります。湖面の半分は淡水、半分は塩水で、決して混じりあうことがないという不思議な湖。この現象についてカザフスタンには伝説が残されています。

大昔、アラタウの山の中にバルハンという名の魔法使いが住んでいました。
彼には愛する娘、美しいイリがいました。イリは貧しい羊飼いのカラタルが好きでしたが、父親は娘を貧乏人に嫁がせたくありませんでした。そこで愛し合う二人は新月の夜、駆け落ちします。バルハンは一番優れた部下の戦士に後を追わせますが、彼らも追いつけません。
怒った魔法使いは娘と羊飼いを川に変えてしまい、自分はその流路に横たわって湖になりました。
今でもバルハシ湖には2本の川-イリ川とカラタル川が流れ込んでいますが、その水が混ざり合うことはありません。水は湖の中で、まるで壁に隔てられているかのように分かれているのです。


最後はソ連の切手です。
ソ連はやたらと記念切手を発行することで有名でした。毎年100種類以上というのが多いのか少ないのかはわかりませんが、切手コレクターの初心者にとっては手軽に外国の切手が手に入り、ソ連としても外貨が稼げるので双方にとって得だったのでしょう。反面、希少価値は無いので、マニアからは見向きもされなくなるとか。
もちろん本当の珍しい切手は、ソ連でも熱心なマニアによって取引されてたようで、全ソ切手収集協会なんてものがあります。このページは協会員のイーゴリ・ザハロフ氏の紹介による最近(1987年)の記念切手から(見づらいのでテキストを色分けしてます)。

1:新年記念切手「新しい年、10月大革命70周年の年、おめでとう!」 2:ボロネジ市(ロシア共和国)400周年記念。 3:アナトリー・ノビコフ(作曲家)生誕70周年記念。 4:チェリャビンスク市(ロシア共和国)250周年記念。 5:シャウリャイ市(リトワ共和国)750周年記念。 6:孫文(中華民国初代大統領)生誕120周年記念。 7:ミハイル・ロモノーソフ(ロシア科学の父)生誕275周年記念。 8:オルジョニキーゼ(党活動家)生誕100周年記念。9:ユネスコ創立40周年記念。 10:第27回ソ連共産党大会記念「科学技術進歩の路線にそって」 11:第27回ソ連共産党大会記念「国民の福祉は党の最高目標」 12:十月社会主義大革命69周年記念(1986年)。 13:第27回ソ連共産党大会記念「構想のエネルギーを行動のエネルギーへ!」 14:第27回ソ連共産党大会記念「社会主義と平和は切り離せない!」 15:ヤコブレフ設計局シリーズYa-1 16:ヤコブレフ設計局シリーズUt-2 17:ヤコブレフ設計局シリーズYak-18 18:ヤコブレフ設計局シリーズYak-50 19:ヤコブレフ設計局シリーズYak-55
 

さて。今回はこんなところでしょうか。
なんかとっちらかった紹介になってしまいましたが、
あまり気にせずにこんな調子でこれからもチマチマ更新します。
とりあえず、でわでわ~。


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2013年6月23日日曜日

今日のソ連邦 第4号 1987年2月15日


すっかり間が空いてしまいました。
2ヶ月放置とか、さすがにひどいですね。すみません。
いろいろ仕事のことで悩んでいたりしてました。別に鬱っぽい意味じゃなくて、単純にむずかしくて、ややこしくて、作業量が多いという意味での悩みです。つらいのに我慢して・・・とかじゃないのでご心配なく。各方面に不義理を働いているのは事実なんですが。
というわけで久しぶりの更新です。

表紙はモルダヴィア共和国のグロゼシティ村での一コマ。ドブゼウ家では旦那さんのフォマ(92才)と奥さんのエフロシニア(87才)の結婚70周年をお祝いしてます。


この号の日付を見ればわかりますが、ふたりともソ連が成立する以前に生まれた人です。サンクトペテルブルグで革命が起きてる最中、17才のエフロシニアはフォマと祝言をあげたのだそうで、まぁ、この頃のモルダヴィアはまだそれほどてんやわんやということでもなかったのでしょう。

エフロシニアは8人の子供を生んだといいますから、あと2人でソ連邦母性英雄でした。でも8人だって立派ですよね。彼女には母性栄光勲章2級が授与されてるはずです。子供、孫、曾孫、玄孫の総数は88人。こりゃ素直にすごいです。

見開きカラーはロシアの典型的な農村。女の子はオシャレしてますが、男はわりと普段着ばかりですね。御夫婦の後ろに民族衣装を着た楽団がいます。刺繍の上着にちょっと変わった帽子。モルダヴィアの民族衣装も面白いです。

ちなみに左端にいる勲章ジャラジャラの背広の人は一番目立つ場所に対独戦勝メダルを付けてます。右の襟には大学卒業バッジかな? その下には親衛部隊章を付けてます。
表紙のおじさんはまた別人。こちらは右襟に大祖国戦争勲章2級を付けてるのがわかります。付け方や位置が適当なのはご愛嬌。軍服じゃないから別にいいのです。
さて、今回は別の特集も組まれています。ソ連当局が大好きな統計です。日本の読者からのリクエストに応えて、関係各所から送られてきたデータに基づいてるそうですが、数字の信憑性についてはあえてコメントしません。まぁ、普通の超大国なら特に不思議ではない数字なんですが。
次の特集は警察。ベラルーシ共和国のミンスクを管轄するミリツィアです。最近、ロシアではポリツィアという残念な名前に改称されてしまいました。早く戻れ~。
で、こちらは交通警察。日本ではひとつの警察署の中に交通課とか生活安全課といった部署があるだけですが、ソ連では国家自動車監督局(ГАИ=ガイー)という専門の組織があります。
ところで、ソ連=ロシアの警察組織に対する市民の評判はとにかく最悪なのですが、ガイーはその中でも際立ってます。

わざとドライバーを呼び止めて些細な難癖をつけては罰金名目で賄賂をせびるからで、政府の腐敗防止キャンペーンなんかでも、しょっちゅう槍玉にあげられます。
もちろんマジメで優秀な警官もいるはずですが、この記事に出てくる人もそうだと思いたいですね。ちなみに事故現場の写真がこんな風に掲載されるのは珍しいことで、当時はこんな一面もペレストロイカと結びつけられていました。
まさかヤラセじゃないよなあ。

最後は共和国の紹介コーナーにあったベラルーシ共和国のカラーグラビア。記事ではベロルシア(白いロシア)となっていますが、これはロシア語表記に基づくもので、実際、ベラルーシ語とロシア語は似ているようでちがいます。
どちらも東スラブ民族という共通の祖先から分化したのですが、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの区別がキチンとつけば、ソ連・ロシアマニアの初段です。(嘘)

今回の記事によるとベラルーシ人は白くまっすぐな髪、灰色の瞳を持つ色白な人々。ロシア人に比べると顔の輪郭が穏やかで、やはり美人の産地として知られています。性格は寡黙で内気。勤勉で忍耐強く、運命の変転にもよく耐えます。なんか、さらっと恐いこと書いてあるな。
ちなみに、この地方の特産品は亜麻で、民族衣裳やテーブルクロスなどの調度品に白がよく使われることもベラルーシの呼び名のルーツとしてあげる学者もいるんだとか。

日本人から見るとわずかな違いなようでも、確固たる民族的アイデンティティがあるあたり、大陸国だなあと思います。

今回はこんなところで。
でわでわ~。

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2013年4月19日金曜日

今日のソ連邦 第3号 1987年2月1日


今日のソ連邦、1987年の3号です。
表紙を飾るのはウズベク共和国で当時建設中だった太陽炉のコンセントレーター(集光装置)。手間の白と黄色のタワーに集熱機、すなわち太陽炉の本体があるというわけです。

ところで、ウズベク共和国に限ったことではありませんが、ソ連崩壊後に独立した中央アジアの国々の多くが「~スタン」という国名に変更されています。
これはペルシャ語で「~の場所」とか「~の土地」という意味だそうで、国家の独立性を強調しているものでしょう。といってもウズベキスタンの公用語がペルシャ語というわけではないんですけどね。
もちろん、このブログではソ連時代の表記に基づいて記述しております。

話を戻しますと、この太陽炉はウズベク共和国の首都タシケントに近い、テンシャン山脈の麓に建設されたもので、正式名称を「研究・生産冶金コンプレクス」と言います。
「コンプレクス」とは複合施設のことでソ連の科学・産業面のニュースでは、非常に多く目にする言葉です。日本だと「コンプレックス=劣等感」みたいなイメージがありますが、これもそもそも誤用で、精神・心理学においてもコンプレクスは「感情複合」を意味し、特に劣等感に限定された用語ではありません。

また脱線しました。
この冶金コンプレクスは太陽光線を集中させることで炉内に摂氏3500度もの高温を作り出せる施設です。焦点が合う場所に材料を置くだけで自然に溶けてくれるので「るつぼ」が不要で、環境にも特別な制約がありません。さらに焦点距離からズラすだけですぐに冷却装置に放り込むこともできるので、瞬間的な冷却が可能。
これらの利点によって高純度の合金を大量に作ることができる他、高熱にさらされる宇宙船の再突入カプセルに使われる材料などを試験することもできます。

鍵となるのは当然、太陽。
この地方は年間300日以上の晴天日があり、一日あたり8時間から10時間の連続稼働が可能と見積もられています。
巨大な帆を思わせる集光装置の鏡面は面積1000平方メートル。この鏡に向かって、62枚のヘリオスタットが配置されています。ヘリオスタットは1枚あたり50平方メートル。たえず太陽を追尾し、光エネルギーを集光装置へと反射させます。

この集光装置も一般的にはパラボラ型が主流ですが、ここでは円錐形の複雑な形をしたものが採用されています。集光の効率がよく、構造が簡単で、施設全体を軽量化できるメリットがあります。ただ、光の入射角度には慎重な計算が必要で、このタイプはウズベクの他はフランスに1基あるのみなのだそうです。
なお、この太陽炉の現在の様子はこちらで見ることができます。
案の定というか、やっぱり使われてる気配がないなあ・・・。


そのウズベク共和国ですが、実は地震国でもあります。というわけで、この号ではソ連における地震予知についての記事もあります。

かつてはソ連の科学者たちも、詳細なデータを集めて分析すれば、かなりの確率で地震が予知できるはずだと思っていた時期があったそうです。
しかし、時間とともに科学者たちの態度は懐疑的になっていき、現在では地震予知の局限化が主流になっているとのこと。つまり地震が発生しそうな場所を特定し、最大震度を見積もり、次の地震発生までの時間を予測するというもの。

ソ連は、このやり方で効果が上がっていると主張していますが、要するに危険な場所を避けて都市計画やインフラ整備をするというもので、広い国土面積があるからこそできる芸当です。もちろんソ連だって耐震建築やら、さまざまな防災計画などが研究・立案されています。それがどれぐらいの効果を上げたかは、別の機会にご紹介するとしましょう。

ところで、今回はやたらウズベク共和国関連の記事が多いです。
こちらは共和国を紹介する記事。中央の女性たちが手にしているのはウズベクで「白い黄金」と呼ばれる綿花。ウズベク社会主義共和国の国章にも使われています。
農業国で野菜や果物に恵まれ、ブドウの品種だけでも150種類におよび、炊き込みご飯のピラフ(プロフ)、ウドンによく似たラグマンなどを食べます。

次の特集は、いきなりロシアに戻ってプーシキンです。1987年はプーシキン没後150年ということで、ソ連でも大きな盛り上がりを見せました。というか、ロシア人のプーシキン好きは異常。
決闘で受けた傷がもとで亡くなったというのもドラマチックで、ロシア人を引きつけてやまないのでしょうか。

ちなみにプーシキンの玄孫にあたる人は、日本文化の研究家なのだそう。セルゲイ・クリメンコさんという方で、大祖国戦争ではモスクワの高射砲部隊に所属。終戦後はモスクワ外語大学の日本語学科に入学し、その後はモスクワ放送の日本部で定年まで務めたのだとか。
意外なところで意外なつながりがあるものです。
もっとも、プーシキンの子孫は200人を越えてるそうなので、ひとりぐらいはこういうこともあるのかな。

最後はソ連宇宙開発の父「セルゲイ・コロリョフ」の特集。
世界初の人工衛星スプートニクを打ち上げ、世界初の有人宇宙船ボストークを打ち上げ、死の直前までソ連の宇宙開発をリードし続けた人物で、こちらは生誕80周年です。

このコロリョフという人、相当にアクの強い人物であることが知られています。さすがのソ連でもこの点を認めないわけには行かないようで、このあたりが普通の人物伝とは違うところです。


コロリョフはつねに一番でいたがった人であり、功名心が強く、高圧的だった。
それは全てに・・・話し方、動作、歩き方にさえ感じられた。
だが、私たちが世界古典文学の無数の例によって、
否定的な資質としてステレオタイプ化している功名心も、高圧的な態度も、
コロリョフの個性の中にあっては、それを否定的なものと呼べないように奇妙に変形しているのだった。

うむ。イヤな奴だけど褒めないわけにはいかない筆者の苦悩が伝わってくる文章です。
ただ、彼は手にした権力を個人的な目的のために使ったわけではなく、あくまでも計画を前進させるために行使したのは事実のようです。プロジェクトを進めるためには徹底的にトップダウンの方式を貫かないと、ソ連では何も進まないことを自覚していたのでしょうか。
もちろん権限には責任がともないます。

彼はしばしば責任の最高の措置を自ら引き受けた。
負荷にぴったり100パーセント耐える、すなわち強度に余力が無いユニットに関して
赤えんぴつで書類に断固「可!」と書けるのは彼だけだった。

さらにはこんなこともあったそうです。
月探査機の着陸システムを検討する会議で、地質学者や天文学者も交えての議論。
月の表面は固いのか、柔らかい塵に覆われているのか、
それによって仕様も設計も部品の強度もすべてがちがってきます。
当時はまだアポロが着陸する前なので、誰も月面がどうなっているのかはわかりません。
会議はすっかり行き詰まってしまいます。
もし柔らかければ、探査機は塵の中に沈み、固ければ着陸装置は壊れてしまう。
誰もが恐れて、書類にサインしようとしません。
しかし、コロリョフは、出るはずのない結論をいつまでも待つような人物ではありませんでした。

「それでは、月は固いという前提で機械を設計しよう」
「でも……」と専門家のひとりがさえぎった。
「誰がそれを請け合うことができるのですか?」
「私だ」とコロリョフは簡単に答えて、白い紙を取ると勢いよく書いた。

“月は固い。セルゲイ・コロリョフ ”


今回はこんなところで。
ゲームラボのコラムも引き続き、よろしくお願いしまーす。
でわでわ。