2014年2月18日火曜日

艦船模型の展示会 ~2014~ 

このブログでも人気の話題。
ミンダナオ会さまの艦船模型展示会です。
開催日の2月15・16日は大雪の影響で東京のみならず、関東の広い範囲で大変なことになっていましたが、そんな天候にもめげず、スタッフの人たちが準備を整え、大勢の人が訪れていました。今回のテーマは英国の艦船。
まずはホレイショー・ネルソン提督のコーナーから。
座乗していた戦艦ヴィクトリーは記念艦としてドライドックに保存されていますが、第一海軍卿旗艦として、今なお現役です。


1805年に起きた「トラファルガーの海戦」です。
ナポレオン戦争最大の海戦で、ジオラマではフランス・スペイン連合艦隊(左)の隊列を分断すべく、
二列縦隊で突撃する「ネルソン・タッチ」の瞬間が再現されています。

 
19世紀に入ると蒸気機関が実用化され、動力船の時代がやってきます。
いやはや、こんなものまでキット化されてるんですなぁ。
そういえばガイコツだの人体模型だののプラモもありましたっけ。
あとゼンマイで走る落ち武者の生首とか・・・ありゃ意味が違うか。
 

帆船の時代が終わり、鉄の戦艦の時代です。
さすが陽の沈まぬ帝国。とんでもない物量です。
これは第一次世界大戦を中心にした展示。

イギリスとくれば筋金入りの海軍マニアの国です。
当然、ありとあらゆるものが模型になります。
これは1/48の水雷艇。このぐらいのスケールだとインテリア感覚ですね。
 
第二次世界大戦です。大艦巨砲主義の絶頂期にして終焉の時代です。
ちなみに会場には洋書・和書問わず、さまざまな文献や写真集も置いてあり、
自由に読むことができます。資料類の充実も英国海軍が一番ではないでしょうか。


英雄の名を冠した戦艦ネルソン。主砲の配置がなんとも独特で、
英国センスの面目躍如ですが、戦艦大和でも、この配置が検討されていました。
使い勝手はあまりよくなかったようですが、終戦まで奮戦しました。

プリンス・オブ・ウェールズ(POW)です。
大日本帝国海軍の航空攻撃によって撃沈されてしまいました。
キットは1/350で、作り込まれた細部が見応え十分です。
 
当然レパルスも並んで展示されています。
POWと枕を並べて討ち死にしました。こちらも/1/350です。
老眼で1/700が作りにくくなったとは、ミンダナオ会の人の弁。

巡洋戦艦フッド。ドイツ戦艦ビスマルクの主砲斉射が直撃し、
ほとんど一瞬で轟沈した悲劇の戦艦です。生存者は1,419名中、たったの3名。

クィーン・エリザベス級戦艦パーラム。
地中海でドイツのUボートの攻撃を受けて沈没しました。
横転して凄まじい大爆発を起こす様子が記録されており、
YouYubeで見ることができます。動画のリンクはこちら。

さっきから派手にやられた戦艦ばかりを紹介してるみたいですが、他意はありません。
そもそも英国海軍は獰猛な戦術を好む面があり、戦果も損害も派手なことが多いのです。
その典型がナルヴィクの海戦。ノルウェーのフィヨルドに戦艦を突入させてドイツ海軍をフルボッコとか・・・。
四畳半のアパートでヘビー級ボクサーが殴りあうようなもんです。よくやりますわ。

精密なジオラマは今回も健在。なんか撮影しくじってピンポケなんで
白黒にして記録写真風にしてみました。

英国で沈没したフネとなると、一番有名なのは、やはりタイタニックでしょうか。
今回のテーマは「英国の艦船」で「英国の軍艦」ではないところがミソ。
民間船もちらほら展示されています。客船のキットが充実しているのもイギリスならでは。


イギリスを代表する客船といえば、やはりクィーン・エリザベス二世(QEⅡ)。
すでに新型に代替わりしていますが、乗ってみたかったのはこっちですよねぇ。
あえなくスクラップになるかと思いきや、まだ係留されていて
第2の人生をめぐる話もチラホラあるそうです。

V/STOL空母「インヴィンシブル」。フォークランド紛争に参加し、英国の勝利に貢献しました。
この戦争はハイテク兵器が激突した20世紀唯一の海戦です。

上はフォークランド紛争に参加したQEⅡ。輸送力と速力が買われて兵員輸送船として徴用されました。
きらびやかな船内にはベニア板が貼られ、船体も無粋な色に塗り直されます。
戦闘海域へ赴くわけですからアルゼンチン軍による攻撃で撃沈される可能性もありました。
下は同じく民間船のアトランティック・コンベア。
コンテナ船を応急改造して、ハリアーが離着艦できるようになっています。
こちらは攻撃を受けて炎上し、喪失。民間の船員も犠牲になっています。

現代の英国海軍。戦略原潜のヴァンガードです。
スクリューをダクトで覆ったポンプジェット推進を採用しています。
あまりメジャーにならないあたり、効果の程は不明。


英国の艦船には当然「英連邦の艦船」も含まれます。
で、感心すると同時になかば呆れた哨戒艇の一群。
「どれも一緒やんか・・・」と思いますが、ここまでやるのがミンダナオ会なんですな。

英国王室の専用ヨット「ブリタニア」。クラシックな外観の美しい船です。
香港が中国に返還される時、王室関係者を乗せて九龍湾に浮かんでいました。
現在は退役してエジンパラに保存されており、一般公開されてるそうです。

さて、イギリスと言えばSF作家の大御所H.G.ウェルズを輩出した国。
てなわけで、ありましたよ…「宇宙戦争」の1シーンを再現したジオラマが。
ロンドン市民が脱出する時間を稼ぐため、水雷衝角艦サンダーチャイルドが
火星人の戦闘機械めがけて体当たり攻撃を仕掛ける瞬間です。
スピルバーグが宇宙戦争をリメイクすると聞いた時は、
正調ヴィクトリア時代バージョンを完全再現してくれるのでは期待したのですが・・・。

展示目録を見て「なぬッ?!」となった一品。
ぶっちゃけ、最初はただのディスプレイ台にしか見えませんでしたよ。
一部でやたら有名な氷山空母「ハボクック」です。

進化論を書いたチャールズ・ダーウィンが乗っていたビーグル号。
キリスト教原理主義の敵みたいなもんでしょうか。
1/700のスケールで見ると本当に小さくて、よくこんな船で世界を巡ったと思います。

今回は「英国の艦船」と別に探査・調査船や測量艦などのミニコーナーも併設されていました。
これは日本の歴代砕氷船が勢ぞろいした図。現実には見られない光景ですが、
これはこれでワクワクしますね。他に「しんかい6500」なども展示されていました。



とりあえず、今回はこんなところです。
次回も来年の2月頃の開催で、テーマは大日本帝国海軍を予定しているそうです。
艦これブームだし、大勢の見学者で賑わうといいですね。
でわでわ~。



2014年2月5日水曜日

今日のソ連邦  第14号 1987年7月15日

どもです。
本当は1月中に更新する予定だったのですが、インフルエンザをこじらせてしまいました。ひどいもんです。皆様もご自愛ください。

さて、今回の表紙はボルゴグラード(かつてのスターリングラード)にある母なる祖国像の修復です。本文はもうちょっと後で。

この号の当時の目玉は、大型宇宙ロケット「エネルギア」の記事でした。ノーボスチ通信の記者がソ連宇宙総局のステパン・ポゴジャシ部長にインタビューしていますが、今ではより詳しい記事がネットで簡単に拾えますので割愛します。ちなみにこの時のエネルギアは「軌道投入試験用の模擬衛星」を搭載していたことになっていますが、実際にはガチの軍事衛星だったことがわかっています。

次に目を引くのは「ソ連の生活の質」という記事。隔月の連載記事で、この号で7回目になります。さまざまな分野をソ連の社会学者ビタリー・トレチャコフ氏が10点満点形式で採点するというもので、これまでを見ますと「住民の健康・7点」「食生活・8点」「衣料・6点」「教育・9点」「家庭のしつけ・8点」 などとなっています。
食生活の点数が高いのはカロリーベースや肥満の比率などから導き出されたもので、食生活そのものは決して低いレベルではないというのがトレチャコフ氏の見解です。これには多くの反響があったようで、「国営商店の品不足や行列をどう説明するのか?」との意見が多く寄せられたとのこと。

それに対する回答が今回の記事で、「サービス部門・3点」と厳しい評価が下されています。
具体的にはソ連で生産される農産物の25パーセントが輸送や保管の際に失われています。冷蔵設備のない倉庫で保管される食肉、屋根の無い貨車で運ばれる穀物などが実り多き大地の恵みをムダにしているのです。
小売店では労働意欲の低さが槍玉にあげられています。労働者たちは閉店時間近くに届いた生鮮食品を「早く家に帰りたい」という理由から陳列せずに放置し、結果、店頭に並ぶのは鮮度の落ちた翌日ということがしばしばあるとか。
そして、国民生活を台無しにしている「行列」があります。「これはソビエト社会の真の病気である」とトレチャコフ氏は述べています。食糧は十分に生産され、国民にはそれを買うだけの所得があり、現実に飢えている者はひとりもいない……にも関わらず。
経済学者の試算では、ソ連市民が行列に費やす時間は、国民一人当たり年間100時間近く。もちろん赤ん坊や寝たきり老人が行列するわけありませんから、実際には社会の中核を担う層がより多くの時間を失っているということになります。解決方法としては1987年5月1日から施行された「個人労働活動法」が期待されていますが、結果が出るまでにはまだ時間がかかるだろうとトレチャコフ氏は述べています。

次の記事は「殺菌した空気でやけどを治す」というもの。
モスクワのビシネフスキー記念外科研究所・全ソビエト火傷センターで開発されたという治療法です。原理的にはシンプルで、患部全体をポリ塩化ビニールのカプセルで密閉し、そこに殺菌された空気を送り込むというもの。気圧や温度、湿度は症状によって調整されており、フィルターによって空気内に漂う微少粒子も最低レベルにしてあります。
この方式のメリットは包帯と軟膏がいらないという点で、皮膚移植までの準備期間も1/3から半分に減らすことができるのだとか。
装置は4タイプあり、火傷面積が広い重傷患者のための一人用装置、小児用に特別に設計されたタイプ、手足など比較的小さな患部用で一度に5人に空気を送り込めるタイプ、そして持ち歩けるポータブルタイプがあります。
写真は複数患者用で、患者の足を覆う半透明のカプセルとホース、壁に取り付けられた空気を送る装置などが確認できます。
 
次は表紙にもなっている「母なる祖国像の修復」についての記事です。スターリングラード戦を記念するモニュメントのひとつとして1963年から67年にかけて作られました。高さは50メートル。しかし、鉄筋コンクリートで作られているため表面に細かなヒビが生じ、内部に雨水が染み込む事態になっていたのだとか。
そこで1972年に大規模な修復が行われ、像の全体に特殊な防水塗料を塗る作業が行われました。しかし、この方法は当時の金額で150万ルーブルもかかった上に、巨大な足場が丸一年もの間、像を覆い、観光客をがっかりさせる結果に。
そこで今回、市当局はボルゴグラード登山連盟のベテランたちに頼もうということになったのだとか。この方式なら費用は安く済み、観光客も珍しい作業を見物できるとあって、一石二鳥だったのだそうです。

次はイルクーツク300周年の記事。
シベリアのパリとも呼ばれる美しい都市だそうです。1661年から69年にかけてアンガラ川の右岸に要塞が築かれたのが始まりで、1967年にイルクーツク市となったことから300周年をお祝いすることになったようです。
1825年には「デカブリストの乱」で暴動を起こした貴族が流刑され、オホーツク海で遭難した大黒屋光太夫も滞在していたことがあります。日本軍のシベリア出兵や抑留の舞台ともなりました。

このイルクーツク。「暖かい日」と呼べるのは年間90日以下。反対に雪と極寒の季節は6ヶ月に及びます。暖房が必要な日数は約250日。この間、消費される石炭は20万トンに及びます。
イルクーツクに限りませんが、ソ連の都市は集中暖房方式で、ここでも7つの熱供給発電所が4万の住宅に熱と電力を供給しています。蒸気ボイラー方式の暖房設備も石炭から重油に切り替えられ、大気汚染が改善したそうです。2つの見開きページでは短い夏をしっかりつかもうとするソ連の人たちが大勢写っています。

最後は共和国紹介の記事。
シベリアから一転してトルクメン共和国です。現在のトルクメニスタンですね。
中央アジアの南西部に位置する砂漠の国で、カラクム(トルクメン語で「黒い砂」の意味)砂漠は国土の90パーセントを占めます。 トルクメン人はスマートで浅黒い肌、眉や髪も黒です。男性は伝統に従って頭を剃っていることが多く、年配者は髭をたくわえています。娘たちはお下げを4本に網、胸に垂らします。都市部では2本にしている子が多いのですが、それでも必ず前に垂らします。
有名なのは絨毯と羊毛。特にカラクリ羊皮(アストラカン毛皮)は特産品です。そのカラクリ羊皮には伝説があります。

昔々、わがままな娘が恋人の羊飼いに「婚礼のために黒いバラが欲しい」と言いました。しかし、羊飼いが住んでいるのは山の中で季節外れでもあったため、黒いバラどころか普通の花もありません。羊飼いは太陽に黒いバラをお願いしてみましたが、太陽は高くのぼり、遠くへ沈むだけでした。それでも羊飼いは羊の群れとともに太陽を追いかけました。
ひたすら砂漠を歩き、靴は破れ、杖は針のように細くなってしまいました。時は流れ、二度目の春、群れの羊が珍しい小羊を生みました。巻き毛のように波打った黒い毛皮は、まるでバラのようでした。羊飼いは「ありがとう! 太陽さん!」と叫びました。
カラクリはトルクメン語で「黒いバラ」という意味だそうです。

今回はこんなところで。
でわでわ~。