2013年1月27日日曜日

今日のソ連邦 第24号 1986年12月15日 その2

前回の続きです。
ちょっと駆け足というか、手抜きなんですが、まぁ、更新は更新ということで。
この号では1917年前夜のロシア ~神秘主義と現実~という特集が組まれています。ロシア革命の前日譚というわけです。
めんどくさいので、中身を細かく書くことは控えますが、記事ではもっぱらラスプーチンにスポットをあて、彼に代表される神秘主義に耽った帝政ロシアの中枢が、いかに破滅への道を歩むかが、少々過激な言葉でつづられています。

ソ連では、とにかく帝政ロシアは悪の帝国。皇帝は気が弱く、権威のない人間で、その妃アレクサンドラはヒステリックな浪費家。ラスプーチンに至っては「怪物」「狂人」「汚らわしい奴」「偉大な道化師」「ドイツ諜報機関の便利なペダル」、さらには「終始酔っぱらっている無学な山師」と、言いたい放題。そういえばロシア語は悪口が豊富なことでも有名な言語で、激しい罵り方のことを「7階建ての罵詈雑言」などと呼ぶそうです。
しかし、興味深い記述もあります。

「昔から指摘されていることだが、
神秘主義の波が発生するのは、まず社会的危機の時期である。
これまで定着していた社会秩序や伝統的な見解が崩壊するとき、
反動勢力は蔵の中から古いものを動員する。これが神秘主義を発生させる元になる」

実は、ソ連社会にも、この言葉の意味を実感する時が訪れるのですが、それはまたの機会に。ちなみに画像の左上は、当時の風刺画です。うっすらと文字が書いてありますが、これは最上段から下に向かって

我々は諸君の上に君臨する(最上段)
我々は諸君を統治する(2段目)
我々は諸君をだます(3段目)
我々は諸君を撃つ(4段目)
我々は諸君のために食べる(5段目)
我々は諸君のために働く。我々は諸君を扶養する(最下段)

しかし、時がくれば民衆は怒り立ち、
背をぴんと伸ばし、そして皆で肩を寄せ合って
強い力で、このばかでかい代物をひっくり返すだろう

とあります。
とはいえ皇帝一家を処刑したことで、ソ連は長らくマイナスイメージを背負い込むことにもなります。ロシア連邦になって、皇帝とその家族の遺骸が発掘され、ミサが執り行われることになろうとは、想像もできなかったでしょうね。

次はモスクワ防衛戦45周年記念ということで「カチューシャの最初の砲撃」という記事。
ソ連軍の代名詞とも言える自走式多連装ロケットランチャー「カチューシャ」の開発者の物語です。開発するけど、すぐ死んじゃうので3ページで終わります(不謹慎)。
記事を要約するのは、ちょっともったいない気がしたので、まとめてアップします。いささか大きなサイズですが読んでいただけるとありがたいです。ノンブルがありますが、左、中央、右の順です。(アップロードし直しました)

最後の記事はアフガニスタンからソ連軍6個連隊が撤退を開始したというニュース。
まぁ、泥沼状態の戦場から旗を丸めて逃げ帰るわけですが、記事ではあくまでも「アフガニスタン国内の情勢が安定したのでソ連軍がアフガニスタン政府を支援する必要性がなくなった」というトーンでまとめられています。


写真は戦車の砲口にカバーを付けて撤退準備をする兵士。アフガンカと呼ばれる戦闘服姿ですが、祖国に帰れるとあってさすがに嬉しそうです。
ちなみにこの写真、なんと見開きです。今日のソ連邦で軍人や兵器が大きなサイズで掲載されることは珍しいのですが、あまり書くことがなかったからなのかもしれません。

次の写真にも「アフガニスタン政府の要請で同国に駐留していたソ連軍兵士」と、いささかくどいキャプションがついています。やはりアフガンカを着ていますが、襟に兵科章がついていません。戦闘服自体、なんとなくキレイに見えますし、襟のカラーも真っ白。帰国にあたって新品を支給されたのかもしれません。

下の写真はソ連に向かう戦車部隊。
地続きですから、自走して帰ります。国境を越えると、帰国歓迎式典の会場が準備されていて、そのままセレモニーに参加することになるのですが、息子の帰国を待ちきれない母親たちが待ち構えていて、そのまま連れ帰って行ってしまうことも珍しくなかったそう。
軍のお偉いさんが演説しているのに、櫛の歯が欠けるように兵士がいなくなっていき、ソ連の権威が地に落ちたことを証明してしまったのでした。

今回は手短になりましたが、この辺で。
では、また。

2013年1月21日月曜日

今日のソ連邦 第24号 1986年12月15日 その1

どもです。
世間ではすっかり正月気分も抜けましたが、この号の紹介が間に合えば、より新年の幕開けにふさわしいブログになったかもしれません。いや、去年のうちに1回余分に更新するだけでよかったはずなのですが。
でも、ロシアの旧正月(ユリウス暦)は1月14日だし、日本の旧正月も2月10日なんで、とりあえず改めまして、あけましておめでとうございます。

さて。表紙はモスクワで開催された日本産業総合展の様子。
三菱のパソコンはMSXの8ビット機種でしょうか。当時はココム(対共産圏輸出統制委員会)が、コンピュータの対ソ輸出を厳しく制限しており、16ビット以上の機種は輸出を許されませんでした。

この他にも会場ではヤマハの電子楽器やニッサンのフェアレディZ31、ソニーのビデオカメラとか、当時のモスクワ市民にはあまり縁がなさそうなモノがどっさり展示されていました。
 
当時のソ連の人々にとって、日本製品は憧れの的だったのですが、かといって、こうした見本市に誰もが自由に来ることはできなかったようです。
普通の一般市民に見えても、実際は当局から選ばれた、あるいは許可された人間だけが来場を許されていました。

西側との技術格差を広く実感されるのは好ましくないと思われていたからでしょうか。でも日本は比較的、優遇されている方で、なんでも「日本人は朝から晩まで働いているから、これだけのものを作りだせるのだ」という説明がしやすかったからなんだとか。
褒められてるんでしょうけど、素直に喜べない感じもしますな。

そんなわけで特集その1。
今回は年末号になるわけですが、新年の挨拶を兼ねています。今日のソ連邦は隔週発行なので、1月1日号の方が良さ気ですが、まぁ元日に読者の手元に届くわけもなく。
で、1987年は卯(うさぎ)年ということで、「おーい、待てぇ!」(Ну, Погоди! =ヌー、パガディー!)の作者であるヴィアチェスラフ・コチョーノチキンさんがわざわざ描き下ろしイラストと漫画を寄稿してくれてます。

でも・・・正直言って・・・微妙・・・・・・。

キモノ、ゲタ?、ツリ目、あと合掌って・・・。まぁ、日本人もロシア人を描く時はコサックダンス、ウォッカ、戦車ですから、偉そうなことは言えません。とはいえ、このゲタ・・・なんだか寿司に見えてくるなあ。

この「おーい、待てぇ!」は、ソ連で絶大な人気を誇るアニメです。
元々は児童向け雜誌「ゆかいな回転木馬」に掲載されていた漫画で、1969年にアニメ化されました。小さいけれど賢いウサギと大きいけど間抜けなオオカミの追いかけっこを描いた作品です。
最後は決まってオオカミがひどい目にあい、よれよれの姿になりながらウサギに呼びかけます。「おーい、待てぇ!」と。

当時のソ連でもキャラクターグッズが展開され、カレンダーやTシャツ、絵ハガキ、オモチャやバッジなどがあります。制作はメルヘンの家と呼ばれるアニメ・スタジオ「ソユーズムリトフィルム」。
かの国ではアニメーターも国家公務員なのであります(ドヤ)。


エピソード・ゼロとでも言うべきパイロット版。


こちらが正式な第1話。民警が無駄に正確だ・・・。

ロシア語タイトルで検索すれば、たくさんの動画を見ることができます。


特集その2は次回へ。
ではでわ~。

2013年1月6日日曜日

今日のソ連邦 第18号 1986年9月15日


どもです。
時間のあるうちに更新しておかないと。で、前回の続きです。
誰も覚えてないグッドウィル・ゲームスがまだ特集されてます。
表紙は平均台の競技。
オクサナ・オメリヤンチクというソ連の選手です。
ロシア語における女性の姓は語尾にaがつく、というのは日本でもそれなりに広まってきた法則ですが、彼女はオメリヤンチカではありません。結構、例外があるのですね。(追記…彼女はウクライナ人らしいです)
ちなみに彼女は女子体操個人総合で3位に入賞しました。


この大会では6つの世界新記録、8つの大陸新記録、90以上の各国の新記録が出たそうで、結果はそれなりだったようです。
ちなみに世界新記録の内訳は
・水泳男子個人800メートル自由形=7分50秒64 ウラジーミル・サリニコフ(ソ連)
・自転車競技男子団体4000メートル追い抜き=4分12秒830 A・クラスノフ、S・フメリニン、V・シプンドフ、V・エキモフ(ソ連)
・陸上競技7種女子=7148点 ジャッキー・ジョイナー=カーシー (米国※日本で有名なフローレンス・ジョイナーさんとは別人です)
・自転車競技男子スプリント200メートル計時=10秒224 ミハエル・ヒュブナー(東独)
・陸上競技男子棒高跳び=6メートル01 セルゲイ・ブブカ(ソ連)
・自転車競技女子スプリント200メートル計時=11秒489 エリカ・サルミャエ(ソ連)
となっております。(国籍は当時のもの)


では、次の特集。
ソ連で盛んな低温工学に関する記事です。相変わらず大雑把な環境で精密な作業をしている感じのソ連の研究所ですが、ホコリとか大丈夫なんかな。
さて、ここで言う低温工学とは「極低温工学」のことでマイナス153度C以下の温度のもとで起こる現象と、そうした環境を作る装置の開発に関する研究のことです。
ソ連ではピョートル・カピッツァなる人物がその嚆矢とされていますが、彼が最初の低温装置を開発したのは1939年から40年にかけて。まさに独ソ戦が始まろうとしている頃です。
装置で作られた液体窒素は冶金工学の分野に変革をもたらしたとあります。
高炉の場合、生産性は1.5倍になり、コークス消費量は25%の削減に成功。ソ連が早くから冶金の分野で発展をとげ、主に戦車の装甲などに生かされたことは有名な話ですが、低温工学の発展が支えていたのかもしれませんね。
なお、この記事では超伝導についても触れられていますが、日本ではこの手の話題は最近、聞かないなぁ。あと「人類は古くから低温の有効性について気づいていた。打撲症の治療で患部を冷やすのは昔から行われていることだ」ともありますが、それって低温工学なんでしょか? まぁ、例えとしてはわかりやすいですけど。

でも永久凍土はずっと温度が上の方なので、この記事には出てきません。ソ連=シベリア=寒い=永久凍土かと思ったんですが。
余談ですが、日本でも永久凍土の研究成果は日常的に利用されています。永久凍土は水を通さない性質があるので、地下鉄工事などでは冷却ボルトを土壌に打ち込み、地面を凍らせてしまいます。そうすることで坑道に水が吹き出す心配をせずに、トンネル掘削ができるというわけです。

お次はリトワ(現在のリトアニア共和国)で復活しつつある農村芸能についての話題。
失われつつある民族文化の復活というのは、どこでも行われていることですが、ソ連でも例外ではなかったようです。でもリトアニアの農村から急速に伝統芸能が廃れていった時期というのが、20世紀初頭って・・・年代をぼやかしてるけど、それって社会主義革命の頃じゃないのかなあ。
農村と農民を急激に集団化していったら、そりゃ伝統芸能も無くなるような気がするんですが、同志スターリン、どうなんでしょう?(命知らず)
それはそうと、この劇団、果たして今もリトアニアで存続しているのでしょうか?

最後は恒例のロシア語散歩。
今回は地名の隠れた意味です。
ソ連にはアクサイという名の川が4つあるそうです。
そのうちの二つは北カフカス、残りはカザフスタンとキルギス。同名の街も3つあり、キリギス、ボルゴグラード(旧スターリングラード)、ロストフ・ナ・ドヌーの近郊です。
どれもチュルク語系の名前で、アクは白、サイは川という意味なのだそう。
川の名前はその特長から名づけられることが多く、チーハヤ(音無川)、ブールナヤ(激流)、スラートカヤ(甘川)などがあります。典型的なのがアクサイのように色から命名される例で、ベーラヤ(白川)、クラースナヤ(赤川)、チョールナヤ(黒川)などがあります。
もっとも水質から来る色とは限らないようで、ベーラヤは濁流であることが多く、チョールナヤは流れがわからないほど穏やかな川か、冬でも凍結しない川のことを指します。白い雪景色をバックにすると、川が黒く見えるからだと言われています。
流れの状況や周囲の景色で命名されるということは、一本の大河が地域によって違う名前になるということでもあります。

湖はシベリアに何百とありますが、これらはすべてライダ(ヤクート語で湖沼)と呼ばれます。数が多いのでいちいち名前を付けてられないようです。ロシア平原にある湖も単純にオーゼロやオゼルコー、オゼルツォーなどと呼ばれます。
ちなみにバイカル湖はチュルク語で「豊かな湖」という意味。でも地元のブリヤート・モンゴル人は「ダライノール(聖なる湖)」と呼んでるそうです。エベレストとチョモランマの関係みたいなものでしょうか。

ソ連には大河が沢山ありますが、昔は運河がなかったため、船乗りたちは船を陸にあげて別の川に運んでいました。この時の曳き船作業をロシア語でボーロクと言います。ここからボロコラムスク、ボロークなどの街の名前ができました。
また、黒海からバルト海へつながる通商水路が、かつてスモレンスク市の近くにありました。船乗りたちはこの街に到着すると船底にタール(スモール)塗り直すのが恒例だったようで、スモレンスクの名前はここから来ています。
最後に「ウラル」の語源について。
エカテリーナ2世の時代、この地域一帯で大規模な農民蜂起が起こりました。口火を切ったのはヤイク川の近くに住んでいたヤイク・コサックで、指導者はエメリヤン・プガチョフ。有名な「プガチョフの反乱」です。しかし蜂起は失敗に終わり、プガチョフは処刑され、農民たちの多くが流刑されました。
エカテリーナ2世は、この血なまぐさい農民蜂起の記憶をぬぐい去るために、最初の蜂起の場所であるヤイツキー市とヤイク川の改称を命じます。
1775年、ヤイク川はウラル川になり、周辺の山々もウラル山脈となります。この名前はこの地域に住むマンシ族やバシキール族の言葉で、単なる「山」という素っ気ない名前なのだそうです。

今回は、こんな所で。
でわでわ~。


2013年1月1日火曜日

謹賀新年


新年あけましておめでとうございます。
果たしてどなたが見てるやらという感じのページですが、
今年もしばらく今日のソ連邦をご紹介したいと思います。
更新はゆっくりですが、よろしければ本年もよろしくお願いいたします。