2013年9月17日火曜日

今日のソ連邦  第6号 1987年3月15日

涼しくなったことでもあり、そろそろ更新です。
今回の表紙は、前期試験が終わってモスクワ郊外のキャンプでスキーを楽しむモスクワ航空大学(МАИ)の学生ラリサ・セレブリャコワ。
ソ連の新学期は9月なので、1月が試験シーズン。それが終わって羽根を伸ばしているというわけですね。一般的に大学の休暇は1月25日から2月7日まで。後期試験は6月~7月にかけてです。
キャンプといってもちゃんとした保養地で、コテージや映画館、スポーツ施設やコンサートホールなどが併設された複合施設。モスクワ航空大学では専用のスポーツキャンプを3つも持っており、運営は学生ソビエト(評議会)と大学の労働組合が行っています。

さて、今回の今日のソ連邦では、モスクワの「区役所」の活動についてかなりのページが割かれております。ソ連の小さな行政単位の仕事というと、今日のソ連邦 第2号 1987年1月15日にも地区共産党書記さんの話を載せたのですが、こちらは「チミリャーゼフ区ソビエト執行委員会」。まぁ、党員じゃない人間が勤務できる部署にも思えませんが。

ところで、ソ連といえば「失業がない国」です。
つまり全員に仕事が用意されているというわけですが、これって具体的にどうやってるのか? 「チミリャーゼフ区職業あっせん所長」のアレクサンドル・ボズジェーエフ氏のルポが出ています。
対象となるのは大半が10年制学校の卒業生で、普通は就職、高等教育部門への進学、軍に入隊の3つのコースに割り振られます。しかし、そうじゃない人間もいるから、こういう部署があるわけで。たとえば自動車仕上げ工のグレゴリー・ニコラエフは、ボズジェーエフ氏の夢の中にまで出てくる厄介な人物。

最初にあっせんした自動車営業所を「土曜日は働きたくない」という理由で、わずか一週間で退社。2番目の工場では、「3ヶ月持ちこたえたが」工場長とケンカしてまた退社。3番目の職場では「ズル休みがバレて」クビ。4番目はボズジェーエフ氏の旧知の仲が人事課長をしている企業になんとか突っ込んだものの「きみからの贈り物には大変感謝してるよ」とイヤミを言われる始末。ちなみにコレ、わずか1年の間の出来事。結局、ボズジェーエフ氏は5番目の就職先を見つけるべく奮闘中です。過去の記事だけど、がんばれ!と応援したくなります。それとニコラエフ、マジメに働け。

次の記事は1987年度のソ連の主要な建設事業の紹介。ソ連の会計年度は現在のロシアと変わらないとすればカレンダー通りの12月なのですが、ここは日本の3月に合わせてきたのでしょう。もちろんソ連共産党大会が2~3月に開催されたこととも関係があります。

ちなみに、この記事とは直接の関係はないのですが、今日のソ連邦では「ソ連の生活の質」という連載記事が組まれています。社会学者のビタリー・トレチャコフ氏がソ連社会のさまざまな面を客観的データをもとに採点するというもので、今回は「食生活」が取り上げられておりました。

結論から言うと10点満点のうち8点という高得点。意外に思われるかもしれませんが、ちゃんと裏付けがあります。ソ連保健省が定める成人1人あたりの必要カロリーは2900キロカロリーですが、実際は3390キロカロリー。1960年には肉類の年間消費量は一人当たり39.5キロだったのが、1985年には61.4キロとほぼ倍増。タマゴや乳製品、海産物に砂糖、油脂類もほぼ倍増しています。一方、成人の2人に1人が標準体重をオーバー、さらに4人の1人が肥満に悩んでいるという指摘もあります。

ソ連では恰幅のいい人が多いのがデータの上からでも裏付けられてるわけで、それをもって食糧事情の高得点というわけのようです。もちろん、悪名高き国営商店のモノ不足や行列には言及されていません。それは後日、別の項目で取り上げることになります。

次は飾り石の芸術品。
ソ連は広い国土のおかげで地下資源にめぐまれており、ダイヤモンドや金の産出量が多いことでも有名ですが、他にも半貴石(準宝石)や飾り石(色石)が豊富です。ウラル、アルタイ、東シベリアなどが主な産地で、古いソ連映画で「石の花」なんてファンタジー映画もありました。
記事で紹介されている博物館サロンは「ソ連地質省」に創設された「全ソ生産合同“ソユーズ・クワルツサモツベティ”」という機関の所属で、展示だけでなく販売もしています。
ソ連では飾り石や半貴石の商品開発が盛んで、いくつかの鉱物については国際機関に宝石として認可するよう積極的な働きかけもしていたと聞きます。宝石に格上げされれば値段もハネ上がり、新たな外貨を獲得できると期待したわけですが、その試みはうまくいかなかったようです。

お次はガラリと雰囲気が代わって麻薬摘発の記事。
パキスタン北西部から貨物列車に積み込まれた「アフガニスタン産干しブドウ」のパッケージ。発送人名も受取人名もなし。ソ連国家税関総局とモスクワ中央税関、密輸取締局の合同チームが厳重な鉛の封印を切って、中身をあらためると出てきたのはハシーシ。乾燥大麻の塊でした。

わざわざ「最高品質」とキャッチコピーがついたラベルにはイスラムの長剣の交差したマーク。それが干しブドウの箱にまぎれて、1270キロも隠されていたというわけです。実は同様の「製品」はアメリカのサンフランシスコでも摘発されており、こちらには「アフガニスタン」の文字とカラシニコフ小銃のイラストをあしらったラベルが付いていました。

貨物はソ連国内に向けたものではなく、西ドイツのハンブルク行き。
ソ連国内を通過するトランジット貨物ルートは、ソ連にとって貴重な外貨獲得源であり、荷主の不興を買わないようにノーチェックで運ぶと言われます。対する西側の税関もソ連からの貨物には警戒心が薄く、マフィアはそこに付け込んで、新たな密輸ルートを開拓しようとしていたようでした。同様の手口は海上ルートでも摘発されており、オランダの警察がロッテルダムに入港したソ連貨物船カピタン・トムソン号から220キロものヘロインを押収したりもしています。

ちなみに記事では黒幕は、グルブディン・ヘクマティアルサイード・アフマド・ギラニだと断定し、ソ連とアフガンの友好関係を妨害し、西側への麻薬供給国としてのイメージをソ連に押しつけようとした陰謀と断じています。その影にCIAが暗躍しているのは言うまでもありません。とはいえ、ソ連憎しで支援していた彼らが、実際にはどういう人物だったのかは後日、アメリカも思い知るわけですが。


最後はソ連の共和国特集からグルジア。
険しい山々を越えてあらわれる温暖な気候、美しい景色、豊かな大地といいとこだらけ。グルジア人は天性の楽天家で、友情と信義を重んじ、客もてなしのいいことで知られています。

首都はトビリシ。その名の由来には伝説があります。
グルジアの王オフタング1世はある日、狩りに出かけ、1頭のシカを仕留めます。ところがシカは仰向けに倒れたはずなのに、すぐに起き上がって森の中へ消えてしまいました。
王は弓の名手だったのでしくじったとは思えず、シカの倒れた場所に行ってみました。するとそこには地面から熱い水がわき出ていたのです。温泉が傷ついたシカを癒し、元気にさせたと知ったオフタングは、それを神意と読み取り、都市の建設を命じました。グルジア語で「熱い水」という言葉を「トビリシ」と言います。1500年前の伝説だそうです。


今回はこんなところで。
でわでわ~。

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